第十七話 戦闘メイドも鉄板
だから、
「(ガクガクガクブルブルブル)」
歯の根が合わなくなる程、全身が震えるのは仕方のないことだ。決して冷えた体を温めるためのシバリングなどではない。
自室であるはずなのに、なにこのえげつないレベルのアウェー感は。三人組揃い踏みのときは鬱陶しく感じるだけだったのに。
俺の記憶だと彼女の年齢はこのときで十三歳のはず。無表情の裏に感じる空気がもう、殺気と言って差支えないレベルなんだけど、これ。
ていうか、これ、本当に殺気じゃないよな? 仮とはいえ主家の人間に向けて本当に殺気を向けているわけじゃないよな? 俺の気のせいとか考えすぎとかですよね?
もしかするとラウラの奴、俺からは死角になっている位置でナイフを取り出したりとかしていないよな?
コホン。俺は一つ咳払いをした。
「本当に大丈夫だ。大丈夫だ本当に大丈夫だから!?」
「は、はぁ……」
戸惑い全開といった感じのラウラだったが、精神とかサナトリウムとかの単語がポツリと聞こえてきたのは気のせいだと信じたい。
(何でこんなに信用度が低いんですかね?)
答えのわかっている質問をアディーン様にする。
『そら自分、いつもと全然、態度が違うからやろ。例えば一人にしといてくれ言うときも、前やったら、さっさと出て行け、くらいは言うて花瓶の一つでも投げつけとるところやで』
確かに振り返ると、そんなことをしていた記憶が残っている。原作ではなく、マルセルの肉体に染み付いた記憶の話だが。花瓶を投げつけて顔にケガをしたメイドに対し、醜い顔を見せるな、とクビにした記憶も残っている。
『クソやな、自分』
「ごっふ」
容赦ない言葉が俺の胸を抉る。抉られた後に剥き出しになったのはなんだったのだろうか。良心、は元より備えているから問題ないとして、これは後悔と決意だ。二度とあんな悲惨な目に遭わないための。
だってマルセルは貴族だ。元の俺のような庶民じゃない公爵家の人間だ。兄がいるから公爵家を継ぐことはできなくとも、無難に過ごしていれば伯爵くらいにはなれるはず。
権力も財力も公爵家に比べれば格段に劣るが、貴族は貴族。上手に立ち回って父や兄の機嫌を損ねなければ、爵位だけではなく、自分用に公爵領の一部を貰うことだってできるはずだ。
マルセル・サンバルカンとしては業腹。しかしアクロスたち主人公メンバーにかかわったら、特権どころか死んでしまう。
悪役転生によくある「主人公に代わって世界を救う」展開に憧れがないと言えばウソになるが、まずは自分が生き延びることだ。
国とか世界を滅ぼせるようなバカげた力の持ち主たちと戦うよりも、貴族の次男坊として当たり障りのない人生を歩むべきではなかろうか。
伯爵か……いいかもしれない。悪役転生したけど、主人公にも世界の危機にも背を向けて、田舎で伯爵としてのんびりと暮らします。素晴らしいタイトルだ。
『おいこら、公爵家は王国に三家しかないけどな、伯爵家かて三十もないはずやろ。十分、特権階級やないか。田舎でのんびりて、どんだけボケくさった考え方しとんねん』
(俺は……生まれ変わろうと思います)
『自分、ワイの話、全然、聞いとらへんな? つかその決意、何回するんや』
(これまでの俺がクソだったというのなら、クソであることがあの悲惨な未来を引き寄せているという事は揺るぎない事実。ならば俺はどんな手段を使っても絶対に生まれ変わってやる。絶対に生き延びて伯爵になってやる!)
『自分、ちょっと前には冒険者がどうたら言うてへんかったか?』
「あのぅ、坊ちゃま? 本当に大丈夫ですか?」
長くアディーン様と話していたのを不審に思ったのか、またラウラがこちらを伺ってきた。
「もちろん大丈夫だ。何の話だったかな。ああ、俺が変わったかどうかだったな。変わった、ように見えるかな?」
できるだけ優しげに穏やかに返す。内心はビクビクしながら。心持ちラウラから距離をとって。死活問題的な理由があるのだ。
原作ヒロインに近付きたくないというのも理由の一つだが、もう一つある。ラウラの立場だ。
彼女は主人公のハーレム要員の一人である。高い戦闘力を持っていることは確かだが、彼女の真骨頂はそこではない。
暗殺者としても優れた技能を持っているヒロインという点だ。そう、暗殺。まったくもって冗談じゃない。
原作十一巻か十二巻に、シャールズベリという名詞が登場する。地名であり組織名でもあり、地名としては、王家直轄領の一つで、表向きは繁栄もさびれてもいない中堅都市だ。
組織名としては、王家直属の秘密部隊養成所である。主人公をはじめ、華々しく活躍する魔法騎士が表とすれば、まさしく裏。情報収集や破壊活動、誘拐に暗殺と、国のためならなんでもする。
このラウラはそこの人間だ。それもかなり凄腕。
幼い頃にシャールズベリの幹部に拾われて以来、裏家業の技術を叩きこまれてきたのである。主人公たちが十二歳という年齢で学院に通っているのに対し、ラウラは八歳で初めての人殺しを経験しているという。
漫画で明らかになるのはかなり後になってからだが、王国は十二使徒のアディーン様を宿すマルセルを監視するために、シャールズベリの人間を潜入させていたのだ。
潜入任務を担っていたのがこのラウラで、しかも、必要ならマルセルを殺害する許可まで与えられていたというのだから、恐ろしい話である。
実際にマルセルを暗殺する場面はなかった――ラウラが手を下すまでもなくマルセルが死亡しただけ――が、他のキャラを暗殺することで主人公たちを助ける場面は何度もあった。
「ええ、本当に変わったと思います。以前は取り組んでいなかった剣の稽古にも、精を出すようになりましたし」
ラウラの表情は小動もしない。
ねえほんと、お願いやめて。魔法の才能に恵まれた体に転生したといっても、中身はケンカもしたことがない甘ちゃんなんです。好感度:ゼロ、嫌悪感:百、職業:暗殺者と同じ部屋にいるなんて、生きた心地がしません。
ここで少し踏み込んだらどうなるんだろう。以下はシミュレーションである。
――――シャールズベリの人間は本当におっかないな。
――――どこでその言葉を?
ラウラの手には、俺から見えない位置でナイフが握られていることだろう。少なくとも漫画ではそうだった。ギラリ、ナイフが閃いた。
シミュレーション終了。
想像の中だけなのに、どっ、と俺の背に冷や汗の滝が流れた。確かに剣の稽古を本格化させてはいるけど、とてもじゃないがラウラに対抗できるレベルじゃない。
ヤバイヤバイヤバイ! そうだよ、シャールズベリなんて単語、マルセルの口から出てくるはずのないものじゃん。地名は知っているのはともかく、機能まで知っているなんて不自然極まりない。
踏み込まなくてよかった。踏まなくていい地雷を踏み抜きに行ってどうするんだよ! バカバカバカ俺のバカ! 滅多打ちエンドの前に、刺殺エンドを手繰り寄せてしまうじゃないか! いや待て。言い訳のシミュレーションもしておこう。
以下、再びシミュレーション。
――――アディーン様から聞いたんだ!
――――たしかに、十二使徒様ならシャールズベリのことを知っていても不思議ではありませんし。
お? なんかうまくいきそうな予感。
――――仕方ありません。十二使徒様は重要ですが、器は取り換え可能。気付かれたならば取り換えるようにしましょう。
――――ぎゃああああっ。
シミュレーション終了。
あれぇ? 言い訳を並べても、俺にあまりにも優しくない結末しか想像できないんですけど。これが悪役補正というやつか。いらねえよ、そんな補正。どうせ補正が入るなら、善人補正とか転生補正とかが欲しい。
コホン。俺は一つ咳払いをした。