プロローグ 死×三編
悪の組織からすらも切り捨てられてしばらく。
数瞬先に迫る死を目前に、
「おのれぇぇえぇっ! 平民如きがぁぁっぁああっ!」
マルセルは喚く。
マルセルの目の前にあるのは、強大な魔力の渦だ。
渦の向こう側を見えないが、それでも尚、マルセルは渦の向こう目掛けて激しく罵る。
魔力に混じって、非難と罵声とマルセルの耳に届いた、気がした。極めて不愉快な内容の。
「黙れ、ゴミ平民が! オレたちのおこぼれで生かしていやっているのに、よくも恩を仇で返しやがって! 許さん! 許さんぞおおぉぉおおぉっ!」
自分が正しい。自分を攻撃してくる奴らが根本的に間違っている。
食事に困っている連中を嘲笑いながら高級料理を貪った。
なにが悪い? 自分の金で食事をしただけだ。
無礼を働いた平民を、家族含めて投獄した。
当然だ。一族郎党に累を及ぼさなかっただけでも感謝しろ。
敵の攻撃から盾にした平民が死んだ。
どこに問題がある。貴族の命と、雑草のように増える平民の命。どちらに価値があるかは明白だ。
なにも間違ってはいない。
なのに、己を打倒しようと目論む悪鬼羅刹共。
その首魁、アクロス・ウィング。
薄汚い平民。偶々、光の魔法の素養があるからと、魔法騎士学院に入った落ちこぼれ。
そう、まさに落ちこぼれだ。光の素養があるという触れ込みなのに、光魔法を発現した例がない。
歴史と伝統と格式ある学院に相応しいのは、同じく歴史と伝統を持ち、その重みを理解している貴族だけ。平民の落ちこぼれなど、排除するべきだ。
自分は大義のために動いたというのに、周りは誰も理解しないばかりか、それどころか、次々に人が離れていく。
最高位貴族を追い落とし、破滅へと追いやる諸悪の根源、それこそがアクロスに他ならない。
その薄汚い平民の周囲には、多くの人間が集まっていた。
アクロスのライバル、エクス。
マルセルの婚約者だった、ビヴァリー。
マルセルの家庭教師だった、キャロライン。
公爵家でメイドだった、ラウラ。
他国の公爵家出身で聖女とまで称えられる、エリーゼ。
「なぜだぁぁぁぁあああああっ!? なぜ誰も理解しない! オレが正しいのにオレが正しいのにぃぃぃいいっっっつぃいぃ!?」
死を前に、マルセルの憎悪の炎はより激しさを増す。
本能なのか、魔力の渦に向けて手を伸ばす。伸ばした腕は渦に呑まれ、削れ砕けていく。
「ぎぃぃいいぃいやぁっぁぁぁあああぁぁぁぁぁ!?」
公爵家に伝わる由緒正しい指輪も弾け飛んだ。
「絶対にぃいいぃいい許さないいいいぃいいぃぃぃいっ」
「許してもらう必要はない!!」
アクロスは強大な魔力を、明確な意志でもって、強く硬く握り込む。
突き出された拳は、大量の鼻水と涙と涎に塗れたマルセルの顔面に突き刺さった。
ぐちゃり、と人体が発したとは思えない音に、嵐のような怒涛の連撃が重なる。マルセル吹き飛び、空中で更なる追撃を受ける。
もはや痛みすら感じなくなった最後の最後、マルセルの目から一筋の涙が流れたのは、後悔なのか懺悔なのか。
その正体を知ることもなく、マルセルの涙もまた、突き出される光拳の衝撃によって頭蓋ごと消し飛んだ。
「うぎゃぴいいいいぃぃっ!? なんでなんでオォォオォレがこぉぉんな目にぃいぃほげぽぱああぁ!?」
マルセルは自分の身になにが起きたのかを正確に把握していた。ある程度、だが。
あの日、マルセルは自分の肉体を締め付ける「なにか」に気付いた。
マルセルの記憶の最後は、平民に吹き飛ばされたところまで。
目が覚めた、と思った瞬間、全身が締め上げられていると自覚する。五体を締め上げる文字の帯が視覚に飛び込んでくる。
強烈な締め上げに、破裂する、と恐怖すると同時、文字の帯が髪の毛一筋の隙間もないほどに巻きついてきた。
「ぷぁっ!?」
薄暗い洞窟の一室、そこには黒いフードを被った男がいた。組織の幹部だった男。
声を上げようとして、マルセルは自分の意思ではなにも出来なかった。
男が動けと命令すれば動き、殴れと命じれば人でも岩でも殴る。肉体が破損しても、腐肉や泥がこびり付いて修復される。
そう、マルセルは自我を保った上で命令通りに動く、修復機能強化ゾンビとして復活させられたのだ。
貴族の自分に命令? 無礼討ちにしてやる。そんな愚考は徹底的な懲罰でへし折られた。疑似痛覚を与えられ、あらん限りの拷問を受けたのだ。
――――ぼぎゃぁぁぁああっっ!? も゛、もゔ許じで下ざぃぃいい゛~~
――――ふん、胸糞悪いゴミ貴族が。今度はてめえが踏み躙られて、使い潰される番だ。
命令は一つ。アクロスを殺すこと。
ここでマルセルは希望を抱く。光の魔法を使うアクロスなら救ってくれるのではないか、と。
下賤な平民に贖罪の機会を恵んでやる。救いを寄こすのなら、最大限の慈悲でもって許してやってもいい。この家伝の指輪に誓ってやろうじゃないか。
「ろめぷろも!?」
せっかくの慈悲は正しく報われなかった。
死罪だけは勘弁して奴隷落ちだけで許してやると言ったのに、奴らときたら、剣で斬り、魔法で焼き、打撃で砕く。そして破損した肉体は、瞬く間に修復される。
「ぽぎゃぁぁぁああっぁぁっ!? 痛い痛いいだい゛いいぃ゛ぃぃい!?」
疑似痛覚も付属されたままだ。
身を裂く痛みに襲われても、悲鳴を上げながら、命令の通りに攻撃を続ける。
「おげっぽぽぅ!?」
アクロスたちの行動は変わらず、マルセルはメタメタに叩きのめされた。
「き、きひゃまら、こ、のきじょくのフォレ様、に向がっでぇ~~ぇぇ」
尚も血にしがみつく。貴族の矜持や誇りにではなく、高貴な血、という特権の源に縋りつく他ない。
迫るアクロスは、一度目にマルセルを倒したときよりも成長していた。
自分は死に、ゾンビとして消耗品の如く扱われているのに、アクロスは着実に成長を遂げている。
「どぅ……ぼじで、ご……ぉんな、ごど、にぃ……」
迫るアクロスの目は冷めきっていて、同時に剥き出しの殺意があった。
アクロスの一撃を受けて腐った肉体は四散し、首は胴体から千切れ飛ぶ。
砕けなかったのは指輪だけだ。
視界がぐるぐると回り、回りながら落下していく。どん、と音を立てて地面に落ちる。
三回転程し、マルセルが最後に見たものは、落下してくる靴底と、家伝の指輪の輝きだった。
「ぷぎょうぅぅおおぉぉっおぉっ!?」
三度目の目覚めがマルセルを襲う。
マルセルは悲鳴混じりの意識で、真っ先に自分の手を確認した。
「……生身……か?」
腐った手ではない。どこにもツギハギのない、皮膚の下で虫が動いているようなこともない、生身の手。右手には相変わらず家伝の指輪が輝いている。
「夢、だったのか?」
そうだ。高貴な貴族であるこの身が、ゾンビなどになるわけがないのだから。
ゾンビにされて使い潰されるなど、あってはならないこと。夢にしても荒唐無稽が過ぎる。
「いや、そんなことはどうでもいい。生きてるなら、することは一つだ」
復讐を改めて誓う。今度こそ分際というものを叩きこんでやらなくては。
ぽぎゅ、と足元から小気味よい音がした。
「…………え?」
マルセルが視線を足に向けると、足首から先が潰れているのが見えた。
「っっっ~~~~~~~~っっ!?」
あまりの激痛に声が出ない。マルセルが吐き出すことができたのは膨大な空気の塊だけだった。
なになになにが起きたなにが起きたんだよ!? いた痛い痛い痛いぃィい痛い痛ぃいいぃっ!? オオォオレオオォォオぁっ足足足ぁぁああしぃいいぃっ!?
――――潰すために蘇生を?
――――他に使い道がない。
のたうち回るマルセルを見下ろす、二つの人影があった。
――――と仰いますと?
――――こいつは役立たずでも、こいつの血には僅かばかりの価値がある。アレの器だったんだ。アレの力がこびり付いているだろう。
――――期待できるレベルのものが回収できればいいのですが。
マルセルは苦悶の中で二人の男を見上げる。
「っっっ」
あまりにも冷え切った男たちの目に、マルセルは痛みすら凍り付いた。
男の一人が掌をマルセルに向け、握り込む。
「あガぁっ!?」
ぽぎゅ。ぱきゅ。ぐきょ。マルセルの肉体が凄まじい勢いで圧縮されていく。
「ぎゃぎゃっがやがやっやっぎゃっっゃぎゃゃがっやがぁ!?」
下腿、大腿、腰、両手、腹部、胸部と順に潰されて行き、最後に頭部も乾いた音を立てて潰された。
圧壊を免れた指輪だけが乾いた音を立てて石造りの床を転がる。
残ったのは、中空に浮かぶバスケットボール大の赤黒い球体だけ。
その球体もどんどん圧縮されていく。バスケットボールも遂にはビー玉程度に。
ちっぽけな肉塊と成り果てたマルセルから、ほんの一滴の真っ白な液体が零れるように分離した。
もう一人の男が古ぼけた杯で雫を受け取る。
――――これだけ、ですか?
――――そのようだ。所詮は仮初の、最低最悪最劣とまで言われる出来の悪い器。期待しすぎるのも酷だ。それに、一滴であってもアレの力であることには変わりない。
――――生まれて初めて、役に立ったというわけですか。
――――蘇生の手間が余計だがな。
びちゃり。
極々小さな音を立てて、マルセルだった肉玉が地面に落ちる。男たちは杯にのみ視線を送り、マルセルには見向きもしなかった。