第八十六話 圧のある門番
「ま、待って下さい。それはあんまりです!」
「そうです、マルセル様。た、確かにやりすぎたかもしれませんが、試験中止はお待ちください。そんなことになったら我が家は!?」
「家から追放されてしまいます!」
悲鳴めいた声で許しを乞うてくる。ただし乞う相手が見当違いだ。俺の一存ではできないことであり、試験続行を決める権限もなければ立場でもない。
そもそも、試験への参加資格の剥奪や失格判定を行うのは、俺でも聖女でもない。レイランド試験委員会とかいう組織だ。
過去の試験でも、身分や人種でのトラブルや衝突は毎回のようにあった。しかしこのことが原因で、試験資格を剥奪されたようなケースはなかったはずだ。
今回など、揉め事を起こしたとはいっても、刃傷沙汰になっていないことを踏まえると、恐らくはお咎めなし。あっても口頭注意処分くらいが妥当。別にこのまま、なにもなかった顔で試験を続行させることは可能だ。
ただし、それだと、間違いなく、あのエリーゼから個人的な悪感情を向けられることになる。これは怖い。
こいつらがサンバルカン派だと知られていることから、エリーゼの悪感情は俺に集中する可能性がかなり高いと言えよう。
「若様、どうしますか? 突き出しますか?」
「いや」
こんな連中、ここでバッサリ切り捨ててもいいけど、それはそれで余計な恨みを買いそうで怖い。
よし、ここはエリーゼに好印象を与えるため、少なくとも悪印象を与えないため、そしてこいつらには恩を着せる方向で行こう。
「わかった。話は俺がつける。だからお前たちは大人しくしていろ。これ以上の騒ぎを起こすなよ」
「おお、マルセル様!」
「ありがとうございます!」
「一生ついていきます!」
やめろ、ついてくるな!
本音はサンバルカン派の人間とのかかわりは、一切なくしたい。原作のマルセルのような典型的バカ貴族。主人公が成長していくとともに駆逐されていく。
けど原作マルセルほど救いようがないわけではない。ここで恩を売っておけば、なにかのときに俺を助けてくれることになるかもしれない。……怒れるエリーゼの前には、何の役にも立たないだろうけど。
――――おい嘘だろ、あのクズセルがまともなことを言ってるぞ
――――世間体を繕う術でも覚えやがったか
――――いやこれも自作自演さ。子分たちを暴れさせて自分が止める。傍目には横暴な貴族を窘める人格者を気取るってわけだ
――――聖女様にいい顔をしておきたいだけだろうさ。サンバルカン公爵は落ち目って噂だからな
転生から数年を経ても、俺の評判はまだまだこんなものだとさ。ほんとに破滅から逃れられるんだろうか。ずっしりと不安が圧し掛かってくる。
「助かりました。ありがとうございます、公爵公子閣下」
丁寧な礼は門番のものだ。公子閣下なんて呼ばれ方はしっくりこないが、軽蔑以外の態度で応じてもらえるのは、正直に嬉しい。
ちょっとした感動に震えている間にも、次々と豪華な馬車が入ってくる。
「マーチ侯爵公子閣下、閣下のお使いになる人形について確認しなければならないことがございますので、申し訳ありませんが見せていただけますか」
「ぶっひっひ、もちろんだよ」
人形の造形美と機能美には、絶対の自信を持つシルフィードだ。人々の注目を集めることができるのは、むしろ望むところである。
上機嫌で馬車の中から、透明なケースに入れられている『黄金の』ベアトリクスと『銀の』セルベリアの、二体の人形を運び出す。
周囲からは感嘆の声が聞こえてきた。チェックをする側の門番たちも、思わず見入ってしまうほどだ。
「いやー、凄いですね。これが閣下の人形ですか。噂に上るようになってから、例の会報を拝見させていただきまして、すっかりファンになってしまいました。まさかこれほどとは」
「ほうほうほう! そんなに噂になっているのかね? いやはや、操糸術も随分とメジャーになったということかな。これも僕の尽力のおかげだねぇ」
噂になっているのは二体の人形であって、操糸術のことではない。人形コンテストに興味のない人間でも、高位貴族の人間が手ずから作り上げた人形、には興味や関心が向く。ファンになる人間がいても不思議はない。
「実に素晴らしい造形だと私も思います」
「そうだろうそうだろう、はっはっは!」
「では閣下」
「なにかね?」
「こちらの二体は持ち込みできません。押収させていただきます」
「なんとぉっ!?」
思い切り持ち上げてから、激しく落とす。ワールドカップバレーのスパイク並みの勢いと角度だ。門番からの無慈悲な通告に、シルフィードの顎が外れかねない勢いで開かれた。
「どどどどういうことかな!?」
「従騎士試験のレギュレーションに反しております」
「いやしかしだね? 杖や剣といった、必要とされる道具は持ち込みが許可されているではないか。僕の使う操糸術は人形を操る術だ。ベアトリクスとセルベリアの持ち込みを拒否するなど、あまりにも不当ではないか」
シルフィードの言い分はあんまりなものではない。むしろ至極真っ当なものだ。杖は可、剣や槍や弓矢も可、鎧も、場合によっては武装している馬を持ち込むことすら構わない。
なのに人形だけは不可、というのは筋が通らないではないか。
シルフィードの作る人形にはファンが多いらしいので、ベアトリクスとセルベリアを二体まとめて押収しようとする動きがあってもおかしくはないが、聖女エリーゼのお膝元で行われる従騎士試験では考え難い。これも悪役補正というものだろうか。
「実戦の多い試験に武器も持たず挑めということかね? 落とそうとする思惑が透けて見えるのだが?」
実力的にも原作の流れ的にも、シルフィードが従騎士試験に落ちることは考えにくい。魔法が使えなくとも、シルフィードの肉弾戦のレベルは従騎士試験程度のレベルなら、十分に突破できる。
操糸術のために作る糸で、岩や木を易々と斬り裂くシーンもあり、人形に頼らずともかなり強い。原作でもシルフィードは、従騎士試験では人形は最低限しか使わなかった。人形を使って手の内を晒すことを忌避していたからだ。
門番が居住まいを正して告げた。
「貴方の人形には毒を仕込むことが可能でしょう」
「あ」
冷静な指摘にシルフィードの動きが固まる。操糸術は術者が安全な場所にいて、中遠距離から人形を操って敵を一方的に蹂躙する要素が強い。
魔法騎士の名が示す通り、騎士道精神的な考えを持っているものも多くいて、自らが前に立たない戦い方を忌避する魔法騎士も多くいる。
毒についても同様だ。卑劣な手段だとして嫌われている。過去の戦争で、魔法騎士団の複数の団員が毒ナイフなどの攻撃を受けて落命していることも、決して無関係ではないだろう。
操糸術の過去の歴史を紐解くと、毒の仕込まれていない人形の例がないくらいだ。
シルフィードも自分が作った人形に毒のついた刃と、毒煙弾を仕込んだことがある。ベアトリクスの金髪の何本かと、セルベリアの左小指の爪には毒が仕込み済みだ。
簡単には解毒できないよう、シルフィードが研究を重ねた末に作った毒である。
原作でも毒を受けた主人公が倒れた際、急遽、解毒剤の開発が行われることになったが、王国のトップ研究者たちが頭を捻っても中々開発できなかったほどだ。
「毒物は従騎士試験のレギュレーションに違反しています」
「使用するつもりなど勿論ないのだが」
「押収、します。もちろん、試験後には返却しますので。よろしいですね?」
笑顔で圧力をかけ続ける門番だ。
「……~~~~止むを、得んか……」
シルフィードを腕組みをして、眉根を寄せて、苦渋の末に決断の言葉を絞り出した。
シルフィードとて、毒を使用するつもりはないだろう。ただし毒を作ったこともあれば、毒を仕込んだこともある。従騎士試験で使用が禁止されている以上、人形を持ち込めば痛くもない腹を探られるのは確実である。