第九十六話 望んでないのに会話イベント
エドワードの姿が完全に見えなくなってようやく、会場のあちこちから安堵の溜息が漏れた。俺も、主人公たちも同様だ。
「クマルセル様、ありがとうございました」
嫌で嫌で仕方ないけど、まったく止む無しで義理を立てよう。そんな感じの声は婚約者様のもので、しかもクズセルと呼ぼうとしただろ。主人公に至っては、不愉快そうにそっぽを向いているだけだ。
憤慨の声をクライブが上げた。
「無礼な態度でおじゃるな。向こうは麿の筋肉を称えるだけの余裕があったというのに」
「自分で解決できるつもりだったのであろうよ」
「別に構わないよ、二人とも」
主人公側の人間の態度が大きく変わることを、期待していないわけではない。けれど破滅回避を考えると、距離を開けてくれることが一番だ。それと筋肉だるまは別に誉め言葉じゃないからな。
「それではビヴァリー嬢、俺はこれで。引き続きパーティを楽しんでいってくれ」
こんな騒ぎの後で楽しめたら、どんだけ神経が太いんだって話だが。
自分に当てる表現として適切かどうかはともかく、俺はそそくさとその場を離れる。これ以上の揉め事はごめんだ。エドワードとは試験中に衝突することは覚悟していても、試験前にこんな因縁を作ることまではあまり考えていなかった。
物語の流れを大きく変えたことになった感が否めないが、これは必要なことだと受け止めよう。
マルセルとしてはビヴァリーとの距離は開けておきたいが、一ファンとしてはビヴァリーがあれ程に苦しむ場面は見たくないからな。
原作だと、ビヴァリーはパーティでの接触でエドワードの術中に落ちるのだが、エドワードはこの時点ではビヴァリーになにもしない。魅了の支配下に置くだけで引っ込むのだ。
まだ未熟な主人公たちに、巧みに隠蔽されている魅了を看破する術はなく、従騎士試験中盤でビヴァリーの裏切りに遭う。背後から主人公を斬りつけるのだ。
挙句、エドワードは魅了の力を一時的に切断し、正気に戻ったビヴァリーが激しく苦しむ様子を見て楽しんでいた。楽しんで、心が弱ったビヴァリーを更に強く縛ったのだ。
「ビヴァリーがあんなに苦しむところ、見たくないからな。ストレス展開はいらないよ」
俺の採った行動は間違っていない、と来るであろう胃痛に備えて腹部を摩りつつ自分に言い聞かせる。次に起きたのも、これまた予想だにしない展開であった。
「ドウシマシタ? 具合ガ悪イノデスカ?」
「!?」
ゾッとする声がかけられた。人を気遣う優し気な、それでいてドロリとした、まるでタールのようにこびりついてくるかのような印象の声。背骨が、魂が、真っ黒ななにかに掴まれて、逃げられない。
勢いよく顔を上げると、そこには陰性の魅力に満ちた美女が微笑みかけていた。
サラザールだ。
何で話しかけてくるの!? お前との接点はいらないよ!?
陶器のように白い肌、紫がかった黒の長髪はストレートで、豊満でメリハリのある肉体は肉食獣のようなしなやかさ。
一見すると慈しみと冷静さが共存しているような綺麗な目を、見ないように注意する。サラザール、サラに狩られる直前のエドワードがうっかり彼女の目を覗き込んでしまい、瞳の内に渦巻く狂気に中てられて強い恐怖に捉えられていた。
サラは魔眼使いではあるが、魔眼の能力を使わずにエドワードほどの使い手から動きを奪ったのだ。
「酷イ汗デスヨ、私ガ診マショウカ?」
せっかくの申し出を受け入れるつもりはない。
「いや、まったくもって大丈夫だ。少しばかり腹が痛いだけだから。恐らく緊張からくるものだろう」
「緊、張? フフ、カノさんばるかん公爵家ノ血ニ連ナル御身ガ緊張トハ……初参加ノコノ身ニハ励ミニナリマス。大貴族デモ我々ト同ジナノダ、ト」
嘘つけぇっ! お前みたいな戦闘狂の殺戮狂が緊張なんかするかっ! 精々が新しい殺し方を試すときの緊張くらいのものだろうが!
心の声を表に出すわけにもいかず、表面的に繕って返す。
「そりゃそうだ。俺はまだまだ未熟者だからな。心配してくれてありがとう。お互い大事な試験だ。精一杯、頑張ろう」
「激励ニ感謝ヲ。モシ試験デ戦ウコトニナッタナラ、正々堂々ト戦イマショウ。魔法騎士ラシク」
そうなんだよなあ。こいつ、性格は破綻してるけど、戦い自体は正々堂々とするんだよな。それだけ、自分の強さに自信があるってことなんだろうけど。
いかにも魔法騎士を目指す志高い生徒を演じて、サラもまた出口へと向かう。エドワードたちの元に戻るのだろう。
「ぶひ、ああいう女性がマルセル殿の好みなのかね? てっきりアリア殿が意中の女性だとばかり思っていたのだけど」
「なにを言ってるんだシルフィード君、俺とアリアはそんな関係ではないよ」
「ふうむ、筋肉が足りない気がするでおじゃるが……」
「そんな話でもないんだよ、クライブ君」
サラはそもそも筋肉で戦うタイプじゃないしね。
最後にサラはこちらに向けて小さく手を振ってきた。魅力的な笑顔付きなのが恐ろしい。
でもちょっと待て。なんか最近、笑顔が恐ろしい女性との縁ばかりが増えてきていないか? ついでにサラの隣でエドワードが口角を釣り上げて笑っている映像まで浮かんできた気がして、胃だけではなく腸まで痛くなってきた。
さて、ビヴァリーをエドワードの魔眼から守ることができた。そのこと自体はいいとして、ついさっきも浮かんだ懸念が、再び鎌首をもたげてきた。
原作にない動きをして、原作から外れた展開になったら、原作知識がなくなるけど大丈夫だろうか。
現に今回の試験、エドワードの従者がサラになっているのは大きな不安材料だ。
第二部で黄昏の獣たちの幹部として出てくるサラは、第一部で出てきたような敵とは一線を画する力を持つ。魔障石で強化されたコンセゴや、《スレイヤーソード》など比較にならない。
なによりも彼女は、哄笑を上げながら殺戮を繰り広げるような狂人だ。従騎士試験参加者を一人残らず皆殺しにできるだけの実力と、嬉々として行うだけの性格を併せ持っている。
対抗できそうなのは、辛うじてエリーゼくらい。その彼女にしたところで、短時間を稼ぐのがやっとだろう。
悔しい――と思うのもおこがましいほどに差があるが――が、今の俺では手も足も出ない。魔装を纏ったとしても、次の瞬間には魔装諸共に体を引き千切られて終いだ。
『どんだけ差があんねん』
「天地程には」
なにしろサラは、第二部の後半になって、インフレ成長をした主人公たちにとっても難儀な敵だ。具体的には、現世に顕現した第六使徒(ゴ〇ラ級のサイズ)を生身で投げ飛ばすくらい。
唯一の救いと言えるかもしれないことは、第二部開始は従騎士試験から一年後である点だ。原作初登場時のサラと、今のサラとでは実力に差があることを願う他ない。
大きく息を吐き出して、会場に意識を戻す。
エドワードたちがいなくなったことと、主催のレイランド王国側の尽力で、会場には少しずつ元の空気が戻っていた。完全に元通りとはいかないが、参加者たちは思い思いにパーティを楽しむことができている。
例外はある。一つは言わずもがな俺。とてもパーティを楽しむ気分にはなれない。
もう一つはビヴァリーだ。彼女は気分が悪いと言って会場の端に行ってしまう。壁の華状態になって、腕組みをして、柳眉を逆立てて、特に近付いてくる男を睨み付けている。
ニコルはビヴァリーを気遣って話しかけたり食事を持ってきたりしているが、残念なことに奏功しているとは言い難かった。
主人公? あいつはエドワードに怒っていたくせに、あっという間に美味い食事の虜になってバクバクと食べていたよ。時々、あの神経の太さが羨ましい。