第八十五話 エリーゼの目の前で
どこかのバカ貴族が前世のマルセルと同じく、自分たちを優先しろと騒ぎだしたのである。規則を順守しようと頑張る門番たちは、明らかに対応に苦慮していた。
俺の前に選択肢が立ちはだかる。放っておくか、止めに入るか。
バカな連中だ。身分を笠に着て我を通そうとするなど、聖女エリーゼのもっとも軽蔑するところなのに。痛い目に遭えばいいさ、俺は遠巻きにさせてもらう。
――――あの騒いでる連中を知ってるぜ
――――おい、あの後ろの馬車を見ろよ
――――あれってサンバルカン公爵家の馬車じぇねえか
――――じゃあ騒いでるあいつらって
――――ああ、サンバルカン公爵の派閥の貴族だ
――――じゃああの奥にいる奴は、あのクズセルか
――――ハゲセルじゃなかったか
――――どっちでもいいよ
「こんちくしょうぉぉぉぉおおおっ!」
「若様、どうしたんですかっ? ちょ、顔が真っ青になってるぞ!?」
『ピヨ?』
運命力なんて大っ嫌いだ! アリアも思わず素の口調になっている。あとシュペクラティウス、卵のくせにピヨなんて鳴くんじゃない!
放っておこうと思ったのに、騒いでいる連中の正体を知って干潮並みに血の気が引いた。
騒いでいるのはサンバルカン公爵家の派閥に属する貴族たちで、これを放っておくとマルセル自身がこの行動を容認していると捉えられかねない。
そうなれば、あの聖女エリーゼの怒りを買う。
こっそりと窓を開けて外を見る。どうかエリーゼがこの場にいませんように。
「てぇっ、もう出てきてるじゃねえか! じょじょ、冗談じゃない!」
俺のささやかな願いが叶うことはなかった。思わず頭を抱える。
騒いでいる連中の向こう側には、聖女の姿が見えていた。原作ヒロインに相応しい、美貌と存在感を持っている。まだ成長途中であるのに、立ち昇る光の魔力はかなり強い。
レイランドの民たちにとっては、さぞかし頼もしい限りだろう。反面、こっちはエリーゼの魔力を感知するだけで生きた心地がしなくなる。
彼女の口元に称えられる小さな笑みが人食い鮫に見えた俺は、大慌てで馬車から飛び出した。
「若様!?」
「この騒ぎを片付けるだけだ。アリアは中にいろ」
「そういうわけにはいきません」
俺の忠告はアリアにはさっぱり無視された。俺の希望とか言葉って無視されるのがデフォなの? シュペクラティウスは親指を立てて、特製クッションの上にしがみついている。動くつもりは微塵もないらしい。なんだこの素敵な性格の従魔は。
アリアを連れて馬車から降りた俺は、騒ぎを起こしている貴族たちの前に立つよりも先に、指を突き付けて声を張り上げる。
「お前たち! なにをしているか!」
「ああん? げぇ、マ、マルセル様! いや、これは」
「はあ! マルセル様!? いやこれは我々はただ、ミルスリット王国貴族に相応しい扱いをしろ、と当然のことを言ってるだけでして」
「そうですそうです! それなのにこいつらときたら、貴族たる我らに順番を待てなどとふざけたことを口にするものですから……」
こっのバカ共が! 思わず唾を飛ばして怒鳴りそうになる。ヤバいマズいこれはダメだ絶対ダメだ。対応しなければミンチコース一直線。下手な対応でも同じくミンチコース行きだ。
くそ、従騎士試験の前にこんな正念場が来るなんて。正念場が多すぎしないかね!?
「愚か者共が! なんだって順番を守る程度のことができない。静かに待てば済む話だろう!」
「な、なにを言ってるのですかマルセル様。我らはミルスリット王国の貴族なのですよ? 他の連中とは違います。レイランド王国程度の小国、我らに対して最大級の敬意と、敬意に見合った対応をとるのが当然でございましょう」
「その通りですよ、マルセル様。彼我の立場を弁えさせることは貴族の義務であり責任。それを放棄することは引いては公爵家の権威の低下に繋がりかねません」
なるほど。真正のバカだこいつら。そしてマルセルはバカの最上位に君臨しているわけだ。
「お前らの言いたいことはわかった。だがその主張は根本的に間違っている。ここはミルスリットではなくレイランドだ。ミルスリットの法も慣習も通じない場所だ」
俺の指摘に、騒いでいた貴族たちは意表を突かれたといった態の顔をした。アリアは「さすがです、若様」みたいな顔をしている。
断っておくとミルスリット王国の貴族の全員が全員、これほどのバカなのではない。サンバルカン公爵家の派閥がバカというわけでもない。マルセルに媚びへつらう連中が軒並みドアホなだけである。
ミルスリット王国は大陸の列強の一つ。ミルスリット王国の貴族である自分たちは優先されるべき存在であり、有力貴族のサンバルカン公爵家の派閥に属するのだから尚更である、などと主張するアホの集まりだ。
彼らアホ共は己が間違っているとは思ってはいなし、ましてやアホ共の総元締めたる俺に注意を受けるとは思ってもいなかったに違いない。
「え?」
「それは……一体?」
まさに鳩が豆鉄砲を食ったような顔だ。
「俺たちは従騎士試験を受けにレイランド王国に来ている。つまりは試験を受ける立場であると同時に俺たちは、ミルスリット王国を代表する立場でもあるということだ。俺たちの言行その一切がミルスリットの評価に繋がる。内容によってはレイランド王国を侮辱することにもなる。国際問題だ。これを理解しているのか?」
この従騎士試験、原作ではイベント事のように演出されている場面がある。注目される生徒にスポットがあたり、主人公たちとの交流や衝突を描き、魔法騎士としてだけでなく人間的な成長も描いてる。
のだが、現実となると少し違う。
従騎士試験がイベントや祭りのように扱われるという側面があるにしろ、国家行事である以上、下手な行動は名誉と歴史ある従騎士試験と、開催国家であるレイランド王国と、開催に力を尽くしてくれているレイランド王国民を侮辱しているのと同義だ。
俺の懇切丁寧な説明に、貴族たちの顔は青と白のコントラストを呈していた。俺は視線をアホ貴族たちに固定したまま、視界の端に聖女エリーゼの姿を収めておく。目元と口元に浮かぶ穏やかな笑みがかえって恐ろしい。
さっきから位置が変わっていないのは、この騒ぎを注視しているからだ。騒ぎそのものではなく、騒ぎをどう解決するかに注目している。
ここで選択を間違えようものなら、彼女の怒りと失望と軽蔑を買う。破滅に向かって一歩、どころか百歩、いや破滅一歩手前くらいにまで瞬間移動しかねない。
「それに、だ。立場や権力を濫用して主張を通すようなやり方は、はっきり言って不愉快だ」
『『『うぇぇぇえええっ!?』』』
そんなに驚くようなことじゃないだろう! いや、かつてのマルセルに慣れ親しんでいたのだから気持ちはわかるけどさ。
「大声を出すな。いいか? お前たちは貴族で、従騎士試験を受けに来た、いわば国家の代表だ。そのお前たちががここで騒いだことは、我がミルスリット王国の品位を著しく貶めているのだとなぜ気付かない?」
よりにもよって聖女エリーゼの目の前だ。
これだけのことをやらかしたのなら、俺自身のためにも処罰を軽くしたり、なあなあで終わらせたりするわけにはいかない。貴族だからこそ範たるべし、と厳しい態度を示す必要がある。
「間違いなく、この騒ぎは試験官やこの門番たちを通じて試験機関に報告されるだろう。ミルスリット、レイランド両国の面子。魔法騎士の名誉や誇りを考えると、お前たちを処分しないわけにはいかない」
「しょ、処分と言いますと……?」
「試験中止。いや、レイランドからの国外追放処分すらあり得ることだ」
重々しい口調の俺の言葉に、騒いでいた連中の顔色は更に悪化した。まさかそんな大事になるとは思っていなかったのだろう。




