第百八話 エルフの剣
時代劇専門チャンネルで見た鼠小僧にでもなった気分だ。俺はともかく、エトルタは鼠にしては美しすぎるし、美しい以上に危険だけど。鼠というより、しなやかな金色に輝く豹といったイメージだ。
豪華な屋敷の屋根に小窓がついているのは建築基準法上の義務か何なのか、泥棒からするとどうぞ入ってくださいと言っているようなものだ。
念のため、窓の開閉に伴って警報でも発動しないかと確認したが、その類のものは仕掛けられていなかった。
屋敷の中に入る。屋根裏に続くようなこういったスペースは、本来なら荷物置き場にされることが多い。贅の限りを尽くしたような屋敷でも例に漏れず、いくつも荷物が置かれていた。
あんな立派な倉庫があるのだから、あっちに置けばいいのに。
それとも向こうの倉庫には、もっと別のものが置かれているのだろうか。
一般的な屋根裏と違うのは、床だ。板張りではなく、ちゃんと絨毯が敷かれている。もちろん玄関に比べればグレードは落ちるのは確実とはいえ、それでも善良な庶民の手には届かないだろう。
侵入者側からすると、足音を殺しやすくなるのでかえって有り難い。
この類の屋敷にはいくつか階段があり、主人たちが使うことのない細い階段は使用人専用だ。
エトルタは細い階段に取りつき、階下を伺う。視覚ではなく、元人よりも遥かに優れた聴覚を使っている。
俺が近付こうとすると、手で制してきた。エトルタは一人で階段を下りていく。手には短刀が握られていて、なにをするかははっきりしていた。気絶や眠らせるのではなく、殺害をごく当然に選んでいる。
屋敷の住人は皆殺しにする。彼女は確かにそう口にしていて、速やかに実行するのだろう。
いつ迎えの合図が来るのかと待っていると、耳に風が触れた。
『済んだ。降りてきて大丈夫』
なにが済んで、なにが大丈夫なのか。わかりながらも一抹以上の不安を感じつつ、階段を下りる。二階部分かと思いきや、更に下、一階にまで下りていく。
階段の直ぐ近くに部屋があり、部屋の扉は少しだけ空けられていた。入ってこい、との意図を感じる。ここまで来て怖気づいても始まらない。
中に入ると、部屋は随分と広かった。
扉のサイズからは精々、六畳間か八畳間位を想像していたのに、事務所を思わせる広さと机、部屋の端にはベッドも置かれている。
部屋の中央に立つエトルタと、ピクリとも動かない人影を六つ、確認する。使用人用の部屋かと思ったが、詰所のような感じだ。
それも執事や侍女たちが使うような感じではない。武器や酒も用意されていることから、荒事対応の用心棒たちが詰めているといった態だ。
俺たちが入ってきた屋敷内に通じる扉とは別に、庭に通じる扉もある。屋敷の内と外、必要時はどちらにも対応できる造りだ。
ただし、対応すべき人間は一人残らず落命している。もちろん、この場の六人ですべてであった場合だが。
詰所の中には簡単な見取り図があった。屋敷全体のものではなく、詰所から地下室までの順路が書かれているだけだ。
「これは?」
「地下室の地図ね」
敷地内には倉庫も塔もあるが、それらではなく地下室を使っているわけだ。
「他にも、これ」
エトルタが無造作に机に上に投げたものは、個別の状況を記したものだ。
地下室に捕らえている「商品」に番号を割り振って管理し、日々の体調や食事量が書かれている。丁寧には程遠く、乱雑なものだが、「適切な商品管理」には必要なものなのだろう。
殺意を込めて振り下ろされた短刀は、書類を机ごと貫いた。
「それじゃ、行くわよ」
うっすらと笑うエトルタから立ち昇る殺気は凄まじい。
殺気を受けて、周辺から鳥が飛び立ち、小動物が逃げ出した。食事や休憩など、思い思いに過ごしている人たちも全身が総毛立ったに違いない。より確かなのは、屋敷内の人間たちの警戒が上がったことだ。
どうするのかと問うと、エトルタは余裕を持って頷いた。
「風よ 覆い 隠し 遠ざけよ 《不可視の外套》」
真言の解放を受けて、風が俺たちの体にまとわりついてくる。風の屈折を利用して姿を消す魔法だ。迷彩魔法のように周囲に姿を溶け込ませるのではなく、完全に姿を消すのである。
風を利用して音まで消すのだから、隠密行動にはうってつけの魔法だ。
消費魔法力の大きさ、発動中は常に魔法力を消費し続けること、発動中に少しでも気が緩むと解呪されてしまうことなどから、使用難度は極めて高い。
姿も音を消して移動する。腰を屈めたり、足音を潜めたりする必要がないから楽だ。
地下への扉は直ぐに見つかる。簡単な造りの木製のものでも、豪奢な細工の施された金属製のものでもない。頑丈な鉄格子の嵌められた、重い造りになっている。
鉄製の扉の前には見張りが一人いた。交代要員でも待っているのか、時間を気にしている風がうかがえる。見た目は粗雑なのに、職務に忠実なようだ。
今日以降は仕事に勤しむ必要もなくなる。ソワソワしている見張りの喉にエトルタの刺突が突き刺さる。見張りが倒れる音は、風の魔法に巻き込まれて消えた。
鉄扉を開け、階段を下りていく。地下への階段は荷物の搬入のためなのか何なのか、幅は確保されていて、灯りの数も十分にある。
薄暗闇の中に身を潜ませて、という侵入の定番手口は使えそうにない。不可視魔法様様だ。
地下牢の前にはスペースが設けられていて、五人前後が丸テーブルを囲んで座っている。
見張りなのだろうが、酒を飲んでカードゲームに興じていることから、油断しているのは明らかだ。階段を下りてきた俺たちには気付いている様子もない。
「牢の中は……暗くてよくわからんな」
「同胞が捕まっていることがわかれば十分よ。それに、同胞も助けが来ていることをわかっているから、下手な動きはしないでしょうし」
「ん? どういうことだ?」
声は遮られているはずなのに、牢の中で人の気配が動く。偶然か? 懸念はあれども、追求できるタイミングではない。
「どうする? さすがに気付かれずに鍵を開けるとか無理だろ」
「別に。気付かれずに動くのが無理なら、一気に片付けるだけよ」
「はい?」
「この建物ごとね」
「え?」
「貴方は援軍に注意して。わたしはここをやる」
不可視の魔法を纏ったまま、エトルタが飛び出す。抜き放たれた長剣が横に滑り、男の首が一つ宙に飛んだ。
同時に、不可視の風が解かれた。
「! 皆、助けが来た!」
「奥に下がって!」
この瞬間まで、事態を何一つ理解していなかった男たちが驚愕に叩かれる。立ち上がろうとするものを、声を上げようとするもの、椅子から転げ落ちるもの。
様々だが、結末は一つだけだ。
長剣が閃く。男の右腕が斬り飛ばされ、返す刃で頸動脈を裂かれる。
「こいつぅぅうげふゅっ!」
「どうやってここへべへ!?」
男たちは声を出す以上のことはなにも出来ない。対照的なのは牢の中だ。
「やっぱり! エルフ族の戦士! 助かった! 皆、もう安心よ!」
「奥に下がって!」
見通せない牢から少女たちの声が聞こえる。どうやら姿も声も消す不可視の魔法は、元人にこそ有効であって、同胞のエルフたちには通用しないらしい。
《不可視の外套》を纏うだけで、元人たちには気付かれることはなく、エルフには自分がここにいることを知らせることになる。
随分と便利な魔法だ。
気付くこともできずに満足に反応できなかった男たちは斬り倒されていくだけ――――と思った瞬間、斬られた男たちがバラバラに細切れになった。
エトルタは右の長剣で斬り、左から風の魔法で切り裂いたのだ。数十の肉片になった男たちは地面を転がり、周辺に血と臓腑を撒き散らしていく。
「何だ!」
「なにがあった!?」
さすがにこれだけ騒ぐと周りにも聞こえるか。