第二十五話 そしてもちろんスパルタへ
あとさ、年上の女性の家庭教師って男の健全な妄想を掻き立てるものじゃないの!? ここから凍てついているキャロラインの心を解きほぐしていくイベントでも起きるの!? まったく微塵もこれっぽっちも欠片たりとも期待できないんですけど!?
こんな家庭教師、ヤダ。
そんなワガママが通るはずもなく、俺たちは早速、修練場を兼ねた庭に出ていた。マルセルが逃げ回っている横で、兄デュアルドが実直に練習に打ち込んでいた場所だ。
俺が先に歩いて案内するのだが、後ろを歩くキャロラインの小声の独り言が聞こえてくる。
「……はぁ、魔法を教えてくれ? まったく貴族って連中は、ちょっと魔力が強いくらいですぐ勘違いするんだから。大体、公爵閣下は自分の子供の評判を知らないわけ? 魔法の腕を上げたら、それだけ周囲に迷惑をかける人間になるってわかりきってるでしょうに。やっぱり親子ね、揃ってバカなんだから。ほんと、仕事じゃなければ誰がこんなところになんか」
めっちゃ聞こえてるんですけど。ぼそりと呟く程度ならまだしも、移動中、ひたすら小声でブツブツと不満と悪口を並べている。聞こえていないと高を括っているのか、俺を子供と侮っているのか。
「いえ、これも仕事です。宰相職を解かれたサンバルカン公爵家がどんな意図を持っているのかを調査することは、王国にとって大事な仕事。ここで実績を上げれば、こんな外回りじゃなく、王都の本部で働けるかもしれないんだから」
出世のためかーい。
俺のせいであちこちが傷んでしまった地下訓練場は現在、使用禁止になっているため、庭に到着すると、即座に魔法の練習が始まった。まずはキャロラインが見本となる魔法を披露する。
「斬り裂く炎よ 我が手に来たれ 《火剣》」
キャロラインの詠唱と魔法名の提示と共に、彼女の右手に炎の剣が生まれる。そのまま無造作に振ると、十センチ程度の太さの幹を持つ庭木が易々と斬り倒され、燃え上がった。
「打ち流せ 清涼なる水球 《水弾》」
次いで生み出した水球が燃える木を消火する。うんうん、実にスピーディな一連の流れです。
公爵家の庭木を燃やした件については後で追及してやるとして(←かなり悪い笑顔)、ここはまず、心証操作を行おう。家がどう思われようと構わないけど、俺への評価は少しでいいからマシなものにしておきたい。
「すごいです! 先生は火と水の両方の魔法が使えるのですね。すごいです!」
「この程度のことは誰にでもできることです」
「そんなことはありません! あんなにきれいな魔法は初めて見ました! 魔法の先生というのはすごいんですね!」
キャラ名鑑によると、キャロラインの魔法属性は火だったはず。持って生まれた属性系統の魔法は習得しやすいが、持っていない属性の魔法の習得はかなり難易度が高い。
火属性の人間が水属性初級の魔法を習得する場合、その習得難易度は中級上位に相当する、ファンブックに書いてあった。設定厨だな、と思ったもんだ。
「褒めすぎですよ」
顔を背けるキャロラインだが、微かににやけているのを見逃す俺ではない。原作での堅物なイメージと違って、存外にチョロそうだな。
くっくっく、これなら彼女から危険視される可能性は、比較的、簡単に下げられそうだ。
……おかしい、破滅エンドを避けるためにやりなおすと決めたはずなのに、気付けば保身と生き延びることばっかり考えているゲス野郎になっている気がする。
いいか。最優先は破滅回避だ。ゲスでも生き延びることができればそれでいいじゃないか。悪役はダメだけど。
さて、次は俺の番だとばかりに、杖を構える。例の指輪でも構わないのだが、やはり魔法騎士には杖が似合う。一ファンとして、杖を振るって魔法を使うことに憧れてなにが悪い。
この杖は親父殿が金にあかせて作った逸品だ。純度の高いミスリル鋼を使用し、オリハルコンでコーティング、杖の象徴たる石にはガーネットだ。
魔法発動体としてはルビーのほうが優れているのだが、ルビーは産出量が少ない上に、杖に仕えるほどの大粒のものが出ることは稀なのでガーネットを使っている。
俺に向ける愛情はなくとも、公爵家の体面を保つために回す金は唸るほどにあるということだ。
ちなみに親父殿の杖には、しっかりとルビーが使われている。なんでも世界最大のルビーなんだとか。いずれ兄が受け継ぐ石だ。
「では、マルセル。さっき見せた通りにやってみなさい」
無表情っぽいキャロラインの態度や言動の端々から、「マルセルにできるわけがないだろう」との考えが透けて見える。
ならばここは、転生もののお約束通りに、盛大にかましてやろうじゃないか。まずは無詠唱だ。属性融合はできなくとも、無詠唱はできる。
作中で主人公がコツを教わっていたからな。読者である俺も知っているわけだ。
要はイメージ。本来は炎の剣をイメージするところ、俺は炎の剣を振る主要キャラをイメージする。
詠唱の一文字も使うことなく右手に炎の剣を生み出し、庭の木を一本、斬り飛ばす。庭木はあっという間に炎に包まれる。ふ、どうですかね、キャロライン先生?
「っ! 無詠唱……なるほど、そうですか。貴族のバカ親がありもしない才能をでっちあげたわけではなさそうですね。見たところ疲労の様子もなし、無理をしているようにも見えませんし、これは」
キャロラインが驚いた顔をしたのも一瞬、すぐに小声でブツブツと呟きだす。
「どうやらマルセル・サンバルカンも危険人物として捉えたほうがいいかもしれませんね。王家に仇為す可能性を危惧されている公爵家……危険なのは公爵と長男だけと聞いていましたが、品行劣悪なほうの息子がこの年で無詠唱を使えるなどと。これは、決していい事態ではありません。ふふふ、いい手柄になるかも。ドサ回りから脱却するチャンスね」
やばい。失敗した。才能を見せつけてドヤ顔をしたかっただけなのに、まさかの危険人物認定ですよ。
努力した結果、敵が増えていくこの悪循環。これが悪役三人組の運命力というものなのか。それとキャロラインさん? バカ親とか品行劣悪とか、仮にも雇い主なんだから、もう少しオブラートに包んだほうがいいと思う。
ラウラといいキャロラインといい、ほんと、うちの従業員たちときたら、敬意というものが足りないんだから。
後、炎のはるか向こう側では、うちで雇っている庭師の青年が悲しそうな顔をして膝をついていた。庭木で練習したのはマズかったかな。授業が終わったら謝っておこう……受け入れてくれるかどうかはかなり怪しいが。
家庭教師初日に得たもの:教師からの疑念。危険人物に認定されました。
ねえよ、こんなお宝。
翌日から本格的な家庭教師が始まった。キャロラインはかなり気合の入ったカリキュラムを作ってきており、
「ぜふっぉー、ふほ、ぐっはぁ! せ、せんしぇえええぇ! 筋肉が! 骨も、悲鳴を絶叫しておる気がっはぁ!?」
「魔法騎士にも基礎体力は重要です」
と朝からランニングに短距離ダッシュ三十本、腕立てに腹筋に懸垂のように、子供に相応しくない内容のメニューまで用意してくれている。魔法騎士学院なら、大貴族の子息であるマルセルに気遣って、サボっても見て見ぬフリをしてくれるのに。
いやダメだ。俺は生まれ変わってみせる。
世の悪役の中には、「基本ダメな奴だが、これについてだけは褒められる」ケースだってある。けどマルセル・サンバルカンには当てはまらない。
原作のマルセルはひたすらに卑怯で悪質で陰険で、救いようのない奴だった。けどこれからは。きっと人生の軌道修正をしてみせる。
へとへとになったところで昼食を腹に放り込む。
初日は肉が食えた。二日目は固形物を食べることができた。三日目はパンを細かく刻んだ。
日が経つ毎に胃が食べ物を受け付けなくなっていって、一週間後には顔色不良の状態でスムージーを流し込むだけ。来週には胃ろうを作っているかもしれない。
午後からが魔法の練習。実技はともかく、座学がきつい。
キャロラインの授業はわかりやすいのだが、声に抑揚がなく一定のペースで喋り続けるので、満腹感もあって強い眠気を誘うのだ。そして眠ってしまうと、授業態度が悪いとパパンに報告が行ってしまう。
最終的に俺は怒られるんだけど、どうせ怒られるならせめてキャロライン先生に叱ってほしい。髭面のおっさんに叱られたって、嬉しくもなんともないんですけど!