第九十話 二人っきりで
エリーゼは取り巻きたちを見て、言った。
「皆さん、少し下がってもらえますか」
「! エリーゼ様、それはっ」
「悪名高いサンバルカン公爵家の人間と二人きりになるなど、どれだけの悪評が立つことか。私は反対です」
「私なら大丈夫です。どうもマルセル様は余人を排しての話し合いをしたいようですから」
エリーゼの意見を無視することはできず、「エリーゼ様がそこまで仰るのでしたら」などと、納得し難い雰囲気を醸し出しつつ、取り巻きたちは離れていく。
完全に立ち去るのではなく、遠巻きにこちらを伺っている。なにかあればすぐに駆けつけてくる気満々だ。おい、詠唱をするのはさすがにやめろ。
まったく、エリーゼの実力は今の俺以上だぞ? 俺にどうこうできるわけないだろ。
実力差を考えると、俺が指一本動かす間に、エリーゼは五匹は鮫を召喚できる。あっという間に鮫に食い千切られるわ。美少女と二人っきりだというのに、これっぽっちも嬉しくない
「さ、マルセル様。これで話が聞かれることはありませんわ。どうぞ、続きを。もしかして、マルセル様がなさっている活動と関係のあることでしょうか?」
「私の活動を知ってい、ご存じなのですか?」
「マルセル様の話しやすい口調で大丈夫ですよ」
コロコロと笑う彼女の掌の上で転がされている感が否めないが、正直、改まった口調は苦手なので助かることは助かる。
「では、そうさせてもらうよ」
これでも活動は人知れず行ってきたつもりなのに、エリーゼには筒抜けになっている様子。レイランドの情報収集力が高いのか、いとも簡単にレイランドの跳梁を許すミルスリットがザルなのか。
いや、エリーゼ自身の情報収集力の高さもあるか。エリーゼが召喚する鮫は大小様々で、最小のものだと全長十センチそこそこ。潜れない場所のない小型鮫を方々に放って、情報を集めているんだったけか。
…………うん、話が早いとだけ思っておくとしよう。
俺からの話というのは、俺が王国内で行っている亜人解放運動についてだ。実際にはそこまで大層なものではなく、規模もまだまだ知れている。
しかしさすがは亜人嫌いで知られるサンバルカン公爵領。亜人を商品として売買する連中の数は俺が当初、考えていたよりもはるかに多かった。
多いだけでなく、規模が大きなものもいくつか確認している。中には国境をまたいで活動している組織もあり、今回の話もこの多国籍犯罪組織についてだ。
「俺の側で調べて分かったことは二つ。一つは、俺が追っている犯罪組織にレイランド王国の貴族がかかわっていて、この貴族は従騎士試験が行われる地域にいる」
「随分と大胆な発言ですこと。我が国の貴族を犯罪者呼ばわりするとは……両国間の問題にもなりかねませんよ?」
「俺の活動を知っている貴方が、国内の動きを把握できていないはずがないだろう」
「ふむ……我がレイランド王国はエルフや獣人の売買や奴隷を禁止しております。ルーニー伯爵も我が国の法を熟知しているはずです」
ルーニー伯爵なんて名前がサッと出てくるあたり、エリーゼも国内で行われている違法活動に目を配っていることがわかる。
エリーゼに目を付けられている不幸なルーニー伯爵は、この世界の貴族に多くみられる元人至上主義者で、同時に穏健な元人至上主義者だ。
亜人を地上から根絶する、などの過激な主張は持っておらず、亜人は自分が好き勝手に使える商品としてのみ捉えている。
「だがルーニー伯爵は元々、元人こそが神に生み出された正統な種族であり、獣人やエルフのような種族は元人の粗悪品だ、と主張してレイランドの中央から追い出された経歴があるだろう」
「よくご存じですね」
「彼は逆恨みと、中央に返り咲くための資金源として、亜人狩りと人身売買に手を出している。法で禁じている取引だ。当然、レイランド上層部のみならず、あちこちに後ろ盾や取引相手が存在する」
俺の指摘にエリーゼの形の良い眉がピクリと動く。
レイランド王国はミルスリット王国同様、国法において亜人差別や人身売買を禁じているが、元人の貴族たちが政権中枢を占めるレイランド王国上層の一部からは受けが悪い。
法制定の歴史も浅く、光の魔力を持って生まれたエリーゼのことで、より発言力を増したハートルプール公爵家が差別禁止法を提出し、成立させたのだ。
問題は成立までの過程である。ハートルプール家は反対派への根回しや説得などもそこそこに、勢いと権力に物を言わせて強引に可決したため、法案賛成派と反対派の対立が先鋭化していた。
ルーニー伯爵は急先鋒とまではいかずとも間違いなく反対派で、豊富な資金力を背景に、武器の購入まで進めているという話だった。もちろん表向きは領内の治安維持が目的だ。
「よく我が国の内情をご存じですね。随分と優秀な耳をお持ちのようで、羨ましい限りですわ」
うん、耳じゃなくて単なる原作知識だけど。
「俺も差別や人身売買には反対だ。ミルスリット王国全体を調べるとなるとさすがに色々と難しいが、サンバルカン公爵領内ならかなり色々とわかる。獣人を売買していた連中の中に、ルーニー伯爵と取引をしていた奴がいた。国外のことだから易々と手出しができないこいつらは、今回の従騎士試験に出ることが判明した」
「黒幕、というわけですか?」
「どの程度の黒幕かはわからない。だが確実なことが二つある。ルーニー伯爵と裏で繋がっていることと、ルーニー伯爵のように表に名前が知られていないことだ」
露見の危機に晒された場合、ルーニー伯爵だけを切り捨てて逃げおおせることができる位置にいるというわけだ。ルーニー伯爵と取引をしつつ、その気配を実に巧みに消していた男。
「男の名はエド、エドワード・ブルスナー」
「……その名をここで口にすることの意味を…………よく、ご存じなのでしょうね」
「承知の上だ」
「そうですか。エドワード様が」
エドワードはシャグライク王国の伯爵家令息だ。年齢はマルセルたちより三歳年上、と書かれている。
才能に溢れ、才能以上に野心に溢れる男で、奴隷貿易や人身売買、違法薬物の取り扱いまでしていて、原作では悪役三人組とは強く太いパイプを持っていた。
その性、凶にして悪と呼ばれる、原作上の強大な敵であり、そして、三人目の十二使徒の宿主だ。尚、マルセルはその性、腐にして劣などと蔑まれていた。
エドワードは親が黄昏の獣たちの構成員であり、この世に生を受けると同時、いや、生まれる前から黄昏の獣たちに所属している。
エドワードは母の胎内にいたときに、かの組織の手によって、第二使徒エルフリックを宿すことになる。どの年代で植え付けたら十二使徒の力を自在に扱えることができるのか、という実験だ。
だが残念なことに、あるいは当然のように、エドワードは使徒との意思疎通を図ることはできなかった。
意図的に使徒の力を使うことはできず、エドワードができることと言えば、封印中でも漏れ出てくる十二使徒の力を利用した再生ともされる驚異的な回復力と、無理矢理に暴走させることだけだ。
少なくとも現時点では。
ストーリーが進むと、黄昏の獣たちは不完全ながらも十二使徒を強制的に従わせる術式を完成させ、エドワードもより危険な敵へとなっていた。
「直接は知りませんが、伝え聞く限り、あのエドワード様でしたなら、どんなことをしていても不思議ではありません」
よく言うよ。他国の魔法騎士候補に過ぎない相手のことであっても、危険思想や、危険になりうる力の持ち主のことは詳しく調べ上げているくせに。
「ですがマルセル様、証拠はあるのですか?」
俺は首を横に振る。
「残念ながら決定的な物的証拠はない。書類や証言でもルーニー伯爵の名前は出てきても、エドワード・ブルスナーの名は一つも出てこない」
これはエドワードが優れているのではなく、黄昏の獣たちの力である。