第百十三話 過ごし方
シルフィードの一日あたりカロリー摂取量は、頼りになる女性陣の監修を受けて劇的に下がっている。下がりすぎてかえって空腹感、を通りこして飢餓感をすら覚えるほどだ。
クライブは高タンパクの食事を中心としているが、ときに体を大きくすることを目的に、大量の食事を摂取することがあった。
ここに二人の思惑は見事に合致し、優雅さを損なわぬままに大量の皿を片付けていく。
ミルスリットの生徒だけではなく、試験に参加する各国の生徒たちの大半が、間近に迫った試験に備えて緊張感を漲らせている今日、二人は肉を焼いてじゅ~じゅ~やっているだけ。
「タレはこのあっさり系のものが麿の好みに合うでおじゃるな」
「僕はこっちのニンニクダレがいい。匂いのきつい食べ物は中々食べる機会がないから、新鮮だ。病みつきになりそうだよ」
目立つテラス席、更に真昼間からなんてものを食べているんだ。オーナーらしき人物がプルプルと震えている。
クライブは知らないが、シルフィードはデザートにミートパイを頼んでいて、作る羽目になっている料理人たちもまたプルプルと震えていた。
しかしながら、行きかう人たちは明らかに意識と視線と足が店の方に向いているので、客寄せとしての役目は十分果たしているようだ。店側がもっとも売りにしている商品やサービスを求めているとは限らないが。
後日、この店が大胆に方向転換して、レイランド・ミルスリット両国に、計二百以上の店舗を構える焼き肉店を展開することは、また別の話である。
「こうなると、マルセル殿がこの場にいないのが残念だ。出掛けたことはわかっているのだが、クライブ殿はどこかで見かけたりはしたかな?」
「麿もあちこち走ったでおじゃるが、見なんだな」
このときのマルセルは王都内に既にいない。飛行魔法でフラフラと飛び、森の中に墜落している。クライブがどれだけ王都内を走り回っても、見つかるわけがないのだ。
「ふむ、では僕はこの後、昼食に向かうが、クライブ殿はどうするのかな?」
「待つでおじゃる! これが昼食ではなかったと!?」
「ははは、昼食の前の軽い昼食だよ。この後が本番の昼食。更に昼食の後の軽い昼食を食べて、初めて昼は終わり。午後の間食はどうしようかな。この時期のレイランドは珍しい食べ物も多いと評判だから、食べ歩きでもしようかな」
シルフィードのふくよかな笑い声の影響、というわけでは絶対にないが、エドワードがテーブルに置いたグラスが倒れた。三分の一が残っていたワインが流れ、床に滴る。
お気に入りの、わざわざ本国から持ち込んだスパークリングワインは、床にある他の液体と混ざり合うことはなかった。
天蓋付きのベッドには女が倒れている。投げ出された右腕を伝う赤い筋は、すっかり乾いていた。赤い筋の真下にできている大きな水溜りは、致死量の出血であることを雄弁に物語る。
エドワードは魅了の魔眼の力など使わなくとも、女性に不自由することはない。酒精を提供する店に行けば、極めて短時間で狙った女をものにすることができる。
昨夜も同じだった。女性に近付き、酒をご馳走し、手際よく女を手に入れた。
今になって感じることは、イラつきだけだ。呼びつけてから一時間が経っているというのにまだ来ない。
机の上にあるもう一つのグラス――ベッド上で静かになっている女が使っていたものだ――の前で、左手の中指を内側に丸め親指で押さえた。中指に力を込め、親指を離す。
放たれた中指はグラスを打ち、グラスは高速で、一直線に飛び、部屋の扉にぶつかり、砕け散った。
そのタイミングで、ノックもなしに部屋に入ってきた男がいた。
「失礼します、エドワード様」
陰惨な目付きに巨躯を特徴とする毒使い、フィエロだ。
「遅いぞ、フィエロ。あまり俺を待たせるな」
「申し訳ございません」
フィエロに休みを与えたのはエドワード自身だが、エドワードは他人の休みなどよりも、己の都合を優先するべきである、とごく自然に考えていた。
主の唐突な呼び出しはいつものこととはいえ、フィエロも少しは疲れていた。せっかく頂戴した休みを、フィエロも楽しんでいたのだから。
趣味を共有する仲間たちと会い、実績やアイデアを見せ合う。そんな集まりだ。
触りだけ聞くと、高尚かどうかは別として、真っ当な店のように聞こえる。フィエロが赴くのはもちろんそんなことのない、非合法な店だ。
やることは単純に、毒物を見せつけること。
小動物や奴隷を相手に毒を流し、あるいは打ち込み、どのように苦しんで、どれだけの時間をかけて、どれだけ自分たちを満足させられるか。そんな変態共の集まりだ。
気に入ればその毒を購入することもできるし、逆に購入してもらうこともできる。
フィエロは毒を愛し、毒魔法を習得し、他人がのたうち回る様を眺めることがなによりも大好きだ。
見目を自慢する女性の肌や顔が、グズグズに爛れて絶望して死んでいく。幼子が酸素を求めて必死になって喉を掻き毟り、苦悶の果てに死ぬ。
あんなものを見てしまえば、小動物が毒で死んでいく様になど、少しばかりの満足すら抱けない。この点からは、昨日の集まりは非常に素晴らしいものだった。
動物などで済ませてしまうような低俗な集まりではなく、人間の奴隷を使った、きちんとした集まりだったのだから。
フィエロも無事に自分が調合した毒を披露することができ、高い評価を得ることができた。
披露された作品の中には、フィエロも驚く毒があり、それを購入することもできた。従騎士試験で使うことができれば、しかも相手が貴族の令嬢であれば言うことはない。
叶うならば、あの聖女エリーゼに毒を浴びせることができるという幸運が欲しいものだ。
不満は二つ。
一つはある男女の死に様だ。毒の霧で苦しませる予定だったのに、この二匹の獣人共は、こちらの期待を散々に踏み躙ったのである。
金を出して買った奴隷は、主人の所有物だ。主人を喜ばせることが役目だ。
この場合は、最大にまで主人を、主人と一緒にショーを見る客たちを喜ばせるために、できるだけ惨めに、みっともなく、長い時間をかけて悶え苦しみながら死んでいくことこそが唯一の役目だ。
だというのに、あの獣人共ときたら。
ここで死ぬことを悟っているのはいい。他の奴隷共も、そこは同じだ。
死を覚悟した連中に、「今日のショーを乗り切れば解放してやろう」などと生への希望をちらつかせて、ありもしない希望に縋らせてやるという滑稽さもまた、見ごたえのあるショーになる。
それなのに、ああ、それなのに。あいつらは恐怖に震えないばかりか、生に縋りつこうとすらしなかった。奴らが掴んでいたものは、互いの手だった。愛情ではなく、信頼で結ばれてた手。死を悟り、
獣人の男のほうが、
「自分たちが毒で苦しめば、それだけあいつらを喜ばせることになる。だから、思い切り毒を吸い込んで潔く死んでやろう」
そんなことを女の獣人に言いやがったのだ。
「僕の姉は解放の戦士だ。必ず仇を取ってくれる。僕たちは一秒でも早く死んで、奴らが喜ぶ時間を一秒でも短くしてやるんだ」
それが、それだけが、今ここでできることだと男は断言した。女も
「貴方は、永遠に、わたしの戦士様よ」
と笑って受け入れた。
「最後の一呼吸まで、連中の思い通りにはさせない」
毒霧を大きく吸い込んだ二人は、苦痛にのたうち回ったが、こと切れる瞬間まで互いの手を離さず、苦しむ時間も想定の半分程度だった。
まったくもって消化不良も甚だしい。
二つ目の不満は、害した気分を晴らそうと次のショーを楽しみにしていたタイミングで、エドワードからの呼び出しがあったことだ。
信頼篤い会の友人たちからは次々に残念だとの慰めを受け、本当に泣く泣く、会場を出てきたきたのであった。