第百十五話 ホッと一息
「ぶふぇぇっくしょいっ!」
大きなくしゃみをした。得も言われぬ、恐ろしいほどの不吉と不安を伴う、猛烈な寒気に襲われてのことだ。
た、ただの寒気だよな? 精々が誰かが噂してる程度だよな? 好意的な噂だったら嬉しいな。誰かヤバい奴に狙われてるとかじゃないよな?
体を摩って寒気を追い出す。ふぅ、と大きく息を吐き出して、悪い予感を追い出した。
一応はギルドからの依頼を引っ張ってきたのだから、無事に依頼を片付けたことを報告するべきだろうか。そんな考えも頭をよぎったが、やめておいた。
討伐系の仕事は数日から数週間以上に及ぶことが多々あるので、今日中に報告する必要もない。討伐を証明する部位も確保していないし、言葉だけでは信用性も低いだろう。しばらく経って、被害報告が減って初めて、俺の報告が本当だったと判断されるのがやっとかな。
受付を担当していたリュー・バクスターが主要キャラといい関係なのだから、できればいい印象を残しておきたいところだが、ま、成功報酬が出るわけでもなし、慌てて報告するまでもないということで。
宿に帰った頃には、空腹と疲労とで、睡魔が随分と力を増していた。
朝から動いていたはずなのに、気付けばかなり時間が経っている。空を飛んで森へ行って、墜落してエトルタと出会って、エトルタと一緒に奴隷商を襲って、明日の計画を立ててきた。
やたらと密度の濃い一日だったと思う。当然、門限なんかは破っている。点呼後の外出も禁止されているのだから、正面玄関から堂々と入っていくわけにはいかない。
俺、とシルフィード、クライブが泊まっている部屋に目をやる。五階部分。道路に面してはいても、表通りほどの人目はない。街灯の数も少なく、目立たずに部屋に戻ることは十分に可能。
後は、アリアが上手いこと点呼を誤魔化してくれていることを祈るばかりだ。
アリアからはすこぶる評判の悪かった飛行魔法を発動。フヨフヨと低速で上昇し、部屋に近付いていく。
そっと窓に張り付き、ノックす、るよりも早く、窓が開け放たれた。
「お帰りなさいませ、若様」
「お、ぉう、ただいま」
小声と冷え切った笑顔とで出迎えられたとさ。
「よ、よくわかったな。その、戻ってきたって」
「獅子人ですから。気配には敏感なんです」
気配に敏感なのは確かなんだろうが、単純に見えていたのかもしれない。獅子人に限らず、猫人に大別される亜人たちは夜目が利く。闇夜に光る眼は特徴の一つに挙げられる。
タペタムといったか、地球のネコ科の動物のように光を反射する仕組みでもあるのだろうか。ネコ科に限らず、草食動物にも多いけど。
「若様、お食事はどうされますか?」
「あるのか?」
「台所を借りれば。時間が時間ですので、スープとパン程度の簡単なものになりますが」
「それは助かる。頼むよ」
「かしこまりました」
アリアは一礼して部屋を出て行った。歩く音もドアを閉める音も立てていない。
同室のシルフィードとクライブは既に眠っている、のかと思いきや、部屋の隅にあるものを発見した。毛布をすっぽり被った塊が倒れている。しかもブルブルと震えているではないか。
「……あれは?」
「シルフィード様です」
まずは水を、と戻ってきたアリアは簡潔な説明をした。
「あいつになにがあったの!?」
「通信が届いたのです」
アリアは感情を込めずに言った。どうやらホテルに帰ってきたシルフィードに妹からの通信が届いたとのこと。
シルフィードも「おや、何なのだろうな」軽い気持ちで、部屋にアリアがいるにもかかわらず、通信を受け取った。そして瞬く間に顔色が青くなっていき、震えだし、毛布を持って部屋の隅に移動し、体育座りをして、毛布を被ったのだ。
毛布を被って震えること半時間。コテン、と倒れたと思うと、震えたまま眠るという、器用なのか可哀そうなのかわかりにくい状態になったという。
聞くともなしに聞いてしまったアリアの耳には、遠見の魔法とか、リアルタイムだとか、カロリーがどうとか、話があるとか、そんな言葉が二人分の女性の声で届いていた。
「妹、と他の女の人からの通信だったんだろ? 何でこんな有様になってんだよ」
話の内容が気になって仕方ない。この調子じゃ教えてくれそうにないけど。こいつと妹の関係には詳しくはないが、力関係にについては何となく察しがついてしまった。
それにしても、試験中に通信を届けるとか、他の貴族も試験に気を遣って中々しないのに。シスコンなのかブラコンなのか。
「クライブは?」
「寝ておられます。先程までは空気椅子で寛いでおられましたが」
どうやって寛ぐんだよ、それで。
「ふう」
ともあれ、休んでいるだろう二人に配慮して、音は立てないように椅子に腰かけた。今日が密度の濃かったことは事実として、しかもこの日々はまだまだ続くときている。
脱破滅ってこんなに努力いる? 何かもっとこう、ライトな感じでストーリーが展開していって、距離を置いた婚約者から惚れ直されたりしてワタワタするもんじゃないの?
益体もないことを考えていると、今度こそちゃんとアリアが戻ってきた。トレイには温め直してくれたスープと、わざわざ焼いてきてくれたパンが乗っている。
「どうぞ」
「ありがとう」
礼を言ってスープを手に取り、口に運ぶ。ジーン、とくる美味さだ。塩気が疲れた体に染みる。パンも美味い。バターを付けてから焼いているので、目にも嬉しい焦げ目がついて、味も良く染みている。一息つくとはまさにこのこと。
「どうでしたか?」
「う? どうとは?」
「今日一日、あのエルフの女性と一緒にいたのでしょう? 楽しかったですか?」
何だろう、アリアさんの機嫌が悪いような気がする。隠したり誤魔化したりするようなことでもないし、したらかえって怒りを買いそうだし、包み隠さず話すとしよう。
「楽しいどころか、血生臭い一日だったよ」
「若様の体から煤の臭いがするのと関係しているのですか? 昼間にどこかの屋敷が燃え落ちたと聞きましたが、それと?」
鋭い、とまでは言えないか。エトルタの言行などを考えると、想像がつこうというものだ。
アリアと森で別れた後のことを手短に説明する。商業地区にある屋敷を襲撃して、捕らえられているエルフたちを助け、火を放った。
「……あれ? やたら短く説明が終わったんだけど?」
「別に無理して長く説明するようなものでもないかと思います。では、ひとまずは終わったという理解でよろしいでしょうか?」
「いや、続きは明日に、もう今日か。今日になる」
「どういうことでしょうか?」
屋敷内で見つかった書類にルーニー伯爵の名前が出てきたことと、従騎士試験参加者のエドワードとの繋がりがあることを教えると、アリアの目付きが鋭くなる。その迫力に、飲んでいたスープを咽てしまう。
「明日は従騎士試験に参加することになっているはずですが、諦めるのですか? 試験と並行してゴミを叩けるはずがありませんし」
ゴミて……。
「その辺は大丈夫。ちゃんと手は回しておいた」
実際にはそんな格好いいものではなく、直談判しただけですけどね。
聖女エリーゼとのやり取りについても、隠すことではない。試験内容自体がルーニー伯爵に荷物を運ぶ手筈になったのだから、落第のリスクも回避できていると評価していいだろう。
「なるほど。ではもう一つ」
「お? まだあった?」
「はい。エドワード・ブルスナーについてです。若様は試験中にルーニーとエドワードの二人が接触することを前提としている様ですが、それは確かなのでしょうか。今日の襲撃で警戒を強めて、接触を避けるということはありませんか」
「ああ」
マリアの指摘ももっともだ。俺だって原作知識なんてものがなければ、アリアと同じ判断をしていたかもしれない。
原作でこの二人が試験中に接触するのには理由がある。
魔障石だ。




