第二十一話 婚約者との対面(過緊張気味)
キャラ名鑑からの情報によると、サンバルカン公爵家は最初からウォリッド伯爵家を借金で縛り上げるために融資を行ったと書いてある。伯爵家がサンバルカン公爵家と敵対している派閥と仲が良いことが理由とのことだ。
やっぱこれ、救いの手じゃねえな。嵌めただけじゃん。金を返せないなら娘を寄こせ、と突き付けたのが一年前のことである。
ウォリッド伯爵家は武門として高名なため、サンバルカン家が宰相職に返り咲くために軍部の支持取り付けでも狙ったのだろうか。
ビヴァリーは家のために、とこの話を受け入れ、伯爵家の人間は無念の涙を流したという。曰く、お通夜みたいな空気だったと。昔話に出てくる、人身御供に捧げられるような気持だったのかもしれない。
なぜなら、当時から可憐で美しく聡明であったビヴァリーと違い、マルセルの悪評はこのときには既に広まっていたからである。
家の権力を笠に着て弱者をイジメる。イジメるのも相手が一人で自分たちは複数で行う。成績を金と権力で買う。
平民を見下し、下級貴族を見下し、前線で戦う兵士を見下し、安全な場所で高級なお茶を飲みながら手前勝手な愚論を正論として振りかざす。
悪徳貴族だとしてもこの年齢でこれだけの悪評を手にしている人物も他にいまい。立派な尾ひれ背びれ胸びれがついても、誇れることではない。
一般市民にではなく、あくまでも貴族たちの間だけのことだが、ビヴァリーにとってはなんの慰めにもならなかったろう。
俺としては、貴族社会の嫉妬も関係しているのではないかと思う。俺やサンバルカン公爵家の面子を潰そうとしているとか。公爵家はともかく、俺の面子なんてとっくに踏み潰されていると思うんだが。
俺の記憶にはないがマルセルの記憶には、ビヴァリーと初めて会ったとこのことが鮮明に残っている。見事な金髪と美貌に一瞬で心を奪われた
――――婚約者として今日からよろしくお願いします。
非の打ちどころのない所作と好意に満ちた眩しいほどの笑顔、だとマルセルの頭には刻まれている。実際はまったく違うということを、俺は知っている。
マルセルの記憶は、マルセルに都合のいいように脚色が施されていた。今のビヴァリーを見れば、当時がどうだったかもすぐにわかるというものだ。
顔合わせ以後のマルセルは必死にビヴァリーに話しかけ続け、こう確信する。
ビヴァリーは自分のものだ、と。
もちろん誤解であり、妄想だ。
公爵家の財力で助けてやったと認識していたマルセルは、初対面のビヴァリーに対し
「名誉だなんて下らないものに縋りつく惨めな貧乏人め。命令だから仕方なくお前みたいなどうしようもない女と結婚してやるんだ。ありがたく思って、一生、尽くせよ」
と言い放ったのだ。
最低としか言いようがない。ビヴァリーのみならず、伯爵家からの印象が最悪になっているのも当然だ。
ファンブックにも色々と書かれていたな。マルセルとの初顔合わせの場で実に立派な口上を満面の笑顔ですらすらと並べつつ、軽く細められた目の奥からは汚物を見るような眼光を叩きつけていた、とか。ビヴァリーのマルセルに対する好感度はゴキブリ五百匹分だったけか。
当のマルセルは気付くどころか、ビヴァリーの笑顔を受けて舞い上がっているだけ。このときから道化だったのだから、筋金入りだ。
俺としてはビヴァリーとの仲を進展させるつもりはない。ラウラ同様、原作ヒロインとはできるだけ距離をとる。嫌われているとわかっている相手に近付くような根性も持ち合わせていないしね。
ビヴァリーが、ハトが豆鉄砲を食らったように硬直してしまっているので、仕方なくこっちから声をかける。
「ビヴァリー嬢、どうされました?」
嫌われている相手に話しかけるのって、結構な勇気がいるんだね。
「え? ああ、いえ」
珍しい。ビヴァリーが狼狽えている。過去、彼女がマルセルの前でとる態度は固定されていて、小動もしなかった。今のように素の態度を見せたことは、なかったはずだ。
俺が、なにかあったのか、と疑いの視線を向けると、ビヴァリーは一瞬の半分にも満たない間に顔と雰囲気を立て直した。
「いえ、マルセル様のお元気な様子が嬉しかっただけです」
「……」
うん、安定の冷厳さです。やっぱりさっきのは俺の見間違いだ。そうに決まっている。ビヴァリーが素の自分を見せるのは、主人公アクロスに対してのみ。俺のような嫌われものの悪役に見せるなんてありえない。
本来なら、ビヴァリーに会えたことでマルセルは飛び上がらんばかりに喜ぶ。蔑まれ嫌われていると知る由もなくはしゃぎ、次から次へとビヴァリーの地雷を踏みまくることだろう。
騎士道を重んじるウォリッド伯爵家、そんな伯爵家を借金で身動きできなくしたサンバルカン公爵家。家レベルで仲良くできるはずがない。親父殿よ、どうしてこんな婚約を仕組んだんだ。
「あら? マルセル様、それは?」
ビヴァリーの目が捉えたのは、俺の手だ。正確には、俺の手にある潰れたマメを見ている。
マルセルは剣をもって前線で戦うのは兵士――貧乏人で使い捨ての――の仕事と考えていたから、剣ダコができるまで剣を振るうなんてことはなかった。原作にこんなセリフがあった。
――――俺が魔法の準備を整えるまでてめえらは死に物狂いで盾になってろ! 危険だぁ!? 知るか! てめえらの危険なんぞ俺の手柄の前にはゴミみてえなもんだ!
である。
「これは、お見苦しいものを見せてしまいました」
「剣を、振っておられるのですか? マルセル様は剣には興味がないものとばかり」
マルセルはそうだ。正直なところ、俺もそこまで剣に興味があるわけじゃない。けれど魔法の練習に誰も付き合ってくれない以上、生まれ変わったことを示すためにはまず、剣の練習に真剣に取り組むところから始めるくらいしかないのである。
「血を吐いて死にかけたことがかなり堪えまして。これを機に真剣に打ち込んでみようと思ったのです」
嘘ではない。今の俺は破滅エンドまっしぐらのマルセル・サンバルカン。回避するための努力は、どんな分野であってもするべきだ。飛天〇剣流に憧れたこの身が剣術を励むのに何の不思議があろうか。
あれ? ちょっとまてよ。となると、勉強はどうなるのだろう? マルセルの成績はそこそこ優秀ではあっても、トップではなかったから、もしかすると家庭教師がついて猛勉強をさせられるかもしれない。
うう、勉強、嫌だなぁ。そんなことを考えていると、目の前のビヴァリーが俯いていた。俺からは見えない位置で何事かを呟いている。
「そうですか……剣術を」
「?」
少し考え込むような仕草のビヴァリーだ。なんだろう。ウォリッド伯爵家は武闘派に相応しく、剣術には熱心に取り組んでいるから、このことがなにか関係しているのだろうか。
「あの、マルセル様」
「なにかな?」
「ちゃんと医者に診てもらってますか?」
どういう意味かな!? 俺が真面目に取り組むことがおかしいと言わんばかりだ。これまでのマルセルのことを踏まえると、どう考えてもおかしいとしか言いようがないのだけどね!
いやちょっと待てよ。ピコン、と俺の脳内に電灯が点いた。古臭い表現で恥ずかしい限りである。
ここはいっそ、ウォリッド伯爵家を通じて、剣の修業をつけてもらうというのはどうだろうか?
伯爵家は武名高き家系であり、宮廷剣術の指南役にも選ばれているほど。作中で起きた戦争では、ウォリッド伯爵家は当主も跡取りも隠居していた先代当主も大暴れを見せつけてくれたものだ。
それに、だ。剣術の修業を真剣にしていることが伝われば、ビヴァリーや伯爵家からも見直してもらえるかもしれない。
いや、それどころか! ひょっとしたらビヴァリーからの好意を得られるかもしれないごめんなさい調子に乗りました。俺には荷が重すぎます。ていうか、原作ヒロインは残らず主人公が持って行ってください。俺は破滅エンドを回避するだけで手一杯の精一杯なんです。
伯爵家に剣を習うという選択肢をゴミ箱に放り捨てる。
さて、ビヴァリーにどうやって穏便且つ迅速に帰ってもらおうか。
他人を貶めることにしか使ってこなかった脳みそを、自己保身のために使う。俺って一体……なんて自己嫌悪と戦いながら考えていると、急にビヴァリーの繊手が伸び、俺の手を掴んだ。