第九十一話 友情成立
あの組織の情報隠蔽や情報操作力は常識外れのレベルで、また各国各組織の上層にも食い込んでいることもあって、どこの国もほとんど把握できない。
俺が集めることができた情報でも、黄昏の獣たちに関するものは皆無とすら言える。原作知識がなければ気付くことすら不可能だったろう。
「ただ、背後や影にエドワードの姿が見え隠れしている。従騎士試験は周辺各国からの来客も多い。人身売買そのものはともかく、契約や顔合わせをするなら、この機会を逃すはずがないんだ。どうにかしてエドワードを追い詰めたい」
「それで私の口添えというわけですね」
できるなら確保まで持って行きたいけど、運命力とか主人公力とかが、いらん邪魔をしないかが心配だ。
「そうなる。この従騎士試験の最中なら、俺たちも試験中の行動という名目で動ける。違和感が少ないだろうし、エリーゼ様の協力が得られるならより動きやすい」
「貴方は従騎士試験に参加する身でしょう。調査に手を取られるあまり、試験に支障が出るようであればご実家が困るのではありませんか。少なくともルーニー伯爵だけなら、こちらで調査しますが?」
「主に反論は二つある。そっちは今までルーニー伯爵に手出しできなかったのに、そんなにすぐに動けるのか?」
「確かに、提供された証拠の信憑性を確認する作業から始めるでしょうね。実際にルーニー伯爵を調べるのには、時間がかかりそうです。もう一つは?」
「あの実家が困っても一向に構わん!」
「ぶふ!」
俺の断言に、エリーゼは原作でも見せたことのない顔で吹き出した。正直、かなり意外で、可愛い。こんな状況でなければ、エリーゼの性格を知らなければ、恋に落ちていたかもしれない。良かった、原作知識があって。
「コホン、試験は今年だけじゃないだろ。それに実家の顔色よりも、人々の平和な暮らしのほうが大切だ。本来なら、国境を跨いでの活動は、両国間の衝突に繋がりかねないから避けるべきなんだろうが、こっちは亜人たちの自由と命がかかっている」
介入できる理由が、動くべき理由が、たとえこじ付けでも存在するのなら、この機会を逃すわけにはいかない。
「なるほど」
エリーゼは瞑目し、七秒後に目を開けた。
「では、そうですね……マルセル様の班の試験内容ですが、書類運搬にしましょう。書類の届け先はルーニー伯爵で」
「それは、エリーゼ様っ」
「マルセル様は立派な志と、志を成すための行動力をお持ちなのですね。マルセル様のお気持ちは大変よくわかりました。私自身も亜人への差別は反対ですし、人身売買などもっての外。そういう事でしたなら、喜んで協力させていただきます」
「おお! ありがとうございます、エリーゼ様!」
果たしてこんなことがかつてあっただろうか。転生してからこっち、原作ヒロインに俺の言葉が届いた試しはなかった。しかも届いた相手があの聖女エリーゼ。ちょっと感動なんだけど。
頼んだのは口添えまでだった。試験の枠を超えて動くことを見逃してもらえる程度でもありがたかったのに、まさか試験内容にまで介入してくれるとは。
「ぁの、マルセル様」
「何ですか?」
「あの、それで、その、そろそろ離していただけると」
「ほえ!?」
顔を赤らめるエリーゼの視線の先を見ると、俺は気付かぬ間に彼女の手を握っていた。感動のあまり、俺自身も予想外の行動を採っていたらしい。暴挙なのか愚挙なのか壮挙なのか。勢い良く握っていた手を離す。
「すすすす、すまない!」
どどどうしよう!? ギロチンか縛り首か石打か鮫の餌かいや待て違うだろ。どうして死刑一択になってるんだよ!
「いえ。それで、その……マルセル様」
若干、歯切れが悪くなるエリーゼ。なんだろう、無礼を咎めるかどうかで悩んでいるのだろうか。
「いきなり手を取ったことについては謝罪する。すまなかった」
謝罪はするから断罪はしないでほしい。
「謝罪を受け入れます。それと、貴方に称賛と謝罪を」
「はい?」
「自分たちの内側だけのことだけではなく、力なきものを守るためなら、国境を越えてまで活動しようとするその決意と熱意、なにより行動力は、聖女などと呼ばれている私にもありません。いつかは持ち得たいと思ってはいますが、今はまだないものです。私よりも年下でありながら、それらを持つ貴方を心から尊敬します」
「お、おう」
よもや原作ヒロインから尊敬&称賛を受ける日が訪れようとは。今まで頑張ってきてよかった。ホロリ。思わず涙が出ちゃう。だって悪役なんだもの。
「マルセル様に関する悪い噂はすべて、マルセル様の真の狙いを隠すための芝居だったというわけですね。自らがよく調べもせずに鵜呑みにしてしまったこと、恥ずかしい限りです。下品な噂に踊らされ、本当の貴方を見もしなかった。本当に申し訳ありませんでした」
エリーゼの謝罪とは、かなり珍しいものを見てしまった。何となく、珍しい事ばかり続いたせいか、かえって不安になってくる。予想外のキャラがいきなり出てきて、殺しに来るみたいな展開があるんじゃなかろうな。
「その、マルセル様さえよろしければ、私と友人になっていただけませんか?」
「え?」
「貴方の志と強い意志、自らを貶めてでも断固としてやり遂げる行動力に、深い感銘を受けました。これほどまでに尊敬できる方に会えたのは初めてなのです。どうか、私と友人になってください」
「お、ぉおお、俺でよければ、喜んで」
こうして今日は、原作ヒロインと友好的な関係を築けた歴史的な一日になったのであった。
原作ヒロインと友人になることは大丈夫だろうか? 少なくともエリーゼには、マルセルを殺す描写がなかったから、その点は安心材料だ。彼女はただ、徹底的に追い詰めてくるだけだった。
今の感じなら。俺が言行不一致みたいなことにならなければ、大丈夫だろう!
しかしだ。まずい。どうしよう。何だこれ。本当に現実か? 左の頬をつねると痛いし、右の頬を張るとかなり痛いから、現実だとは思うけど、俄かには信じがたい。
だって俺だぞ? 最低最悪最劣最クズと誉れも高いマルセルだぞ?
そんな俺がまさかまさか、あのエリーゼと友人になれるだなんて、予想の遥か外側だ。世界のどこかがバグっていても驚かない。
いかん。本当に明日あたり、死ぬかもしれない。死んだら指輪の力でやり直すことができるかな。やり直すとしたら、どこからやり直すことになるんだろ。原作第一話の前からやり直しならいいな。
俺の意識がどこか遠くに飛んでいようと、俺がどんな人間関係を築こうと、破滅から逃れるために奔走しようと、あるいはそれらに成功しようが失敗しようが、お構いなしに時間は進んでいく。
従騎士試験の参加者たちは、行事の一つである壮行会のため、レイランド王国王城へと集まっていた。もちろん、俺もだ。
レイランドは国力は低いが格式が高い。レイランド王城に入ることは名誉なことであり、高位貴族であっても他国人が易々とは入れる場所ではない。
数少ない例外がこの従騎士試験で、試験参加者の中には今日のことを一生の思い出にする例すらある。
綺麗な思い出になるならまだしも、従騎士試験は実戦を伴う。試験に際して再起不能の大ケガや、数年に一度の頻度ではあるが最悪では死亡することすらあるのだ。
俺はというと、破滅回避のことばかり考えていて、破滅関連の人間と間違っても近付かないように周囲を常に警戒していた……わけではない。
破滅回避は確かに大事だが、同時に俺は『アクロス』の一ファンでもある。マルセルを殺した主人公たちとは距離を置くとして、他の人気キャラたちの顔を拝めるのなら、それはファン冥利に尽きるというものだ。