第九十四話 原作イベント発生
原作にない動きをして、原作から外れた展開になって、原作知識という最大のアドバンテージを失ってやっていけるのか、との不安はある。しかもこの短時間で不安は急激に大きくなっているじゃないか。
黄昏の獣たちの構成員、サラの従騎士試験参加が原因だ。爆弾魔コーハンはどうしたんだよ、バカ野郎。もしかして、試験に潜り込むため、サラが殺したんじゃなかろうな。
少しでも不安を和らげる要素はないものか。望み薄と考えながら、バルコニーから会場を観察する。和やかに、交流を深めている様子がうかがえた。
ふと目に入ったのはニコルだ。主人公たちから離れたのを見計らって、近付いてきたクライブの相手に疲れている模様。
話題といえば筋肉しかないクライブだ。ニコルと話が合うとは思えない。どっちかというと、シルフィードのほうが適任だろうか。ダイエットや宝石、人形制作で素材にこだわる点から衣装についても詳しい。
「!」
「お」
助けを求めるように視線を泳がせていたニコルと、目が合った。大きく手を振ってこられては、見ぬフリをするわけにもいかない。とりあえず戻るとす
「何だと、てめえ! もう一度言ってみろ!」
るかと思ったら、華やかな祝賀の場にはまったく似つかわしくない、騒ぎが巻き起こった。
急激に空気の変わった会場に、俺はというと、特に急ぐでもなく戻った。心中にあったのは「あー、原作通りのイベントだなぁ」だけだ。
「ぶひ?」
「何でおじゃるか?」
「アクロス君と……相手は誰?」
「やっぱり……主人公とエドワードか」
合流した三悪人とニコルを含む会場中の視線を集めるのは、二人の試験参加者。主人公とエドワードが視線で火花を散らしている。
今にも噛みつきそうな主人公、余裕の表情で見下した笑みを浮かべるエドワード。主人公がまだ成長途中の子供といった感が抜けていないのに対し、エドワードは遊び慣れた悪い大人といった感だ。
身長は一八〇以上、肌は浅黒く焼け、派手な赤髪には何本ものメッシュが入れられ、唇にも耳にも無数のピアスがぶら下がっている。右頸部から右胸部、右腕にかけて蛇を模したタトゥーが刻まれ、大きく開かれた胸元からは鍛えられた胸板が覗いている。
大学でウェイウェイ騒ぎつつ、裏に回ると薬物や暴力にかかわっていそうな感じだ。
民族衣装で会場に来ている参加者はいるが、大半は制服や礼服だ。エドワードも制服であるが、大胆に着崩している。会場にまったくそぐわない雰囲気だ。
一目見てヤバそうだと、絶対に近付きたくな人種だと識別する。そのエドワードは場違いに明るい声で続ける。
「おいおい、今はっきり言ってやったじゃないか。わかんなかったのかぁ? これだから平民はさあ。ほんっと、めでたいノーミソしてんな」
「てめ! 平民がどうとか関係ねえ! 魔法騎士に必要なのは志だ! 理想だ! 人々を守り抜くという決意だ!」
「はぁん? 守り抜くぅ? お前みたいは平民は守ってもらう立場だろうがよ。ミルスリットではまともな教育も受けさせてもらってねえのかな?」
「なっっ」
徹底して見下してくるエドワードに、主人公は当然のように反発する。
主人公、本当に自分のことしか見えていないんだな。周囲からの視線になんか、これぽっちも気付いていない。
ここはパーティ会場で、試験参加者は各国の代表でもあるんだぞ。その代表が大声を出して騒ぐなどと。
せっかくの美味い料理や楽しい時間を台無しにされて、他の参加者たちからは嫌悪や敬遠の気配が立ち昇っているのに、まったく気にしていない。
少し離れた位置にいる聖女様が、穏やかな微笑みのベールの奥で、マグマのような怒りを滾らせているように思えて、恐ろしいことこの上ない。
間に入るべき――間違いなく俺がトラブルに巻き込まれる――か。
距離をとるべき――絶対確実にエリーゼの個人的な怒りと失望を買う――か。
何だって試験前にこんなことで悩まないといけないんだ。うん? そういえばこのシーンって、主人公とエドワードの因縁ができあがる、あのシーンだよな。てことは、この後……あ、ヤバい。
「貴様、その無礼な発言を訂正しろ!」
やっぱりビヴァリーが出てきた。騎士道とか正義とかを掲げている伯爵家の令嬢が、エドワードの言動に我慢できるはずがないよな。
ビヴァリーは鋭い視線をエドワードに叩きつける。騒がしかった会場に、張り詰めた静寂が急激に広がった。ビヴァリーの怒りの発露に、主人公もライバルも言葉を失っている。
しかしビヴァリーの怒りも周囲の緊張も、この男には微塵も通用しなかった。エドワードは口笛を吹いた。
「ヒュー! すっげえいい女じゃん。ビヴァリー・ウォリッドの名前は聞いちゃいたけど、はは、噂以上だな」
直後に舌なめずりをしながら、無遠慮にビヴァリーを見るエドワード。
「ちっとばかし筋肉が多い感じだけど、まあ、いいか。すぐに俺好みの、女らしい体にしてやるよ」
「貴様!」
「なにを怒ってるんだよ? 俺を愛する幸福をくれてやろうってのに」
「っっ、愚弄するな!」
会話が成り立たない、成立させようとしないエドワードに、元々、千切れかけていたビヴァリーの堪忍袋の緒が千切れ飛ぶ。
会場には剣も魔法杖も持ち込むことはできない。補助用のアクセサリーの類も一つまでに制限されている。ビヴァリーの場合は指輪ではなく、左耳のピアスだ。
ビヴァリーの左手が自身のピアスに伸び、ようとしたタイミングで主人公が止めに入った。
「待て待て、ビヴァリー! こんなところでなにをするつもりだよ!」
「ぅく」
主人公の声に我に返ったのか、ビヴァリーの左手が止まる。さすがにマルセルのような横紙破りではない彼女だが、エドワードへの怒りまでを完全に抑え込めるはずもない。敵意の強い視線はエドワードに向けられたままだ。
当のエドワードには品定めの視線を収める様子もない。
「何だよ、しないのか? 別に俺はいいぜ。対立や衝突ってのも、イベントを盛り上がるからな」
イベントと表現していても、皆が楽しめるものではない。エドワードが愉しむためだけのものだ。
「は、つまらねえな」
エドワードはビヴァリーが挑発に乗らないことを悟った様子で、しかし去るような行動は採らなかった。
「情けない奴だ。まさか女の後ろに隠れてやり過ごそうって臆病者が、この従騎士試験を受けようってんだからな。平民に高貴な義務の機微をわかれってのは、土台、無理な話だったか」
ビヴァリーが無理なら、と最初の通り、主人公に軽蔑を向ける。
「お前みたいな臆病な平民が魔法騎士になろうだなんて、ミルスリットも随分と腐っちまったんだな。やめとけよ、国と魔法騎士の名を汚すだけだぜ」
そこまで言って、エドワードは突然、俺のほうに向いて笑いかけてきた。
「なあ、あんたもそう思うだろ?」
あの野郎、ふざけたパスを投げてきやがった。いや、まあ、ビヴァリーが絡んだ時点で動く必要があるんだから仕方ないんだけど!?
冷え切っているとはいえ、婚約している事実は尚も継続中。体面を気にする貴族としては、婚約者にちょっかいをかけられては動かないわけにはいかない。バルコニーどころか、中庭にでも避難しておけばよかった。
エドワードは黄昏の獣たちのメンバーだ。サンバルカン公爵家と俺の悪評は知っていて当然。
いや、黄昏の獣たちの情報収集力を考えると原作第一話、マルセルが主人公にボッコボコにされたことを知っていても不思議ではない。それ以前に、マルセルの主人公に対する悪感情も把握されているかもしれない。




