第百十六話 ルーニー伯爵はコツコツ型
同じ魔障石でも、以前に俺が目にしたものとはワケが違う。黄昏の獣たちが研究と実験を繰り返して完成度を高めていった石だ。
実験とはつまり、各地への実戦を伴う投入のことであり、最近のレイランド王国で出現している化物の正体である。実験と称して街中で魔障石を発動させ、竜騎士や魔法騎士との戦いを観察しては分析し、次の魔障石開発に繋げていく。
その研究成果たる、最新型の魔障石の現物と研究データを、エドワードに渡すのだ。
レイランド王国内で睨まれつつあるルーニー伯爵と、悪評高いエドワードが接触するのに、従騎士試験は都合が良い。
むしろ従騎士試験の隠れ蓑がなければ、この二人が会うことはいたずらに周囲を刺激し、治安機関の警戒を煽ることになる。
「わかりました。若様がそう言うのであれば、あたしは武運を祈るだけです。試験本番では十分に気を付けてくださいね」
「ああ、もちろんだ。ありがとう」
「…………」
「アリア?」
黙りこくったアリアの顔を覗き込むと、アリアはガシッと俺の両肩を掴んできた。
「……本っ当に気を付けてくださいね?」
「信頼度低くない?」
「だって、若様が時々無茶をすることはよく知っていますから」
アリアが表情を曇らせる理由もよくわかる。俺としては破滅回避のためなら、何でもするつもりではある。その、何でも、は俺としては当然の行動でも、周りからすれば無茶や無理に見えることもあるのだろうか。
心配をかけるのは心苦しいが、やめるわけにはいかないのが辛いところである。
「アリア、大丈夫だ。ちゃんと気をつけるから」
俺はアリアに向かって頷いた。信頼度の問題か、アリアの表情を晴らすことはできなかったけど。
ルーニー伯爵は山札の一番上にあるトランプを取る。一番好きなハートのエースであったことにニンマリと笑みを浮かべた。
マホガニーの古木で作った高級執務机の上には、書類が雑然と積まれているが、床はまるで様相が違う。チリ一つないほどに丁寧に掃除され、更には集中力の成果たるトランプタワーが、既に十一段にまで積み上がっている。
十一段はこれまでの最高タイ記録だ。
ここに来るまでに、どれだけの挫折と失敗を経験しただろうか。四段で躓いたたときは、机が滑りやすいから、と即座に滑りにくい素材で作られたものに買い替えた。
使用するトランプも、使い古したものが良いとわかると、これまで利用したことのない古道具屋でわざわざ買い求めてきた。
机を卒業し、床を舞台にしてからも挑戦は続く。
バランスを崩さないようにと、揺れやすさにも細心の注意を払い、専門の業者を呼んで床が水平かどうかを確かめ、僅かで傾きがあれば金に糸目をつけずに修正させた。
トランプタワー作りは近付いて作業することが多い。集中するあまり全体のバランスが見え難くなることも多々あるため、定期的に離れて確認することも忘れない。
消耗した神経を休めるための休憩では、ドアを閉めることにも細心の注意を払った。
風を警戒して窓を閉め切っているのは当然として、分厚い、遮光性の極めて高いカーテンも敷いている。
室内を照らす灯りは、集中力を増すとされる青みがある昼光色だ。この照明は市販されているものではなく、勉強や集中に効果があると聞いた伯爵が、自ら大枚をもって職人の家に出向き、依頼して作らせた品だ。
ルーニー伯爵が直接見たわけではないが、聞くところによると、七メートルの高さにまでなるトランプタワーを作った強者もいるという。
伝え聞いただけのこの話、伯爵はいたく感動した。達成したものに心からの称賛を送った。
繊細で集中力のいる作業。それも同じ作業を延々と続けるのだ。
七メートルものタワーとなれば、神経をどれだけ消耗することか。一日の作業時間が数時間だとしても、一週間ではとてもすまないだろうに。
集中力と繊細さ、そして、失敗しても再び挑戦できるだけの精神力。これらを高いレベルで実現させているからこその、七メートルという大記録。
自分もいつか、彼らのような偉大な先達と同じ高さにまで積み上げることができるだろうか。
伯爵の右手にはハートのエース、左手にはダイヤのクイーン。両方とも好きなカードだ。
ルーニー伯爵の顔に、ニヤ~とした弛んだ笑顔が浮かび、しかしルーニー伯爵は大きく息を吸い、ピタリと止める。
慎重な足つきでタワーに近付き、より慎重な手つきで二枚のトランプを近付けていく。
これができれば、新記録の十二段。
もう少し、もう少しで、積み上げてきたものが報われる。
五センチ、三センチ、一センチ、五ミリ。
「大変ですぜ、伯爵様!」
「っっっ!?」
ノックもなしに、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
バラバラバラ、積み上げたトランプタワーが崩壊し、ルーニー伯爵から一切の動きが消え失せた。細い瞳からは感情の揺れもなくなっている。
「商業地区にあるカミキの屋敷が襲われました!」
「……」
「捕らえてる商品たちも奪われちまいましたが、でも安心して下さい。役人たちにはちゃんと金を握らせておきましたんで、捜査の手が入ることはありません。もちろん敷地内には一歩も立ち入らせてませんぜ!」
「……」
飛び込んできた使用人は、雇い主がピクリとも動かないことに気付かず、ベラベラと自慢げに舌を回転させ続ける。
「いやあ、カミキ商会は伯爵様のペーパーカンパニーの一つですけど、役人が入らなければこのことがバレることもないでやしょう!」
「そうか、ご苦労だったね」
熱意を込めて話すを部下に対し、ルーニー伯爵は温度の低く、
「いえ、自分の仕事をしただけなんで。ではでは、これで失礼いたしま」
「待ちたまえ」
次には凍てついていた。
「は?」
「新記録、だったんだよ」
「はあ……?」
「カードもよかった。まさに自己最高の十二段目に到達するのに相応しいカードだったんだ」
唐突に言われても、部下としては反応に困る。
「それを貴様ぁぁぁあああ! どぉぉおおおしてくれるんだぁっぁぁあああ!」
「ひいいぃぃいぃ!?」
「繊細でぇぇっ! 慎重にぃぃ! コツコツと丹念に積み上げてきたものをぉぉぉおおお! よくも台無しにしやがってぇぇっぇえええ! 私はぁっ! 貴様のようなガサツなバカが大! 大! 大! 大っっ嫌いなんだよぉぉおおぉっ!」
沸騰した。ルーニー伯爵の額に浮き出た何本もの青筋は、今にも血が噴き出しそうだ。伯爵の豹変っぷりに驚いた部下は腰を抜かす。伯爵は高価な杖を握りしめ、何度も何度も部下を打ち据える。
「ぜえ、はあ、ぜぇ」
そのうちに杖がポッキリと折れてしまうと、伯爵は親指を首にあて、スッと横に引いた。いつの間にか、どこからか現れた二人の男が使用人の両脇を抱えた。
「え? え? え? は、伯爵様?」
「連れていけ」
「はい」
「は、伯爵様ぁぁぁあああ!?」
部下の声が響くが、しばらく経つと心地良い沈黙が執務室に訪れた。
「ふぅ~~~、やはり、落ち着ける環境というのは素晴らしいものだ」
崩れたトランプタワーに少しだけ、いや、この上なく悲しげな顔をするが、起きてしまったことを悔いても仕方ない、と考える。トランプタワーに必要なのは、再挑戦への精神力だ。
引き出しを開けると、資料の束があった。資料の一番上には自国の公爵令嬢エリーゼの似顔絵がある。
「ち、我ら歴史あるレイランド貴族を蔑ろにする小娘めが……今に見ておれよ」
エリーゼの似顔絵の下には、男の似顔絵があった。ミルスリット王国サンバルカン公爵家のマルセルが描かれている。
「我らと志を同じくする真の貴族だとばかり思っていたが、期待外れだったな。確か、あの小娘と接触したと報告にはあったか」
ルーニー伯爵はニヤリと笑う。
「まあいい。後はエドワード殿にお任せするとしよう」
勝利の確信と共に、ルーニー伯爵は引き出しを閉めた。




