第百三話 解呪 ~手技を用いて~
エルフは魔法的素養の高い種族だ。特に水、風、土属性に優れた才能を示し、扱う魔法の威力やコントロールは、元人を大きく上回る。強い魔力をも生まれ持つ王族や高位貴族をすら凌ぐ。
反面、回復魔法への素養は著しく低いという特徴を持っている。エルフの主張に「我らは自然に愛されている」というものがある。
事実かどうかはともかく、元人よりも自然や精霊と近い位置にいることは間違いなく、このためからか、エルフは自然治癒力が高いのだ。
基本的な体力や回復力は獅子人のような獣人には劣っても、森の中のような場所にいるとその回復力は更に高まる。《暖炉の灯火》と森の中にいることが相まって、子供のケガは速やかに塞がり、傷口そのものも消える。他の子供のケガも次々に治していく。
「ほう、本当に火属性の回復魔法とはね」
「このレベルのケガなら問題はないよ」
エルフ女の感心の声に、俺は得意になることなく返す。問題になるのは、子供たちの首に着けられた首輪だ。
「くぁっ」
小さく、短い悲鳴を上げてエルフの子供が一人、倒れ込む。エルフ女とアリアは驚きと共に倒れた子供に駆け寄る。
ケガではない。ケガはさっき、俺が治療した。
子供が倒れたのは別の理由、首に付けられた黒い首輪から、音を立てて子供の首を絞めているのだ。単純に拘束具、広く使われている呼称は隷属の首輪、正式な名称は魂食みの首輪。
原作ではなかなか解呪する方法が見つからなかったという、曰く付きの呪具だ。最初に解呪に成功するのは、主人公が光の魔法を使ったときだ。
だがあれは、解呪とはとても言えない所業だった。主人公は一貫して、大きな魔法力を持ってはいても、精緻なコントロールに欠けていた。終盤で融合魔法や理法という自然の魔力を利用する術を覚えるようになってようやく、細やかな魔法力操作技術を身に着けたのである。
首輪を解呪したときも、光の魔力を首輪にぶつけて力づくで破壊していた。
掲載紙を見た瞬間、「力尽くじゃねえか」とツッコミをした記憶が残っている。ついでに、コンビニでの立ち読みだったので、声を出して気まずい思いをした記憶もあった。最終的には「まあ、解除できたからいいか」になっていた。
そんな真似、光の魔力を持っていない俺にはとてもできない。
「この首輪は……魂食みのっ! 元人め!」
エルフ女の歯軋りの音が響く。小さめの八重歯が輝き、元人の貴族である俺は首筋を食い千切られる幻覚に襲われた。エルフ女の厳しい視線が俺を貫く。
「サンバルカンの、貴様は解呪魔法は使えるか?」
予想通りの詰問、じゃなくて質問が来た。正直に白状する。解呪はできない。
火属性の解呪魔法は呪いそのものを焼き尽くすという類のもので、一つ間違うと呪いも人も含めて焼いてしまうという、かなりコントロールがシビアなものだ。
種類も、低級の呪いを焼く、中級の呪いを焼く、上級の呪いを焼く、の雑な三種ほどである。
原作だと解呪や回復は水属性が中心になっていたのはこの影響なのか、はたまた、最初から火属性には回復系が期待されていないのか。
バトル系の漫画なので、呪いが前面に出てくることは少なかったため、俺自身も回復手段を覚えておこうとは考えても、解呪については考えてこなかった。
呪いは水属性に任せよう、と考えていたばかりではない。呪い対策が頭に浮かぶことすらほとんどなかったのだ。
仕方ない、正直に打ち明けよう。
『しゃあない、ワイが手伝ったろやないか』
「ぬぉっ!?」
打ち明ける寸前、いきなりの声に驚いてしまう。エルフたちから怪訝を向けられたじゃないか。どういう風の吹き回しなのか。
『あの首輪、ごっつ気に食わんねん』
アディーン様は腕を組んで顔をしかめている。
元は魔聖ダリュクスの作った術が関係しているという。強大な力を有する「ゼロの魔物」を抑え込む目的で作った術式が、中途半端な形で現世にまで残り、しかも変質して用いられている。
魔聖ダリュクスにしても、「ゼロの魔物」を抑え込むことなど到底できず、破棄した術式であった。
「破棄した後はどうなったんですか?」
『あないなけったくそ悪い術式、詳しいことは覚えとらんわ。多分、ルーディムのボケナスが持って行きよったんやろ。ダリュクスに反発しとったしな』
「……あいつか」
思わずこめかみを押さえる。ダリュクスには何百人もの弟子がいたが、とりわけ有名なのが五高弟とか五大弟子と呼ばれる五人だ。
中でもレイスルケルとルーディムの二人は双璧と謳われる弟子だったが、いつしかルーディムは師のダリュクスと袂を分かつ。
黄昏の獣たち創設にもかかわったことは設定として知っている。魔聖ダリュクスが破棄した術式を回収していたとは知らなかった。
「解呪できるんですか」
『んー?』
アディーン様がチロリと魂食みの首輪を見る。
『ま、問題あらへんわな。もちろん自分の協力はいるで』
封印されている状態なので、現世への干渉はほとんどできないのだから仕方がない。
「なにをブツブツ言っているの。外せるのか外せないのか、どっちだ?」
痺れを切らしたエルフ女の声が鋭さを増す。独語を続けてばかりで質問に答えないのだから当然だ。
「いや、すまない。大丈夫だ。その首輪、間違いなく俺が外そう」
「できるんですか、若様?」
「ふ、任せておけ」
『カッコつけとらんで、はよせえや』
「はは!」
子供たちに近付き、アディーン様の指示通りに動く。まずは両手を首輪に近付け、特に右人差し指を近付け、魔法力を集中させる。
と人差し指がいつもより急激に熱くなってきた。アディーン様の力だ。
『ほな、手順教えたるさかい、その通りにせえや』
指先から魔力が伸び首輪に触れる。干渉を嫌ったのか、首輪から複雑な紋様の術式が浮かび上がった。この術式に下手に干渉すると、首輪が爆発するとはアディーン様の言。
しかし干渉しても大丈夫な部分と、一発アウトな部分とがあるとのことで、その部分はアディーン様が教えてくれる。
『わかりにくかったらアレやさかいな、色つけといたるわ』
アディーン様の魔力が、首輪の術式を覆う。
術式の六割ほどが青くなり、三割が黄色に、限られたいくつかの部分が赤くなり、一点だけが緑になる。
緑がゴールということか。おぉぅ、わかりやすいはわかりやすいけど、赤色の部分がやたらと不吉に見えてきた。
指先から伸びる魔力がより細くなっていく。
首輪の赤色の術式は丁寧に避け、一部は枝分かれさせた魔力で青色部分の術式を遮り、黄色部分の術式は改変して繋ぎ合わせる。
まるで医療ドラマで見る手術シーンのようになっている。違いは出血がなく、魔力の輝きがあることだ。
両手を使う操作に、利き手の右はともかく、左手は攣りそうになってきた。魔力の操作はアディーン様が手伝ってくれているとはいえ、一センチを進めるのに、要する時間は一分。
ミリ単位の操作を誤ると、首輪が爆発する。
「!」
マズい、手元を間違えて術式の一部を切断してしまう。
切ってしまったのは黄色の部分とはいえ、どんなトラブルが起きるか。
どうする? このまま進めるか。しかし切断部分から魔力の漏出やらが起きるとヤバいことになるのでは? いっそ中断して、別の方向から再試行してみるか?
『ええからこのままやりぃや。ワイがフォローしたる』
「え?」
俺の指先から伸びていた魔力の一部が、切断してしまった術式部分の両端に向かって伸び、繋ぎ直す。
「ふぅ」
重圧と緊張に心臓とか神経がどうにかなりそうだ。額から流れてくる汗が目が入りそうになって、手術シーンで汗を拭く描写があるのは当然だと思った。
こんなとき、操糸術を使うシルフィードがいればもっと手早くできるのだろうな、なんて雑念、もっての外。
十五分以上をかけて、魔力の先端が緑に輝く一点に――――
「っっ」
――――届く。