第二十七話 馬車内にて
ガラガラガラ。
外装にも内装にもふんだんに金をかけられている馬車が走るのは、曲がりなりにも整備された道である。
この世界の基準では整備されているといっても、日本のようにきれいに舗装されているなんてのは望むべくもない。
貴族や金持や権力者の家に生まれ変わったのだから、快適な人生が得られる。そんな風に思ったこと、ありませんか? 俺は何度も思った。テレビで富豪の特集なんかが組まれる度に、俺もいつかはこうなりたいと思ったものだ。
実際になってみたらどうだろう。
今、俺の乗っている馬車は、上っ面こそ豪奢極まりないのに、乗り心地たるや最低のものだ。
大学の友人が持っていた中古の軽に乗せられたことがあるが、あれより酷い。この世界にはまだサスペンションという概念はないようだ。いずれ現代技術を持ち込んで経済的無双をしてみせる。
「ぅ、ぷ」
「大丈夫ですか、マルセル様」
咄嗟に口を押える俺の背中を、同行しているカリーヌがさすってくれる。うう、いい子だなあ。さすがマイヒロイン。これがラウラとかだったら、絶対にさすってくれないよ。それ以前に気遣ってすらもらえないだろうな。
優しさゆえの行動など望むべくもないとして、せめて義務感からでいいから気遣ってほしい。もしかすると悪役にはこれすらも贅沢な望みなのだろうか。
サスペンションやアスファルトという人類の知恵もまだ、この異世界には届いていないことはさっきも触れた。製品化すれば大儲けできるかもしれない、と思ったけど、よく考えたら詳しい仕組みや材料を知らなかった。
「うぇええっぇええ」
激しく上下に揺らされてえらい目に遭っている。
登校禁止措置期間中の俺がどうして馬車に揺られているのか。話は昨日に遡る。
昨日、俺は豪奢な自室で一人、腕を組んで唸っていた。議題は一つ。というかこれ以外にはありえない。破滅エンド回避のためにはなにが必要か。
自己改革は着実に進んでいると自己評価できる。異論があっても聞き入れないぞ。
家族については、誠に遺憾ながら進展がないと表現せざるを得ない。両親はあのままだし、兄のデュアルドとは会えず仕舞い。
使用人たちもカリーヌ以外は成果なし。ラウラからの警戒は解かれる以前に、むしろ増しているような気がしてならない。
キャロラインのほうも、こっちが調子に乗って無詠唱魔法を使ったせいで、まるでテロリストを見るような目を向けてきているよ。
となれば次の一手は、領民からの評判の改善であろうと結論付けた。マルセルは公爵家の権力にものを言わせて、散々好き勝手に振る舞ってきた。
気に食わないことがあったからと畑を燃やし、その罪を村人に押し付ける。美人と見ると強引にでも連れ帰る。店に入ろうものなら、立ち退きをちらつかせて商品をタダ同然で、あるいは献上品扱いとして巻き上げているのだ。
領内におけるマルセルの評判はすっかり地に落ち、地面の遥か奥底にまで潜り込んでしまっている。いっそ温泉が湧いてこないのが不思議なくらいだ。
「どうしろと、言うんだ……」
軽く絶望的な気分になる。
『腹でも切って詫び入れたらええんとちゃうか』
「俺は破滅エンドを回避したいんだよ!? あと、潔く腹を斬れと言われて切腹した悪人はいないから!?」
『自分、悪人ちゃうんやろ?』
「俺は違いますけどね!」
破滅エンド到着前に自決エンドって、滅多打ちされるよりマシと思えってか? ふと思ったんだけど、十二使徒って本当に人々から崇められているのか? 俺ならこんな隣人はいらない。断固として。人の命をなんだと思ってるんだまったく。
『ゆーてもな、お前の評判はそらもー最悪やねんぞ? お前自身の行動もそうやし、増税しまくった公爵の息子やゆーこともあって、恨まれまくっとる。和解しようにも、領民の前に出よったら憎悪やら憤怒やらに塗れた石礫に晒されるんとちゃうか』
そこはせめて石礫じゃなくて視線とか罵詈雑言にしてほしい。
「俺じゃなくてマルセルのせいな」
『おんなじこっちゃ』
断じて違う、と言い切れないところが今の俺の悲しいところ。あと、護衛がいなければ本当に石礫他の暴力に晒されることは想像に難くない。
そして今の俺にいるのは、メイドのカリーヌと馬車の御者だけであって護衛がいないのだ。
本来の運命に辿り着く前に、前倒しで滅多打ちエンドに転落しそうである。運命を変えるため、まずはどうにかしてイメージを変えなければ。
『どないして?』
アディーン様の細められた目からは興味も関心も感じられない。あるのは精々、義務感である。話しかけてしまったから仕方がない、といった風情だ。俺の扱いがぞんざい過ぎやしませんかね?
「権力者が市民の支持を集めるには、やっぱり金だと思う。減税とか補助を拡充するとか」
『自分は単なる公爵家の次男やろ。そないなことができる権限、持っとらんやないか』
まさにその通り。兄のデュアルドが口にしたなら通ったかもしれないが、俺が言ったところであの父親に届くとはとても思えない。
ついでに言うと、バラマキ政策で人気を取ろうというのは嫌いだ。財政が悪化して、将来世代にツケが回ってくるに決まってる。ネットに書いてあった。
「転生者特有の知識を使ってチートして、その恩恵を民に還元するとか?」
『たとえば?』
「書類の書式を統一するとか」
『識字率の低い領民たちに何の関係があるねん。それをするんやったら、まず学校を作らなあかんやろ』
たしかに、書類仕事なんか貴族や役人だけの仕事である。まあそれでも、統一した書式が採用されれば、仕事の効率は上がるだろう。
ただし領民との関係改善にはあまり役に立たない。学校を作ることができればともかく、いや、学校を作っても農家にとって働き手である子供を奪うことになるから恨まれるかもしれないな。
今の俺がそんなことをすれば、反乱とか一揆とかの事態を引き起こす恐れがある。自分では領民を救うだけの金を動かすことができない。
自分が直接、領民のもとに向かうと即座に滅多打ちエンドが発生しかねない。それぐらいには恨まれていることは、前世からの情報として知っている。
前世知識を生かそうにも、最初の信頼で大きく躓いている。
「どないせーゆーねん」
八方ふさがりとはこのことだ。頭を抱えること数分、ふと思いついたことがあって、宙に視線を送る。
「なあ、アディーン」
『あ゛ぁ゛?』
「様……サンバルカン家って、評判が悪いのか?」
実に面倒くさいやり取りだ。
『自分もよく知っとるんとちゃうんかい』
「俺が知っているのはマルセルの情報が中心なんですよ。領民がサンバルカン家のことをどう思っているかなんて知りません」
『中途半端やなぁ。しゃあない、教えたる。サンバルカン公爵家っつーんは王国屈指の名家や。婚姻を使って王家の血も入っとる。代々、王国宰相を務める家柄や』
そこまでは知っている。キャラ名鑑にもある情報だ。だがキャラ名鑑にはマルセルの両親や家の情報は詳しく載っていないんだよな。載せる必要がなかったのか、人気がないから敢えて外したのか。
どっちもありそうだと思う。
『今はまあ、落ち目っちゅうやつやろな。自分のオトンは宰相職から解かれてしもて、政敵やったオリガン公爵が宰相の座を射止めとる。プライドの塊みたいな奴やから、相当荒れとるわ。本人は冷や飯食らっとる気分やろな。で、復権するために金をばら撒いとるんやけど、その金の出どころはどこやと思う?』
「汚れた金ってやつですか」
権力者やマフィアが非合法な手段で手に入れた金のことだ。マルセルのことを考えると、公爵家がどんなにあくどい金儲けをしていても驚かない。アディーン様の答えは違った。
『なんでやねん。そないなことせんでも、もっと効率が良うて合法的なんがあるやろ。絞れば絞るほど出てくるもんが』
「もしかして」
『税金や』
「ぅげぇ」
凄まじく気分が重くなった。子泣きじじいに圧し掛かられるとこんな気分になるのだろうか。