第百十話 出てきた名前
「あの薄汚い屋敷は焼き落ちる様は、見ていてスッとしたわね」
エトルタの清々しい笑顔は、少なくとも嘘をついているようには見えない。
「さよですか。彼女たちの迎えはいつ頃来るんだ?」
「もう少しね」
救出されたエルフたちを引き連れて、次の行動を採るわけにはいかない。森のこの場所への移動はエトルタが選んだのだから、ここが合流地点なのだと思われた。
「それよりも、彼女たちの首輪、お願いしてもいいかしら?」
「引き受けよう」
むしろ解呪が俺の役割のような気さえしてきた。この首輪は人類史の汚点でしかない代物だ。奴隷を適切に管理する稀代の発明、などと自賛する奴隷商人共の主張は、耳が腐る思いがする。
獣王国では意趣返しとして、元人がこの首輪を着けられた上で奴隷に落とされている事実を知らないのだろうか。
エトルタに促され、エルフの少女たちが俺の近くにまで歩いてくる。足取りには重さが感じられ、ビクビクした印象だ。捕らえられ、心身に傷を負った被害者であるのだから、元人の俺に恐怖心を抱くのは当然のこと。
俺は少女たちを怖がらせないよう、できるだけ優しげな笑顔を向け、ゆっくりと近付く。
「アディーン様、お願いします」
『引き受けようとか偉そうなこと言うとったくせに、結局はワイ頼みかい』
返す言葉は乾いた笑いくらいしかない。笑い声は言葉じゃねえだろ。
「ちょっと待って」
「え?」
「貴方、今、アディーン様と言わなかった?」
あ。
「まさか、十二使徒様と話せるの!?」
エトルタは真剣に驚いていた。魔聖ダリュクスの種族は正確にはわかっていないため、元人もエルフも、自分たちの種族こそが魔聖ダリュクスを生み出した、と主張してやまない。
意見の相違から異種族どうしは対立しているが、魔聖を尊敬や信奉していることはいずれも種族でも変わらず、それは魔聖が生み出した十二使徒に対しても同様だった。
多くは畏敬の念を持ち、信仰の対象となっている十二使徒だが、アホ共の中には「元人である魔聖が生み出した十二使徒は、元人共有の財産だ」などと主張する連中もいる。
独善的で自分勝手な主張は反発、対抗を考える相手を増やす。エルフの中に対抗策を打ち出そうとするものたちが現れるのも、当然であった。
元人が「所有」する、十二使徒を救出しようとする動きだ。
と言っても、元より十二使徒は元人などの手に負える存在ではない。サンバルカン家だって、単にアディーン様を宿すことができているだけであって、アディーン様の力を利用するようなことはできた例はなかった。
十二使徒が顕現して大暴れをしたことは、ここ数百年の間に三度確認されている。
直近の一回は、十二使徒の力は自分たちのものだ、と考えた元人の国の王がやらかしたものだ。自国内で眠っていた十二使徒を支配下に置こうと、件の魂食みの首輪を十二使徒の首に嵌めた。
隷属などできるはずもなく、怒りを買っただけに終わり、その国はきれいさっぱり更地となった。
十二使徒と言葉を交わすということは、多くの場合、破滅と同義に扱われる。聖女エリーゼや、原作後半の主人公が例外なだけだ。
ましてやクズだのゴミだのカスだのと名高いマルセルが意思疎通を図れるなど、驚天動地の事実だろう。
「どうなんだ、本当に話せるのか!?」
「あ、ああ。話すだけなら……」
「そんな……まさか」
なぜそこまで愕然とした顔をするのか。ワナワナとさえ震えて、一歩後退ったのはいかにもわざとらしい。らしいが、エルフにとっても十二使徒との意思疎通はそれだけ困難な事実だったということか。
「いや、いい。今はそれどころではないものね。詳しいことは後で追い詰め、いえ、問い詰めるとして」
「詰めてこないで!?」
追い詰めるも問い詰めるも、犯罪者を追う警察のようじゃないか。
『どうでもええかさかい、はよせえや』
「どうでもよくはないんですが!?」
『知らんわい。ちゃっちゃっとやれ、ちゃっちゃと』
この解呪方法にも慣れてきた。少女たちの首輪を外すのも、最初に比べればかなりスピーディに行える。
慣れが油断を誘発するのは絶対に避けなければならないので、緊張感は保ったまま。慎重に、迅速に、丁寧に、確実に首輪を外していく。
最後の一人の首輪を外したとき、俺たちの周囲には別のエルフ族が三人、立っていた。
「何度見ても見事な技術と集中力ね。迎えが来たことにも、貴方を取り囲んだことにも気付かないんだから」
エトルタの溜息は呆れ半分、感心半分といったところか。彼女は迎えに来たという三人のエルフに向き直る。
「どう? これでもまだ疑うの?」
「……いや、同胞救出にここまで尽力してくれたんだ。それに、エトルタの言葉だしな。信じることにするさ」
解呪に集中している間にどんなやり取りがあったのか、かなり簡単に想像がつく。元人がどうしてここにいる、元人に解呪を任せているのか、本当に大丈夫なのか。こんな所だろう。
これに対してエトルタは庇い立てしてくれたわけだ。
首輪の外れた少女たちは、迎えに連れられて森の奥へと消えていった。最後に少女たちから感謝の言葉を受け取ることができただけでも、良しとしよう。素直に礼を言われるなど、転生人生では珍しいのだから。
迎えに来たエルフ族たちからは尚も懸念の目を向けられていたことなど、気にもならない。
「彼女たちの一件は済んだとして、この情報について調べたいんだが、いいだろうか?」
地下牢で回収した書類の束をエトルタに渡す。
「これは?」
「売買契約書だと思われる」
「ふむ」
エトルタは受け取った紙を次々に捲っていく。一枚毎にエトルタの整った顔が険しくなっていた。眉間の皴も深さを増していく。その内の一枚に目を通した瞬間、エトルタの目が大きく見開かれた。書類が握り潰される。
「ふざけたことを……」
「エ、エトルタ? 一体なにが……っ!?」
エトルタがぐしゃぐしゃにした紙束を確認する。そこには有力貴族や他国の豪商たちが顧客であることを示す証拠があった。
カギとなる名前もあった。ルーニー伯爵だ。ルーニー伯爵が売買にかかわっていたことを示す書類ではなく、ルーニー伯爵が今回襲撃した商会の黒幕であることを示すものである。
エトルタが危険な笑みを浮かべた。ルーニー伯爵はきな臭い噂が常に出回っていたが、さすがに噂だけで貴族を襲撃するわけにはいかない。
ましてやルーニー伯爵は、亜人差別を禁じているレイランド王国の貴族だ。下手を踏めば、亜人と融和的な政策を転換させてしまう危惧するある。
「こいつには散々、歯痒い思いをさせられてきたが……これだけ証拠がそろっていれば十分、報いを受けさせてやる」
見事に殺意満々のエトルタだ。
「ちょ、ちょっと待て」
「なにかしら? まさか、ここに来て連中の肩を持つわけじゃないでしょう?」
もしそうなら、どうなるかわかっているな? 本音がここまで明確にわかっては、秀麗な笑顔も何の役にも立たないだろう。
「そんなわけないだろう。ただ、ルーニー伯爵は手勢が多いぞ。今回の作戦で屋敷を潰されたんだから警戒を強めるだろうし、もしかしたら姿を隠すかもしれない」
この辺は原作知識による。ルーニー伯爵は別に特別な能力を持っているわけでもない、原作だと倒されるだけの悪役だ。爽快感を演出するため、蹴散らされるだけの部下たちを大量に投入していたのを覚えている。
「姿を隠したのなら、屋敷ごと引っ繰り返すわよ」
そうなんだよな。ルーニー伯爵が逃げ込もうとした地下室もあるにはあるが、これは伯爵が転がり込む前に吹き飛ばされていたはずだ。