第百十七話 いざ
さすがに疲れていたのだと実感する。初めての冒険者ギルドに、飛行魔法と墜落。森の中での戦闘、続く救出作戦だ。更にはあの外科的解呪の連発とくれば、疲れるのも当然。
アリアが用意してくれた夜食を平らげた後、歯も磨かずにベッドに飛び込むと、すぐに眠りの底に転落していった。
ついでに目を覚ましたときには、ベッドの下に転落していた。
「ぶっひっひ、おはよう、マルセル殿。首が面白い角度を向いているが大丈夫かい? 湿布でも貰ってこようか?」
いよいよ試験当日、という緊張感と共に学院の制服に袖を通し、食堂に降りる。多くの学生たちが行きかう中、既に席に着いているシルフィードは直ぐに見つけることができた。昨夜は震えて眠っていたのに、どうやら克服したらしい。
「おはよう、シルフィード君。湿布はアリアがもらいに行ってくれている」
首の強い痛みが試験や、エドワード対応に支障がなければいいのだが。
「ほほう、さすがアリア嬢。素早い動きだ。僕には真似できそうにない」
「前よりも少し痩せたと言っていなかったか? 妹さんが積極的に協力してくれるとか」
「きょ、きょきょ協力ぅっ!?」
絶望に彩られた表情をこんなところで披露するなよ。
「協力などと、そんな迂遠で歪曲された表現があるのか。あれはしごきとかイジメとかの領域だ。リンジーも一緒になって、もはや楽しんでいるとしか思えないっ」
リンジーというのが誰かは知らない。知らないが、頭を抱えて太い体を振るわせる様は、どこか深刻な心理的ダメージを負っているようにも見える。
なんかこいつ、順調に破滅から遠ざかっていないか? 生命を弄ぶ悪役、としての威厳はどこに吹き飛んでいったんだ?
原作だとこの時期のシルフィードは、どっぷりと人形制作にハマっていて、希少素材を求めてあくどい真似をしているはずだ。密輸とか、善良な役人の買収とか。
なのにどうして、俺の知らないキャラとラブコメみたいなことをやってるんだ。おかしいな。結構、必死にやってる俺は破滅の引力に捕まったままな感じがして仕方ないのに。
「いいじゃないか。適切な体重管理は必要だと思うぞ」
「適切とは言い難いのだが!?」
「もしかして、朝食の量が少ないのもその影響か?」
「む」
テーブルの上に置かれている食事は一汁一菜。質素なもので、とてもではないがシルフィードの拡張気味の胃を満足させてくれるとは思えない。
「ぶひぃ、なにを食べたかを報告しろと言われてるんだ。メタボがどうとか糖尿がどうとかうるさくて。リンジーは嘘を見抜く魔法を持っているから誤魔化せないし、昨日は昨日で、遠見の魔法で僕の食事を見られていたし」
昨日、なにを食べていたのかはあえて聞くまい。とりあえず、厳しいんだな、と同調かどうかも微妙な表現をしておく。
「ところで、クライブ君は?」
「クライブ殿なら……ああ、戻ってくるところだね」
後ろを向くと、クライブが両手一杯に果物を持って歩いてきた。
「おお、マルセル氏、起きたでおじゃるか。昨日は随分と忙しかったご様子。しかと休めましたかな?」
「ぐっすりと寝たよ。騒がしくしてしまったならすまない」
「いやいや、麿も熟睡しておった故、気付かなんだでおじゃるよ」
そう言ってもらえると気持ちが楽になる。
楽になった気が向くのは、クライブが抱える大量の果物だ。あれは、ヤシの実か。食後のデザートだろうか。クライブの返事は似て非なるものだった。デザートではなく、食後のドリンクだという。
クライブはサク、とヤシの実に噛みつく。まるで桃か梨のようにヤシの実は食い千切られ、噛み痕にできた穴から溢れた果汁がグラスを満たしていく。どんな咬合力だよ、こいつ。
五つのヤシの実をサク、サク、サク、と易々と食い千切って作ったジュースを一気飲みする。どうやらこれで朝食終了のようだ。
俺はというと、麦粥と焼きソーセージにお茶だけ。大学生時分にはコーヒーも飲めていたのだが、マルセルに転生したからは飲めなくなっていた。味覚が子供に戻ったようだ。
大学生時代も別にコーヒーの味なんか碌にわからなかったけどな。なんだよ、キリマンジャロとかブルーマウンテンとかって。インスタントで十分だ、十分。
「ぶひ、それだけで足りるのかい? は、もしやマルセル殿もダイエットを」
「違うから。これで十分なだけだから」
「タンパク質が足りんでおじゃるよ。朝タンという言葉は重要でおじゃる」
「そんなバランスが悪いか?」
朝タンなる言葉は、日本の健康番組で聞いたことがあるようなないような。
朝食は食べ終え、アリアがもらってきてくれた湿布を首に張り付ける。魔法騎士の必需品、魔法杖を確認して、昨夜シルフィードが教員から受け取ったという整理券をポケットに入れ、これで朝の準備は完了。
「じゃあ、行ってくるよ、アリア」
「若様……くっれぐれも気を付けて動いてください」
「わかってます」
宿舎の入り口でアリアに見送られ、レイランド王城へと向かう。
王城の中に入るのではなく、王城城門前が目的地だ。城門前の広場には試験の監督官が十二人、立っている。十二人なのは、「魔聖ダリュクスの十二使徒」から採ったものだ。
監督官一人一人が整理券の番号を呼び、呼ばれたものが監督官から封書に入った書類を受け取る。この中に試験内容が書かれており、各参加者が内容に応じた行動を採るのだ。
格好いいものなら、指定された整理番号を相手から奪う「奪取任務」、商人を守って移動する「護衛任務」、数少ないながらも盗賊や山賊を退治する「討伐任務」もある。
格好悪いものとしては、どぶ攫いであったり、失せもの探しであったり、迷い猫探しであったり、金持ちのドラ息子の遊び相手などがある。
「よっしゃ、護衛任務!」
大声ではしゃいでいるのは、主人公たちだ。原作通りだ。レイランド王都から山を一つ越える役人の護衛だ。
「えどわーど様、コチラヲ」
サラが受け取った封書をエドワードに渡す。エドワードは試験内容を見て、つまらなさそうに唇の端を釣り上げた。
この役人が持っている「荷物を奪う任務」を受けたのがエドワードたちで、主人公たちとエドワードが衝突するのである。もちろんこの役人は、試験に合わせて用意された試験官で、主人公たちとの戦いに巻き込まれてもケガ一つなかった。
今回、俺とエトルタが考えている、ルーニー伯爵諸共に叩く作戦を遂行する上で、主人公たちとの接触はかなり邪魔になるが、まあ、これはなんとかなるだろうと思う。
原作でエドワードが襲撃を行ったのは、護衛任務の終盤だった。エドワード、というよりも黄昏の獣たちにとって重要なのは、ルーニー伯爵の持つ魔障石の研究データだ。従騎士試験など、どうでもいい類に入る。
原作でもエドワードは、「ついでだ」と言って主人公たちの前に現れるのだ。主人公たちと衝突する前に、こちらで対処してしまえばいい。
「? マルセル氏、呼ばれているでおじゃるよ?」
「へ。あ、ああ、すまない」
段取りを考えていると、呼ばれたことにまったく気付かなかった。監督官のところに走っていき、封書を受け取る。
受け渡しの一瞬、監督官の目が鋭くなった。エリーゼが手を回したことを知っているのだろう、失敗するなよ、と念押しをしてきている感があった。
わざわざ口にされるまでもない。こっちだって危ない橋を渡っている身だ。
「ふむん、マルセル氏、あの試験官とはなにかあるでおじゃるか?」
「へ?」
戻ってくるなりのクライブの指摘に、心臓が少しだけ跳ねる。隣ではシルフィードも、疑念を抱いている風だ。