第百六話 手配犯
人身売買はまだ非合法化されていなかったが、人身売買業者らと接点があると知れると自分たちも襲撃されるのではないかと考えたものたちは、取引を縮小させた。
経済活動そのものが小さくなったことで、王国の税収は落ち込む。
人的、経済的被害が大きかった事実は歴史として書物にも残り、役所や軍部には強い教訓として今でも語り継がれている。
役人たちから警戒されるには当然の対象。同時に、廃業に追い込まれた奴隷業者らから強い憎しみを受けるのも当然だ。
「それは逆恨みも甚だしいだろう」
俺としては、うんざりとげんなりが背中に圧し掛かってくる思いだ。
「連中自身は至極真っ当で正当なもの、だと思い込んでいるのが始末に悪い」
吐き捨てるアリアの機嫌は悪い。腕組みをして歩いているのは、鋭くなっている爪を隠そうとしているためか。一人残らず返り討ちにしてやる、とでも考えていると思われる。
「雑魚一尾たりとも逃さずに縊り殺してくれる」
「……」
違った。もっと物騒だった。返り討ちどころか、自分から積極的に狩りに向かいそうまである。
「ま、強硬手段を採ったのは私なんだけどね」
「本人かよ!?」
エトルタの口から、更に予想外のセリフが飛び出てきたよ。
レイランド王国で起きた件の騒動は七、八十年ばかりは昔のことだ。
うーむ、第二次大戦の語り部から話を聞く機会はあった。相手は九十を超えた高齢者だったが、今回は見目麗しく若々しいエルフだ。エルフの長寿は知識として知っていても、実感するときは妙な違和感を覚える。
「たく、悪いのは同胞を攫って売り飛ばしてる連中と、そんな連中を見逃しているこの国だってのに、私が指名手配を受けるんだから」
そりゃまあ、どんな悪法でも法は法。曲がりなりにも法治を標榜する国家なら、エトルタたちのような存在を「法を侵す犯罪者」として動くだろう。国内法に則って粛々と厳正に対処する、というやつだ。
エトルタが強硬な行動に出たのは、まだ八十年ほど前のことでしかない。元人なら世代を重ねはしても、記憶から消え去るには早い時間だ。なのでエトルタのことを知っている人間が残っていると思われるため、変装をしているとのこと。
永いときを生きるエルフの指名手配は、一度掛けられると解かれることはないという。現存する最古の手配書は、三千年前のものだ。
ドート河だったか、巨大河川の流域に登場した古い王朝の時代に、国王殺しの犯人として手配されている。当時は未熟だった製紙技術を用いてまでの手配なので、かなり力を入れていることがわかるというものだ。
犯人のエルフが捕まったという話はなく、手配が解除される前に古王朝も滅びている。
だったら自動的に手配も無効化されてもいいと思うのだが、エルフたち亜人を敵対視する一派が「手配は元人の世が続く限り有効」などと主張して、現在もこの指名手配は解除されていないと解釈されていた。
千年を経てもエルフの容姿は変わらない。八十年程度では尚のこと。
当時の元人たちの中で現在も生き残っているのは限られるだろうが、エトルタの変わらぬ容姿のことなら克明に覚えているものもいるかもしれない。
事件は毎日のように起きて、手配書も毎日新しいものが出てくる。冒険者が目の色を変えるような高額手配書も。八十年前に出されたエトルタの手配書に目を通している暇人もいる可能性だってある。
奴隷商人と、奴隷商人を野放しにしている元人への怒りと憎悪が深いことはよくわかったので、この点について触れるのは少しヤバい気がした。
「捕らえられているエルフたちの話だが」
奴隷解放の方向に話を移す。
「ああ、詳細は歩きながら説明するわ」
基本的な行動方針は一つ。隠密行動であることには変わりがないので、作戦開始が夜になることだ。
エトルタの話通りだと、実際に動き始めるのは薄暗くなってからのことである。白昼堂々正面突破、入り口から入って出口から出る、なんて作戦ではなくて安心だ。
などと油断していたら、別の懸念に直面した俺は土下座を見せていた。
「すまん、アリア! 点呼の偽装を頼めるか?」
相手はアリアだ。スローモーションになってもおかしくない、流れるような土下座で頼む。後世、この土下座が「桃園の土下座」として残らないことを祈る。
アリアは物凄く不満そうな顔をした。
俺の身分は学生だ。異国の地にいるのは、従騎士試験参加のためだ。魔法騎士学院が用意したホテルなので、教員による点呼が定時にある。修学旅行を思い出すのは俺だけではない筈だ。
原作での主人公ははしゃぎ過ぎたあまり、点呼に間に合わず、教員から雷を落とされるまでのお約束を網羅していた。
俺の場合は主人公よりも悪いことになる可能性が高い。主人公は点呼時に不在だっただけで、その後はホテル内でぐっすりと睡眠を摂って試験に備えた。
俺は点呼時不在に加えて、ホテルに戻ることもない。そのまま夜を徹してエトルタと行動を共にする。
「若様……」
アリアの顔も声も渋い。自分も解放闘争に身を投じるつもりであったのが見え見えだ。アリアからすると、見事に肩透かしを食らった気分だろう。
選択肢などはなく、アリアに頼む一択しかないのは心苦しい。
「頼むアリア。引き受けてくれ。素行不良で試験中止にされちまうかもしれないんだ」
「一度、ホテルに戻って、点呼を済ませた後に行動するのではダメなのですか?」
「できるならいいが……それはかなり難しいんだ」
一旦ホテルに戻れば、休憩時間以外の外出はかなり厳しいものになる。教員たちが張った感知魔法を掻い潜る必要があるのだが、俺には荷が重い。
魔法の気配を感知するのは不得意だ。加えて俺が感知魔法を広げようものなら、逆にこっちの魔法の気配を知られてしまう。救出作戦に参加するのは不可能になる。
しかもこの感知魔法の種類よ。外部からの侵入に備えるんじゃなく、内部からの脱走を警戒してるじゃねえか。過去に宿舎を抜け出して問題を起こした学生がいたからこその対応なのだろうが、正直、迷惑極まりない。
シルフィードかクライブに頼むことも、現状では無理だ。俺には遠距離への通信を可能とする魔法はなく、アリアも持っていない。
エトルタは持っているかもしれないが、仮にも指名手配犯だ。シルフィードらを探して魔法を飛ばせば、それがレイランド側の感知に引っかかる恐れがある。
シルフィードらがホテルにいた場合は、魔法騎士学院の感知魔法が広がっているホテルに魔法を指向させることになるのだから、こちらは確実に引っ掛かる。
どちらにしてもかなり非現実的だ。
こんなことなら、最初から身代わりを頼んでおけばよかった。不満ありありのアリアは、俺とエトルタを交互に見る。
「あ」
エトルタが短く声を出す。ちょいちょい、とアリアを手招きして、そそくさの表現そのままに少し離れた場所に移動する。仲間外れにされたみたいで少し寂しい。
何事かをボソボソと話したかと思うと、アリアは、ハッと顔を赤らめて「違うから!」と大声で否定していた。何の話をしているんだか。
顔を赤くしたままのアリアが俺に向き直る。目付きが鋭くて、睨まれたような気分だ。
「仕方ありません! 今回だけですからね、若様!?」
「お、おう。ありがとう。よろしく頼むよ」
「うんうん」
隣りではエトルタはニヤ~と笑っていて、「そんなんじゃないと言ってるだろう!」とアリアは強く否定していた。下手をすれば、エトルタに飛び掛かっていきかねない剣幕だ。さすがに本当に飛び掛かりはしなかったが、ギロリ、とエトルタを一睨みしてから、アリアは人ごみの中に消える。
「なにを言ったんだ? あまりアリアをイジメないでくれるか。大事な味方なんだ」
「味方、ねえ。大丈夫よ。別にイジメていたわけじゃないから」
チロリ、と抗議の感情を込めた視線を向けたら、スイ、と透かされた。




