第九十五話 余興
だからこそか、己の主張に乗ってきてくれるとでも考えたのかもしれない。以前のマルセルなら間違いなく、食い気味に同調したに違いない。
今の俺は、絶対に乗らんけどなぁっ!
「まったくそうは思わないな」
「あ?」
完全に予想外だったのだろう、エドワードは間の抜けた顔を見せた。
「そちらのアクロス君は光の魔力を持つ優秀な、王国が期待する極めて優秀な魔法騎士候補だ。そこに貴族や平民の差はない」
おお、とざわめきが会場に広がる。エドワードを含め、会場中から驚きと、信じられないものを見る目が俺に集中する。
どうやら周囲からの俺の評価は、まだまだこんなもののようだ。主人公なんか、物凄い顔でワナワナと震えている。
「おいおい、こっちは随分と噂と違うな。貴族の範たる存在だと聞いてたんだがな」
エドワードは決して俺を褒めているわけではない。クズと名高いマルセルを唆して、主人公を更に貶めようと思いついたのに、思い通りにならなかったことで皮肉を突き付けてきただけだ。
「貴族の範というものがどんなものかはよくわからないが、学院に身を置くものとして、魔法騎士に必要なものは理解している。即ち、武勇、勇気、高潔、忠誠、寛容、信念、礼儀、慈愛、崇高、統率だ。残念だが、血筋や血統なんていう項目は存在しないな」
俺の返答を受けて、ざわめきの第二波が大きく、早く広がった。エドワードもビヴァリーも、周囲の誰もが驚いている。そして主人公、驚きのあまり顎が外れている。
例外は極めて少なく、悪役三人組のメンバーと、しっかりと頷くエリーゼくらいのものだ。ニコルもちょっと微妙な感じである。いや、もう一人いた。何故か会場警備に就いている例の圧の強い門番も、しっかりと頷いている。
俺の返答はまったく及第点に届かなかったのだろう、エドワードは大げさに肩を竦めた。
「つまんねえ連中だ。ま、だったら俺が面白くしてやるだけだがよ」
エドワードの右腕が小さく動き、手の甲がビヴァリーに向く。
「!」
マズい、あれは!
「絶対に退屈しない、最っ高に面白い祭りにしようじゃねえか」
すい、と持ち上げられそうになったエドワードの右腕を、俺の左腕が抑えた。
「!? あの場所から一瞬でここまで移動するのかい。やるねえ、公子閣下」
エドワードの賛辞はありがたいが、自分でも驚くべき速度が出たと思っている。これが火事場のバカ力という奴か。
「それで、これはどういうつもりかなぁ、公子閣下ぁ?」
にやけた表情のまま、エドワードの視線は俺に向けられたままだ。俺の左腕は、変わらずエドワードの右腕を制している。
これで相手が美少女なら、パッと手を離して今後の展開にドキドキできたろうに。同じドキドキでも、相手がエドワードだと不安と恐怖と嫌悪に満ち満ちている。
「こっちには男に触れられても嬉しくもなんともないんだがね?」
「俺にもそんな趣味はないさ。ただ」
「ただ?」
「右腕に、正確には右手の甲にあんな妙な魔力の流れがあったら止めるだろう」
「!」
「今日はめでたい席なんだ。主催者の顔に泥を塗るような真似は慎むべきではないかな?」
「てめぇ……感知しやがったのか? そんな情報はなかったぞ」
「どこの、どんな情報かは知らないが、不十分なものだったようだな」
さすがは黄昏の獣たち。情報収集力は確かなものだ。俺には感知能力はほとんどない。
サンバルカン公爵家は直接攻撃で目に見える相手を叩くことを得意とする家系で、一族全体が感知や探索といった分野を酷く苦手としている。マルセルも一族の例に漏れず、感知には専用の魔法を必要とする。
転生して中身が変わっても同じだった。日本人特有のエアリーディング能力が進化してくれることもなかった。
当然、俺にはエドワードの魔力の流れなんか見えるわけがない。エドワード自身が魔力の気配を隠匿する技術を持っていて、それもかなりの水準なのだ。
俺が動けたのは偏に原作知識のおかげである。
魔眼の使い手ブルスナー家に生まれたエドワードは、生まれたときには両目に魔眼を宿していた。生来の魔眼は今では右だけにのみ残っているが、では左の魔眼がどうなったのかというと、実は摘出されている。
眼神経は黄昏の獣たちの技術により培養され、巨大化した眼神経はエドワードの額に再移植された。
結果、エドワードは全身に魔眼を宿すことに成功したのである。最初の移植に耐えきったことで、多くの魔眼を植え付けられたのだ。
核となっているのが、額にある巨大な、元は魔眼だ。エドワードの左目を元にした改造魔眼で、体中の魔眼を統率したり、効果を増強したりする効果がある。
全身にある無数の魔眼のうち、エドワードが好んで使うのが手にある魔眼だ。挨拶などで手を上げた瞬間などに発動、相手を魔眼に絡めとることを手口としている。
今回もそうだ。流れには多少の違いはあれど、顛末についてはかわりない。会場でビヴァリーと出会ったエドワードは、魔眼の力でビヴァリーを支配下に置くのである。
エドワードの魔眼の力は魅了。同性に対してはほとんど効果を発揮しないが、異性に対しては大きな効果を出す。エドワードに無条件で、絶対の好意を寄せるようになり、エドワードのために仲間や国をすら平気で裏切るようになる。
まさに、すべてを差し出すのだ。
原作だと、エドワードはこのタイミングでビヴァリーを魅了の魔眼で縛る。魔眼に囚われたビヴァリーは、従騎士試験中の重要なポイントで主人公たちを裏切る行動に出るのだ。
それを、俺が止めた。
「それ以上は止めておいたほうがいい」
「冗談だろ? 予想とはちょっと違うが、かなり面白くなってきたんじゃねえか。試験の前の予備戦と行こうぜ?」
こいつ、原作だと女好きの性格破綻者としての面が強く描かれていたが、戦闘狂の一面も確かにあった。でもまさかパーティ会場のど真ん中で、ここまで殺気を漲らせてくるとは。
エドワードの右手を抑える俺は、この状況で引くわけにはいかない。王国民の主人公が愚弄され、それを仲裁する形で間に入ったのだ。ここで引いてしまっては、王国の面子に関わってくる。
エドワードは殺気をより鋭くする。
離れた位置にいるエリーゼの表情には薄い笑顔が浮かび、美しい目は僅かばかりも笑っていない。
主人公もビヴァリーも怒りを隠さない。
攻撃性と愉悦に満ちた笑みを浮かべるエドワードの右後ろには、いつの間にか大男のフィエロが彫像めいた無表情で立っている。
会場全体が一触即発の空気に晒される中、
「皆、そこまでにするでおじゃる」
「ぶひ、一旦、冷静になったほうがいいと思うよ」
入ってきたのはシルフィードとクライブだった。シルフィードは料理の乗った皿を持ったまま、クライブは大胸筋をピクつかせながらだ。再びのざわめきが会場に満ちる。ただし、最初に俺が発言したときよりも小さなものだったのが、少しばかり気になる。
「せっかくのパーティなんだ。諍いは別の機会にするべきじゃないかな」
「ほほ、決着は試験中にするでおじゃる」
至極もっともな介入に、少し会場の空気が弛緩する。
「今度はブタに筋肉だるまか。ミルスリットは色物が豊富だな」
「ソコマデニシマショウ、えどわーど様」
「! サラ……」
尚も矛を収める様子を見せなかったがエドワードが、不意に態度を変えた。
「ぱーてぃノ余興ニシテモヤリスギデスヨ」
抑揚のない語り掛けには、これといった力がないように感じる。しかしエドワードは、俺が抑えていた右手から力を抜いた。
「は、白けたな。まあいいさ。確かに、試験中にいくらでもチャンスはあるだろうしな。行くぞ、フィエロ」
「はい」
エドワードはフィエロを連れて会場を出ていく。