第百九話 速やかに救出
一階からガラの悪い連中が動き出した声が聞こえてきた。すぐにでも地下になだれ込んでくることだろう。
『おお、わんさか来よったで。これっぽっちも活躍しとらん自分の出番ちゃうか』
「ほっといていただきたい!? 火魔法は、ダメだよな。風はあまり得意じゃないけど」
「ちょっと! 急に大声を出さないで。土が使えるなら、土にして頂戴。石壁だと干渉しやすいでしょ。完膚なきまでにボコボコにして」
物騒なリクエストが背中に当たる。ついでに惨殺された男たちの血と臓物の臭いに背中を撫でられた。背後の状況がどうなったかを見てはいないが、この場にいた男たちに生き延びる術がないことだけはわかる。
足音と怒声がどんどんと近付いてきた。騒ぎを聞きつけた用心棒たちがどれだけの数になるのかはわからない。ただし一本道の地下ということは好都合。
「このガキぼふぇっ!?」
男の顔の真ん中に拳大の石がめり込んだ。せっかく来てもらったところに申し訳ないが、来ると同時に退場してもらおう。姿を見せる男たちに次々と《石弾》をぶつけていく。
「なめやがつぶぁ!」
「ヒャッハべばっ!?」
わざわざ狙いをつける必要がなくて楽でいい。わかりやすくレベルでいうなら、この用心棒たちは俺やエトルタよりもずっと低い。初級魔法の《石弾》でも、オーバーキルのダメージを与えている。
更に石壁や床に干渉して、巨大な石杭を出現させ、あるいは石壁を破裂させるなどして、破壊と攻撃を両立させるのは何気に気分がいい。
壁に大きく干渉したせいで、地下や階段のあちこちに大穴が開き、轟音も耳朶を叩いてきた。
「ひががぎゃああああ!」
「ぷぎょわぁっぁぁぁああっ!?」
男たちの悲鳴も背後から響く。思わず肩越しに覗くと、俺の目の間に広がっていたのは、圧倒的な暴力による蹂躙劇だった。腕が足が首が臓物が宙を飛び散り、文字通りの血の雨が降る。
そして恐ろしいことに、血の雨の一滴たりとも、エトルタを汚すことができないでいた。
「ひぇぇええぇ」
思わず顔が引きつる。死力を尽くした《スレイヤーソード》との戦いは、正しく戦いであった。これほどに一方的で凄惨なものではなかった。
恐れ戦いて思わず後退り、バランスを崩しかけて石壁に手をつく。
カチ。
そんな音がした。
金持ちや悪質な商人に付き物の隠し扉だろうか、と思ったが、少しだけ違った。指が触れた部分に目をやると、空気に溶け込みそうなくらいに薄く揺らめく、魔法陣が確認できた。
指先で魔法陣に触れる。バチ、と光の筋が蜘蛛の巣状に何十本も空間に生まれる。隠し部屋などではない。現にそこにある空間に壁があるように見せかける、かなり高度な幻術だ。
魔法陣が破壊された後に現れたものは、書類棚の多い倉庫だった。
調度品の類の一切ない、質素な造りの机と、いくつかの筆記用具、後は書類の山が置かれている。隠し扉ということに安心しているのか、金庫や鍵付きの箱などはない。
書類の山には古いものも新しいものもあるが、机の上には真新しい書類が紐でくくられた束になっている。
書類を手に取り、中を見る。
「……売買契約書か」
買い手のサインと、かなりの高額が書き込まれている。一般家庭の年収を遥かに上回る金額で、エルフの市場価値の高さがよくわかる。
これだけの金額が動くのなら、奴隷商人というふざけた商売がなくならない理由もわかってしまう。
ここにいるエルフ少女たちの契約書なのか、既に売り飛ばされてしまった被害者たちのものかはわからないが、契約書や契約に関するやり取りを記した手紙などは、今後の活動にも必要なものだ。手近にある皮袋に詰められるだけ詰めておく。
「ちょっと! なにやってるの!」
「奴隷関係の書類だ! できるだけ持って行く! エトルタ殿は救出を!」
「わかった!」
エトルタは牢の鍵をわざわざ開けるような手間を採らず、長剣で鉄格子を斬り飛ばす。
「皆、無事!? 助けに来たわ!」
「え、エトルタ様!?」
「まさか、エトルタ様が!」
一つの檻から二人が転がり出てきた。解放された二人はエトルタよりも幼い印象の、エルフの少女たちばかりだ。もちろん首には、あの不愉快な首輪がはめられている。
地下牢は全部で三つ。一つに二人が入れられていて、計六人のエルフの少女を保護することができた。救出を喜びたいところだが、火勢が随分と強くなっていて、早々に出て行ったほうがいい感じだ。
「エトルタ殿、こっちは持てるだけ持った! 急がないと!」
「え、元人!?」
「エトルタ様!?」
解放の喜びを爆発させていた少女たちが一瞬で警戒を強める。元人への警戒であってマルセルへの警戒でないのは救いだ。
「問題ない。彼は協力者よ。それより、他に捕まっている子はいない?」
「は、はい、いません。これで全部です」
「そう」
エトルタは満足気に頷き、解放した少女たちに風の鎧をまとわせた。
「マルセル、私は風、貴方は火。合わせなさい」
「根こそぎやるわけね。了解」
エトルタの左手に魔力の込められた台風が生まれる。俺が高くつき上げた掌に生まれたのは、直径数メートルになる火球だ。属性融合ではなくとも、風と火は相性がいい。
合わせて放たれた風と火の魔法。混ざり合い、風に煽られて火勢は急激に増し、火勢が更に風勢を後押しし、より強く、大きく燃え上がる。
駆けつけようとしていた用心棒たち、事情が分からずに右往左往している使用人たちも関係なしに炎が飲み込む。
男たちだけでなく、床や家財にも火が燃え広がっていく。油や薪もあるだろうから、外の倉庫まではどうなるか知らないが、少なくともこの建物が焼失するのは確実だ。
明確な殺意に身をうねらせる炎の蛇は、大きな屋敷を思う存分、蹂躙する。
俺たちはその様を眼下に収めていた。エトルタの飛行魔法は、俺よりも遥かに洗練されている。
「凄い火勢だな」
「まだよ」
言葉と共に風が更にうねる。巨大な炎の蛇がエトルタの指の動きに合わせて、鎌首をもたげ、火を逃れていた倉庫に襲いかかった。これで敷地内の建物はすべて炎に飲み込まれたことになる。
果たして何人の犠牲者が出たことか。これについては考えることはやめておこう。遅かれ早かれ、結末は同じだったろうし。
エトルタの飛行魔法が降り立ったのは、森から少し入ったところにある地点だ。
小川が流れていて、捕らえられていた少女たちは顔を洗ったり水を飲んだり、その場にへたり込んだりと、解放されたことの実感を加味している様子だ。
「これだけ派手にやると、衆目に解放奴隷を晒す羽目になってしまったんじゃないか?」
「でしょうね。でもエルフや亜人を奴隷にした連中が火に巻かれて死んでも構わないし、類焼して被害が出ることは多少は心苦しいけど、仲間の救出のほうが優先よ。こちらが間違っていることをしているわけでなし。問題ないわ」
実のところ、問題は大ありだ。不法行為を働いていたのは間違いなく奴隷商人の連中で、奴隷商人を適切に取り締まれないのはレイランド王国側であることに疑いはない。
だがらといって不法行為に不法行為で反撃するのは、法治の面からは容認できないだろう。
もちろんエトルタの言い分もよくわかる。向こうが法や道徳を侵しているのに、どうしてエルフの側だけが順法に応じなければならないのか。無法には無法、暴力には暴力で対抗する。
命や財産が惜しいのなら、そもそもエルフや亜人に手を出すな。
至極当然のことなのに、奴隷業に勤しむ連中の大半は、亜人への差別感情が強く、亜人からの反撃は「自分たちの権利が侵された」と一方的に思い込むのだ。
取り締まる側の官憲が黄昏の獣たちの影響下にある場合や、奴隷商人と裏で取引をしている可能性も否定できない。つくづく、根の深い問題だ。