第二十二話 鉄板の品揃えは豊富です
「ひっ、ひぃぃぃいっ!?」
「何ですか、その驚きようは!?」
確かに、ヒロインと手を繋いだ時の反応としては画期的だった気がする。
しかし驚きである。まさかマルセルとビヴァリーの間に身体的接触イベントがあったとは。
下らないことを考えている場合じゃない。繰り返すがビヴァリーは美少女だ。転生前の人生でこれだけの美少女に会ったことはない。ましてや手を握られるなど。
意表をつかれて碌な反応をできない俺に構う様子もなく、ビヴァリーはただただ、マメの潰れた俺の手を眺めているだけだ。
「あの、ビヴァリー嬢? できれば、その、離してほしいのだが」
「っ!」
ビヴァリーが弾かれたように俺の手を離す。
本音は複雑だ。出来ることならいつまでも握っておいてほしい。でも距離が近くなると、死亡フラグの距離も物理的に近くなるし。このまま放っておいても、怒りとか蔑みとかのお言葉を頂きそうだしなぁ。
く、死亡フラグや破滅フラグさえなければ!
「失礼しました」
洗練された所作で謝罪をしたビヴァリーは立ち上がる。どうやら見舞いの時間は終わりらしい。
一応仮にも表面上だけであっても婚約者とは思えないほど、驚くばかりの短時間である。形式を前面に押し出した挨拶と礼を並べた去り際、
「剣ダコというほどではないな。これまでのことを考えると、真剣に打ち込むという言葉も信じるに値しない、か」
ぽつりと、しかしバッサリと切って捨てる彼女の声が耳に残った。
おや? もしかすると、ビヴァリーとの身体的接触なんて、これが初めてではなかろうか。原作知識は元より、マルセルの記憶の中にも見当たらない。マルセルとビヴァリーって本当に婚約者だったのか疑問がわき上がってくるよ。
どっちにしろ、ビヴァリーは主人公のことを好きになるし、俺も彼女との仲を深めようとは思わない。可能な限り早急に婚約を破棄する方向で行こう。
それにしても、なにをしても信じられない状態なのか俺は。
今までが今までだから仕方ない。フラグ持ち悪役がフラグから易々とは逃れられないのもまた、鉄板というべきか。
しかし鉄板なるものはどんな場所にだって存在する。破滅エンドの回避にも、鉄板と呼べるものがいくつもあることを、俺はよく知っていた。
破滅を引き込む相手から距離をとること。破滅の引き金となる言行を改めること。そして、破滅を振り払うだけの実力を身に着けることだ。
つまりは、魔法だ。そう、魔法ですよ魔法! ま・ほ・う! フーッ!
「…………坊ちゃま……ち、ちょっと失礼します」
いかんいかん。思わずテンションが振り切れてしまった。マルセルよ、紳士たれ。
嬉しさのあまりハードロックな感じにダンスってたら、名前も知らないメイドにドン引かれていたじゃないか。走り去っていった彼女が、我が両親に入院先の検討を上申していないことを祈ろう。
本題に戻る。
魔法についてだが、この世界には火水土風闇光の六属性の魔法が存在する。特に闇と光は強力な力を持っていて、適正者の数も少ない。
当然のように主人公は光の属性を持っている。物語開始最初は光の魔力こそあれど、使いこなす以前に満足に発動させることもできずに無能と呼ばれていた。
物語の進行に伴う様々な出会いや別れなどを糧として、遂に己の内にある光の魔力に正しく覚醒するのだ。
不遇を託っていた主人公が力に目覚める瞬間と、覚醒によってそれまで踏み躙ってきた悪役をコテンパンにぶちのめしたシーンときら、スカッとしたものだ。
「コテンパンにされたのは俺だけどな」
ボコボコになって五倍くらいに膨れ上がったマルセルの顔には爆笑したものだが、我が身に降りかかってくるとなるとたまったものではない。なんとしても避けなければ。
そして死亡フラグ回避後の、つまりは伯爵位を手に入れた後の生活を盤石なものにするためにも、強力な魔法の習得は不可欠と言ってよいだろう。あるいは貴族からも追放された場合の、冒険者生活を成り立たせるためにも魔法を習得しなければ。
異世界転生して冒険者になってみたいなあ、なんて憧れることもあったけどな。叶うなら、冒険者みたいな浮き沈みのある仕事よりも、このまま貴族としての恵まれた生活を送り続けたいんだけどなぁ。
魔法が当たり前に存在するこの世界の人間でも、魔力をイメージしたり発動させたりするのには、才能が必要だったりや時間がかかったりする。魔力を持っていても、魔法として発動させることができない人間も少なくないのだ。
言うまでもなく、俺は魔法など見たことはない。
だが現代日本人を舐めるなよ? 二次元文化が跳梁跋扈する社会に棲み、四桁に届く蔵書――ラノベと漫画ばかりだが――を誇る我がイメージ力を持ってすれば、魔法を把握することなど極めて容易い。だからこそ『火剣』という魔法を使うことができたのだ。すっぽ抜けたけど。
更に! 転生ものにはあって当然のチート知識も持っているとくれば、我が人生は敗北などあり得ない。もうなにも怖くない!
ただまあね? 基本的な知識は必要だからね? またすっぽ抜けでもしたら困るからね? とりあえず俺は家にある書庫に来ていた。
俺が書庫を使用したいと申し出ると、両親と兄と使用人たちは驚愕に目と口を丸くしたものだ。
そりゃあ、今まで学問には興味を示さず、持って生まれた魔力と権力で他者を虐げてばかりいた俺が、急に勉強をしたいなんて言い出したら驚くのが当然だろう。
驚くだけでなく、本人を目の前に入院先の相談をするのはやめていただきたい。魔力を封印する拘束具がある病院だけを重点的にピックアップするのは、本当にやめていただきたく存じます。
フッ、だが驚くのはまだ早い。諸君らはこれから、もっとすごいものを目の当たりにすることになるのだからな。
て、何様のつもりだ俺は。調子に乗ると碌なことにならないのは、日本でもこっちでも同じだろう。現にマルセルが失敗するのは、根拠もなく調子に乗るからだ。
慎重に、丁寧に、石橋を叩いて渡るつもりで人生を歩んでいくぞ。
そびえ立つ本棚から一冊の本を取り出す。
脳みそスライムでもわかる魔法・超☆入門編。
「…………」
おかしいな。その隣にある魔法教本初級編を取るつもりだったのに、なんだってこんな本を。世界からの悪意を感じた瞬間だ。
由緒正しい公爵家の書庫に相応しい本かどうかは別として、初心者向けなのは確か。マルセルの記憶が残っているから大体はわかるとしても、俺個人としては完全に魔法初心者である。
これと、他に魔法教本初級編を手にし、邸宅の地下にある訓練場に移動する。
訓練場と言っているが、実際は虐待とか殺人事件の現場である。親父殿たちは使っていないらしいが、他のご先祖様たちの代では購入した奴隷たちを、訓練と称して魔法の実験台にして殺してきた事実を持つ場所なのだ。
原作においては、マルセルが地下訓練場を使ったかどうかの描写はない。だが少なくとも、使用人たちの間では地下訓練場の存在と用途は知れ渡っているようで、
「ちょっと地下の訓練場に行ってくるよ」
「ぼ、坊ちゃま!? そんな! ああ、家族の皆、お姉ちゃんはもうお家に帰れません!」
俺が地下に降りることを告げると、専属侍女のカリーヌは顔を真っ青にし、胸の前で腕を組んで祈る仕草まで見せた。閉じられた瞳からはうっすらと涙まで流れている。
「いや、待て待て待て。誤解だ、カリーヌ!」
「知ってます」
「え?」
慌てる俺に、カリーヌは可愛い舌を出しておどけてみせた。
「昔の坊ちゃまのことは噂でしか知りませんが、今の坊ちゃまのことは直接知ってます。使用人を傷つけたりはしないでしょう」
「えぇ~」
信用度が上昇したことは素直に喜ばしい。他の使用人たちが絶望を全身で表していた――ラウラだけは敵意と軽蔑を表していたが――ことを考えると、カリーヌのことはこれからも大事にしていこう、と改めて決意したのだった。
「では坊ちゃま、こちらをどうぞ」
カリーヌは大きな包みを用意してくれていた。
「これは?」
「お弁当です」
「へえ」
……………………ぅえ!? べ、べべっべべ弁当!? 母親以外の人から始めてもらう弁当だよこれは!