第九十七話 オフを過ごす
「うぇ?」
などと不安を感じながら寝落ちしてしまった俺は、レイランド側が用意したホテル――試験参加者向けの宿泊施設――で目を覚ました。
ミルスリット王国とレイランド王国の関係は長く、経済的な結びつきも深い。基本的に両国間の中も良好で、不動産投資も兼ねてミルスリット王国の有力者の別邸がいくつも構えられている。
サンバルカン公爵家も当然のように屋敷を持っているが、俺は使用していない。
エリーゼに対するイメージ戦略の一環、というのが理由の一つだ。もう一つの理由は単純で、仮にも『アクロス』ファンの端くれとして、主人公たちが泊まっていたのと同じホテルに泊まってみたいじゃないか。
レイランド王国の方針として、試験参加者が利用するホテルは、貴族も平民も金持ちも貧乏人も関係なく、同じグレードの部屋に宿泊することになっている。
男女別ですらない。実際に戦場に出た際には男女の区別などつくはずがないだろう、というのが理由だ。
この振り分けには特に貴族階級の人間たちからは不評で、特に女性参加者らは「冗談ではない」と自分たちで用意したホテルや邸宅に宿泊するのである。主人公たちと相部屋で構わないと口にするだけでなく、実際に行動に移したビヴァリーが例外なだけだ。
そういうわけで、俺たちが利用する部屋には悪役三人組だけがいるはずだった。少なくとも予定ではそうだった。
「お目覚めですか、若様」
「ああ、うん、おはよう、アリア」
予定は未定って本当だよな。この世界の考え方を踏まえても、嫁入り前の女の子と同じ部屋、というのには抵抗があった。
ましてやアリアは従者であって試験参加者ではない。無理に俺たちと同じ部屋に泊まる必要はなく、何ならホテルを手配すると提案したのだ。
「は? 従者になに言ってんの?」
と腕組みをしたアリアにタメ口で突き返されたよ。アリアは自分の仕事が好きである、事はなんとなくわかるが、加えて誇りを持って働いている節がある。
使用人として、主人(俺のことだよ)から離れることに抵抗があるらしく、それを勧めてきたことにも怒っているらしい。
いや、らしいじゃなくてかなり怒っている。
腕を組んでいるのだが、組んだ右腕の人差し指がトントンと動いているのは、アリアが苛立っているときによくする仕草だ。
ちなみにこれを放置すると、容赦なく魔力を込めた拳が飛んでくる。仕事が好きでも、場合によっては主従関係を物理的に粉砕してくるのだから、アリアらしいと言うか何と言うか。
尚も反省がないようだと、次は魔力を込めた爪の一撃だ。獅子人の爪はただでさえ鉄剣と凌ぐ切れ味なのに、魔力の上乗せがあると巨大な城門ですら引き裂くことができる。我が屋敷の風通しがすこぶるよくなったのは、ほんの半年前のことだ。
これで獣人に適した戦闘法、闘気の使い方まで習得したら、どれだけの戦闘力になることやら。魔力と闘気の融合なんか、原作でも見たことないよ?
「若様、今日のご予定は?」
「今日はオフ日だからなぁ」
昨日のパーティは従騎士試験参加者を主役にした催しで、今日は試験を見守る大人たちに向けた、会合や会議がいくつも開催されることになっている。主催者や招待された側からすれば、重要な外交の場であるわけだ。
生徒たちを置き去りにしているように見えて、実はそうでもない。レイランド王国までの道のりは、参加国によっては決して短いものではなく、昨日のパーティまでずっと動き続ける羽目になった例だってある。
従騎士試験参加者の体調を万全にし、試験の公平性を担保するための方策でもあるわけだ。
「ん? 他の二人はどこだ?」
相部屋のシルフィードとクライブは既にいない。時計の針は朝八時を回ったところ。早起きではなくても、そこまで遅いわけでもない。移動などで蓄積した疲れを考慮すれば、許容範囲ではなかろうか。
「クライブ様は食堂です。筋肉と相談しながらメニューと睨み合っています」
「上腕二頭筋とか広背筋とか大胸筋にはよく話しかけているな」
「さっきは僧帽筋に話しかけていました」
筋肉の数だけ人格がありそうだ。
「そ、そうか。シルフィードは?」
「ウォーキングに出られました」
「ウォっ!? シルフィードが!?」
「はい。そこまで驚くことですか?」
原作シルフィードを知っているからこそ、驚くことだ。
原作でのシルフィードは登場シーンの度になにかを食べていたイメージがある。マンガではそこまで酷くはなかったのに、アニメになるとかなり強調されていた。素手でケーキを掴んでモッチャラモッチャラ食べていたり、「げふぅ」と息を吐き出したりしていた。
妹に肥満を怒られているとは口にしていたが、まさか不摂生の生きた見本みたいなイメージだったシルフィードが、運動を取り入れて、しかも試験中にまで継続しているとは。
精々が間食を減らしたくらいだとばかり思っていた。侮ってごめんね、シルフィード。
「そうか、二人とももう動いているのか」
別になにかをしなければならないわけではない。でも俺が動かないでいるのも、どこか座りが悪い。でもすぐにはやりたいことが思い浮かばず、アリアの意見を求める。
「うーん、アリアはどこかに行きたいとかある?」
「へ? あたしか?」
「ああ。アリアも俺のところに来てから、単発の休みはあっても、観光できるような暇はなかったろ? 仕事は真面目にこなしてくれているし、ちょうどいい機会だから、行きたいところとかあったら言ってくれ。日頃の感謝もこめて、案内させてもらおう」
「若様……」
俺もレイランドには来たことがないが、そこは『アクロス』マニア。ファンブックに原作、ゲーム化した際の知識などから、どこにどんな店があるかなどはかなり詳しく知っている。喜んでアリアを案内しようじゃないか。
軽めの朝食、そして手早く身支度を終え、四十五分後には俺とアリアはレイランド王国王都ランパスティルの街に降り立っていた。
試験進行そのものは、学院など試験関係者が全部やってくれているため、生徒にはあまり関係はないことだが、従騎士試験は国際的な大イベントだ。そのため、試験開始までの日程が細かくきっちりと詰め込まれている。
日毎時間毎の会議やイベントが目白押しで、各国間の懇親会だけでなく、試験に合わせて提供される用具の品評会や、売買契約交渉も予定されている。
もちろん、これらの品々の大規模な取引も、従騎士試験の重要な要素だ。生徒も大人も試験開催中の時間を最大限、有効に使うことが求められていて、各国有力貴族や優秀な魔法騎士候補に目星を付けるためのパイプ構築に使うことが大半だ。
貴族生徒たちも、生徒どうしでパーティを開いているという。俺のように貴族でもない、それも獣人の使用人との町に出ることに時間を割くなど、異例中の異例だ。
試験中の王都ランパスティルは、行きかう人の数が常を遥かに上回る。なにしろ、王都人口の十倍以上の人が集まるので、どこの店も「儲けを出すならここ」と懸命に売り込みをかけている。
建物の中に入っている店だけでなく、通りに所狭しと出ている露店も、掛け声や幟、五感に訴えかける音や匂いを駆使して客を呼び込んでいた。
改めて状況を振り返ってみよう。今、俺は女の子と二人で街に買い物に出ている。
「あれ? これってもしかしてデートなんじゃ?」
意識すると急に緊張してきた。日本にいたときからデート経験などない俺だ。ましてや相手はアリア。とびきりの美少女であるだけでなく、魅力的なケモ耳ケモ尻尾の持ち主である。