第二十三話 知識があっても上手くいくとは限らない
「料理長に頼んで用意してもらいました」
「……」
だよねー。弁当を手に取ると何となく、まるで、そのまま地下から帰ってくるなよ、とでも言われているみたいに感じるのは被害妄想だろうか。
微妙に釈然としない感情を飲み込んで、地下訓練場に移る。
「おげぇ!」
訓練場の扉を開けた途端、思わず呻き、えづいてきたので鼻と口を抑えた。地下訓練場の石造りの床や壁面は赤黒く汚れている。あちこちに土が盛られているのは、汚れが酷い箇所を隠そうとしているからだろうか。
地下には悪臭――死臭というか、ちょっと意味がわからないが鉄が腐ったような臭い――が充満していた。換気のしようもないので、臭いと一緒に怨念も留まり続けているようだ。
逃げ出したくなったが、逃げ出しても他にこの訓練できる場所にも心当たりがない。臭いに慣れることも必要だと開き直ろう。うん、そうしよう。
教本を開く。教本の内容はマルセルの知識と合致しているものばかりだ。魔法には詠唱と魔法陣を用いる二種類があり、いずれも魔法式を構築することで魔法を発動させることができる。
最近では予め魔法式を組み込んだ武器なども開発されているらしい。魔力を通すだけで魔法が発動するという代物だ。楽そうだとは思うが、俺はやはり、自分自身の手で魔法を使ってみたい。それがロマンってものじゃないか。
例の、五枚の花弁のうち三枚がくすんだ灰色になった右人差し指の指輪に魔力を通す。マルセルにとってこの指輪は、魔法杖としての役割も果たしていた。杖を振り回すのは古めかしくて格好悪いというのが理由だ。
シュバババ、と格好をつけたポージング(不必要)と共に、教本の詠唱をなぞる。
「出でよ 火の加護の下 我が敵を撃つ力よ 《火球》」
詠唱の完了と共に、右の掌の上に野球ボール大の火球が生まれる。
「む」
少しばかり掌が痛いのは、魔法を使った影響だろうか。体の中の魔力が押し出されて形になっているようだ。教本には、慣れてくると痛みは感じなくなるとある。俺とマルセルは別だから、弱いながらも痛みを感じたのだろう。
「だがこれで! 未来が開けてきたというものだ!」
俺が魔法を使えたということは非常に大きい。原作でもマルセルが使っていた《火剣》はともかく、マルセルが使用した描写のなかった《火球》魔法を使えたのは大きいと思う。
公爵家のマルセルは魔法において優れた才能を持っている。原作では家柄に胡坐をかいて碌な努力をしなかったが、俺は同じ轍は踏まない。
そう、一味も二味も違うのだ。今からでも優秀な魔法の先生に頼めば、才能を十分に発揮できるようになるだろう。
そうなれば、迫りくる破滅から逃れることも、否! 破滅自体を打ち砕くことも夢ではないはずだ!
「そのための知識も、俺にはある」
『なにをニヨニヨ笑っとるんや。気色悪いやっちゃのー』
「急に話しかけないでください、アディーン様。いや、これは強くなるために必要なことなんですよ。俺には精霊も加護なんかくれませんからね」
この世界には精霊という存在があるらしい。原作でも詳しい説明はなく、人や獣の姿を採って人前に現れたこともない。ただ、「例外的に強力な魔法は、精霊の加護を受けているのだ」と表現されるのだ。
加護、祝福、寵愛の三種があり、もっとも確認数の多い加護でも凄まじい力を発現する。同じ魔法、同じ消費魔力量でも、威力は倍は違う。
精霊の加護は希少性が高く、加護を得られるのは魔法騎士千人に一人の割合だ。
では祝福はというと、これは個人にではなく、特定の血筋に与えられるものだ。力においては加護よりも弱いケースも少なくないが、概ね強大な力を得るため、祝福を受けた家は例外なく重く用いられる。
寵愛は完全に例外扱いで、数世代に一人現れるかどうかとされている、のだが、そこはバトル漫画。主人公もライバルも寵愛を獲得するのだ。
ライバルに至っては、風の祝福がある上に、更に風の寵愛を得、のみならず、後に闇の精霊からも寵愛を獲得する。なんだこの天才は。
そしてもちろん、マルセルに加護を与えてくれるような酔狂な精霊はいないのだ。
『そら、まあ、自分に加護を与えようなんつー頓狂な精霊はおらんわな』
「止めを刺していただきありがとうございます。代わりに面白いものをお見せ致しましょう」
『おもろなかったら縛り首やぞ?』
思わず突きつけられるデッドオアアライブ。面白くなかったら死って、どんなお笑い芸人も体験したことがないに違いない。
「大丈夫、俺はできる俺はできる大丈夫大丈夫大丈夫だから俺はきっと」
『はよせぇや』
「お、おう」
言われて大きく深呼吸をする。死臭が肺一杯に入ってきて思わず吐いてしまった。右手に火、左手に風。十分な制御下にあることを確認し、両手を合掌するように少しずつ近付けていく。
俺のやろうとしていることがわかったのか、ようやくアディーン様に驚きの様子が見てとれた。ちょっと、すっきりだ。
『自分、それは……っ!』
そう、これぞ属性融合。原作では、アディーン様からの信頼を得た主人公だけが手に入れた力。主人公の属性が光。ライバルの属性が闇。双方を融合させて超絶的威力を持つ魔法を発現させていた。
直撃を受ける羽目になったシルフィードは、人工生命の研究施設諸共、跡形も残らなかったほどだ。「ぶっひぃぃぃいいいぃぃっ!?」という断末魔の叫びが印象的だった。
主人公は光の属性だけだったが、マルセルは火と風の二属性を持っている。余談だが、複数属性を持つものは稀で、そのほとんどが貴族だ。悪役三人組は三人ともが複数属性の持ち主だった。
俺の持つ火と風の二つを組み合わせて生まれる威力は、光と闇ほどではないにしろ、相当に強力だろう。さあ、刮目せよ。我が新たなる力を!
『待――――!』
アディーン様の声をかき消して、とんでもなく巨大な渦巻く火球が轟音を伴って出現した。吹き荒れる炎の嵐は訓練場を一瞬で飲み込み、尚も苛烈な蹂躙を続ける。完全に予想外の威力だ。
「ちょちょちょちょちょちょぉぉおおおお!? コントロールができなっっっ!?」
ダメだまずい! このままだと屋敷ごと吹き飛んでしまう。その前に俺自身が炭化して木っ端微塵になる。破滅エンドを避けるための属性融合魔法が、まさか即死エンドを呼び寄せるなんて!
『こんのダアホがっ! ワイも手伝ったるさかい、死ぬ気で抑え込まんかい! 自分の勝手でどんだけ周りを巻き込むつもりやねん!』
「面目ないいいいいぃぃいいぃぃっ!?」
魔力も気力も一切合切を引っ掻き集めて総動員だ。両腕を広げて大火球に手を回す。アディーン様の守護のおかげで燃えることはない。
全身のありったけの力を絞り出し、相手の背骨を抱きしめ折るかのように少しずつ溢れる魔法を抑え込んでいく。とても俺一人では魔力が足りないが、そこはアディーン様が助けてくれている。
「も゛も゛も゛も゛う゛少じっっ!」
『ようけ気張らんかいボケナス!』
「んぎぎぎぎぎぃぃぃぃっ!」
渾身の力を込める。奥歯が砕けた、と感じた瞬間、激しい音と共に大気が大きく弾けた。大火球を抱きしめ潰すことに成功したのだ。
「……ふひぃ~~~たしゅかったぁぁぁ」
全ての力を使い果たし、へたり込む俺の前に、血管を浮かび上がらせたアディーン様が浮いている。
「あ、あの……アディーへぶらば!?」
強烈無比な猫パンチが俺の頬を抉る。俺の体はきりもみ回転をして宙を舞い、派手な音を立てて顔面から地面にぶつかった。
『こっのボケンダラ! どないな魔法使とるねん! 自分がナニモンなんかはどうでもええけどな、自分でケツ拭かれへんことに手ぇ出すんちゃうぞダアホ! おのれが手ぇ出したもんがどないなもんかわかっとらんクソガキが、しょうもない好奇心で力ひけらかすなやダボがっ!』
「ぅぐっぽ!」
更にもう一発殴られた。
そ、そうだ。俺はなにを勘違いしてるんだ。原作でもアクロスは何度も失敗し、ボロボロになりながらようやく習得したのが、この属性融合だ。それもアディーン様からの指導を受けて。
知っていることと実践できることは全く別物だというのに。格闘技の知識はあっても実際にその通りに体を動かせないなんてこと、学生時代に経験しているじゃないか。
知っている世界、知っている人物に転生して、破滅エンドを回避するためだと名分を振り回して、できることとできないことも区別もつけずに無茶をする。
バイトでも似たようなことをしでかした。仕事を押し付けられて、能力や限界など深く考えずに安請け合いして、結局は失敗して怒られるんだ。
マルセルのことはそこまで詳しくはないが、俺は俺自身のことはよく知っているはずじゃないか。バイトだって最後には親が出てくることになったんだ。異世界転生だとかチートだとかよりも、もっと先に、考えておかなければならないことがあるじゃないか。
「ご……ごめんなさい……」
意識するより早く、謝罪の言葉が出ていた。