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第百七話 侵入

「ん?」

「あら?」


 不意にエトルタの右腕が持ち上がった。エトルタが驚いているのは、これは彼女の意図した行動ではないからだと思われる。


 目を凝らすと、彼女の右腕の周囲に風の魔法が巻き付いていた。攻撃の気配は感じないから、何らかの補助の魔法の類だろうか。


 初めて見るタイプの魔法に、どう動くべきかを決めあぐねていると、エトルタが左手で紙とペンを取り出す。ペンを右手に握らせる。紙の表には既に書き込みがされていたので、裏にする。


 と、エトルタの右腕が動き出す。短時間で描き上がったものは、どこかの見取り図だった。恐ろしく速く、精度の高いマッピングだ。


「これは?」

「私の仲間よ。シールナイン。君を警戒して出てこないことにしたみたい。本当は直接、手渡すはずだったんだけど」


 いきなり元人が行動を一緒にするようになったら、警戒するのが当然か。いきなり背後に現れて、ナイフを首筋に当てられるよりはマシだと思うことにしよう。


 なにしろ、多分、このシールナインも相当な腕っこきだ。目の前で堂々と魔法を使っているのに、シールナインがどこから魔法を使っているのかが、皆目、見当がつかない。


 隠蔽や隠密の技術に恐ろしく長けている。その気になれば、人ごみに紛れて目標を暗殺することくらい容易いだろう。そう確信させるだけの実力者だ。


 生唾を飲み込む俺に、エトルタは「大丈夫よ」と小さく笑いかけた。シールナインからは警戒はされても敵意を向けられたわけではないので、彼女の言葉を信じることにする。信じる以外にどうしようもない。


 向こうから提示された見取り図と、目標とする場所を頭に叩き込み、手順を確認する。動くまでの準備はそのくらいだった。


 亜人を捕らえている場所というと、王都の外れにある倉庫街などがテンプレだろうか。もしくは豪壮な邸宅の地下室あたりも鉄板だろうかな。


 俺の独創性のない考えはどちらも見事に裏切られた。


 目標の建物は王都ランパスティルでももっとも人通りの多い場所、王都商業地区住宅街区の一角にあった。


 商業地区は貴族街ほどではないが治安のいい場所だ。貴族たちは身辺の安全に湯水のように税金を投じ、商人たちは税金に加えて自らの資本を大量に投じている。


 特に住宅街区は商いで成功した富裕層が住む地区であり、警邏の役人たちは当然として、警護の冒険者や私兵を雇っているのも基本だ。


 如何にも警備らしい服装をしているものもいれば、屋敷の使用人に扮しているものも、屋台の商人を演じているものもいる。


 暗闇が多いと不審者が這い出る隙間も増えるということで、魔法を用いた街灯も多く設置されている。


 魔法の明かりなので、定期的に魔法騎士が魔力を充てんする必要があり、そのためには、ある程度の金銭が必要になってくる。


 庶民たちにはその負担が重く、魔法灯が整備されていない場所は多い。


 翻って裕福な商人たちにはこの心配は不要だ。むしろ財力を誇るかのように街灯設置を陳情するほどである。


 建物が密集する場所では光そのものが届かないというケースも、富裕層がひしめくこのエリアでは中々起こりえない。


 真面目に非合法活動に従事する側にとっては、かなりやりづらい事実である。


 盲点はある。警備をする人間の心理だ。


 明かりが多く、不審者が少ない状態が常態化しているため、巡視がかなり適当になっている。巡回したことを示すチェック表があっても、実際に巡回していないのに手を抜いてサインをしていることもあるほどに。


 もう一つの盲点が、上空だ。


 街灯の光も上方向へはあまり届かない。ミルスリット王国でもレイランド王国でも、貴族街は飛行魔法の使用禁止が設定されているが、商業地区には別に設定されていない。


 ただ、飛行魔法の使い手が少ないこと、一般常識として緊急時以外は飛行魔法を使わないことになっている。


「レイランドには竜騎士もいるからなぁ」


 ミルスリット王国では魔法騎士の一部が飛行魔法を使う程度だが、レイランド王国では竜騎士の存在がある。原作での活躍は大したことがないにしても、制空権が向こうにあることは確かだ。


「大丈夫。竜騎士が巡回するのは王城とその周囲よ。貴族街を回ることすら滅多にないわ」


 油断している警備たちを眼下に、風が流れる音さえも生じないよう、慎重に移動する。商業地区の外側、街灯の少ない一般区画から飛行魔法を使ってここまで来たのだ。


 いくら慎重とはいえ、地上を歩くよりも短時間。十分も経つと、エトルタが一つの建物を指し示した。どうやらあれが、目標の建物か。


「俺の雑な予想でも当たってる部分があるんだな」

「どんな予想をしてたのよ」

「いや」


 倉庫があることだ。商業地区内の住宅街区に屋敷を構えることができるのは、歴史のある大店の長や、経済的成功を収めた富裕層に限られる。


 それほどの金持ちともなると、屋敷の敷地内に倉庫を持つことも珍しくない。事実、眼下の屋敷には離れと呼べるくらいに大きな倉庫が一つ、やや規模の劣る倉庫がもう一つ確認できる。


 亜人、特にエルフという見目麗しい貴重な「商品」ともなると、屋敷の一角に閉じ込めることが多いのはお約束だ。


 今回の襲撃先も、広大な敷地に立つ豪華な邸宅で、邸宅の地下が牢屋兼倉庫になっているという。


 成功者が集まる高級住宅街でも、一際大きな屋敷だ。大きな屋敷に倉庫が二つ、噴水付きの庭まであるのに、敷地にはまだ余裕がある。


 屋敷の北側には塔まで立っているではないか。俺の知識ではロンドン塔とか、罪人を幽閉する場所を連想してしまって、ブルリと背筋が冷たくなった。


 そう、背筋が冷たくなったのは不吉を思わせる塔を見たからであって、秀麗な顔に凄絶な笑みを浮かべて屋敷を睨むエトルタが怖かったからではない。


「貴方の予想は置いといて、どこからと侵入しようかしら」


 今、突入って言おうとしなかったか?


 眼下に広がる敷地の中には、見回りの人員が複数見受けられる。風体は用心棒ではなく、お屋敷の使用人に相応しい服装だ。醸し出している雰囲気は堅気のそれではなく、服でどうにかカモフラージュに成功している。


 従業員の質を見れば、雇用主の程度も知れる。この屋敷の主が誰であれ、あまり真っ当な商売で財を成したわけではなさそうだ。


 粗野な印象の見回りたちが私語を発さないのは、そうと命令されているからだと思われた。


 敷地内にも明かりはあるが、街灯ほどの光度はなく、数も少ない。つまり、死角となる暗闇も多くなるわけだ。


「見回りを始末しても、他の見回りが来ればすぐにばれるわね」

「次の見回りまでの時間は稼げるかもしれないぞ?」

「定時できっちり回っていればの話ならね」


 確かに、あの手の連中が巡視時間や頻度をきっちり守っているとは思えない。詰所みたいな場所で駄弁っている場面が容易に想像できてしまう。


「ま、仲間たちを助けたら連中は皆殺しにするつもりだから、今から始末してもいいのだけど」


 サラリと物騒なセリフが飛び出してきた。一位は同胞救出、二位が奴隷商人殺害の優先順位の差はあれど、実行することには変わりがない。


 エトルタたちの立場からすれば、奴隷商人とその仲間を生かしておくことは、被害根絶ができないことを意味する。生かしておく理由を見つけることは不可能だ。


「まずは仲間を助けることが先よ。連中の始末はその後」


 エトルタは冷静だ。始末の順番をつける猛獣のような冷静さだ。


 フワリ、と着地した場所は、人気の少ない裏庭などではなく、屋敷の屋根の上だ。鎧を着ているわけではないのでバランスをとることは容易い。物音を立てないように身を低くして、屋根の上を移動する。

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