第八十話 振り返りとか確認は大事
近況報告をしようじゃないか。
誰にともなく、俺は決めた。視線は天井だ。高級な素材が使われているのに、なんとかいう現象のせいで、天井の模様が人の顔に見えるのは薄気味悪い。
数年が経った。俺ことマルセル・サンバルカンはつい先日、無事に十五歳を迎えることができたのだ。日本においては義務教育を終える年齢であり、原作においても学院編の最終章が起きる年齢である。
「でも感慨深くもなんともないんだよなぁっ!」
破滅の足音が確実に近付いているだけの状況に、思わず頭を抱えた。
原作上ではこの間、主人公とマルセルの関わりはほとんどない。描写は一切なく、単行本に書き下ろしのエピソードを入れられることもなく、作者が巻末に手書きの文字で「相変わらず嫌がらせをしている」と書かれたくらいだ。
「主人公はあくまでもアクロスであって、マルセルはあくまでも物語における添え物、それもさして重要でない添え物に過ぎないからな、仕方ないっちゃ仕方ない」
返す返すも、どうして脇悪役なんかに転生してしまったんだろ。
数年という時が流れる中、主人公は未熟ながらも順調に成長して仲間たちとの絆を深めていく。
ライバルは途中で死に瀕するような大ダメージを負いながらも、才能を開花させた。と言ってもこの時点では闇の魔力への覚醒はしておらず、強い風の魔力を発動させただけだ。
これだけでも主人公の劣等感を刺激するには十分で、班内で主人公とライバルの対立は徐々に先鋭化深刻化していっているらしい。
この時点ではまだマルセルの婚約者であるビヴァリーも、当然のようにエクスへの好感度が高い状態が続いている。才能を発揮していくエクスに刺激を受けて自らも訓練に励み、魔法剣の使い手として着実に成長していっていた。
マルセルとビヴァリーの接点だと? 婚約者としての顔合わせの義務を果たすためだけの数か月に一回の挨拶だけしかないよ。
それも家に来ての挨拶ではなく、学院内で義務感百パーセントの挨拶をして「ここで挨拶をしたのですから、公爵家を訪問する必要はないですね」と冷たい声と目と態度を向けてくる。
俺としては頷く他ないわけで、魅力的な原作ヒロインとの間にある崖の深さには愕然とするばかりだ。同時に安定の距離を知ることができてホッとする。
死亡エンドを考えると、積極的に距離を詰めていくわけにいかない。勿体ない話ではあるが、できるなら婚約を破棄したい身なので、数か月に一回でもまだ多い。
「うんうん、まさに原作通りの展開だ」
腕を組んで満足気に頷く。原作の通りすぎて頭の両側から鋭い痛みがしてくる。まさか悪性の脳腫瘍とかいうわけではないだろうな。
原作とは違う数少ない点がニコルだ。
ニコルとの仲は良くなった、と思う。食堂で会えばにこやかに談笑できるくらいの仲だし、ニコル自身が獣人のアリアたちと仲良くなっていて何度も屋敷に遊びに来るようになっていた。俺との仲よりも、アリアたちとの仲の方がより深まっているように感じるのは気のせいだろう。
魔法の実力もかなりのレベルで使えるようになっている。火魔法についてはまだ学年相応だが、雷魔法は六段階で中位レベルにまで到達していた。生徒の段階で中位級に到達しているなど、十分に天才の水準だ。
「他に違うのは……獣人たちだな。アリアたちもそうだし、関係性自体もかなり変わっているはずだ」
使用人として雇い入れたアリアは、魔法も学業も使用人としての能力もどんどん向上していっている。火の魔力に覚醒したときには、
――――若様と同じ属性……ぅ、嬉しいです。
と同じ属性であることに喜んでいた。アリアさんや、それは俺も同じなんだよ。火属性なら俺が教えられることもかなりある感じだしね。
『教えるて建前やろ? 手取り腰取りいうてベタベタと触りまくる魂胆とちゃうんかい? グヘヘとか笑いながら』
「どこのセクハラコーチだよ!? 懇切丁寧に教えますわ!」
クリスも火の魔法を使えるようになっていて、二人して学院に行きたいとの発言が出るようになっている。俺としても味方が傍にいることは心強い限りなので、実家に内緒で学院側に掛け合っている最中であった。
正直に白状すると、獣人が魔法騎士学院に入ることへの根強いも頑強な抵抗に、かなり手古摺っている。
少しだけ魔法の習得度合いについて触れておこう。『アクロス』の世界の魔法は習得度合いに応じて概ね六段階があり、その内でもっともわかりやすいのが火属性だ。
単純に、扱う火の色が変化するのである。赤・青・白・真紅・銀・金で、アリアは白、クリスはまだ赤であるが火の魔法との相性はかなりよさそうだった。
補足すると、この魔法の習得度合いについては、原作ではほとんど重視されていない。最初に設定が出てきたときには、主人公が自身の成長の目安にと注目されていた。
だがしばらくすると、物語の進行と共にパワーインフレの発生や十二使徒の設定が出てきて、まったく重要視されなくなったのだ。主人公は光の魔法を使うので、色分けが無意味でもあった。
ニーガン、原作で執拗にマルセルを追いかけてきた銀仮面は、アリアたちとは対照的に学力はあまり向上していない。元から机の前にじっと座っていることが苦手であることに加え、体を動かすほうが好きだという性分も大いに関係しているだろう。
逆に剣と体術については著しい成長を遂げていた。剣術は技術だけでも学生上位に匹敵し、生来の筋力やスピードを重ねると騎士ですら不覚を取るレベル。体術に関しては、もはや俺程度の及ぶところではなくなっている。
原作知識があっても、純粋な体術や剣術にはアドバンテージが発生しない。つまるところ、才能と努力の勝負になる。
俺とニーガンを比較すると、身体能力面で元人が獣人に叶うはずはない。これは俺が剣よりも魔法に比重を置いているのだから当然のことでもある。
引き取られて以降、肉体を鍛えることを怠らず、栄養バランスのとれた食生活を送ってきたニーガンだ。逞しくも爽やかなスポーツ青年といった風に成長していて、元の世界でもモテること疑いなし。当然、こっちの世界でもモテるのだ。
獣人に差別感情を持っているはずの元人たちですら、「ニーガンは別」と口にして熱い視線を向けている。かなり部分的ではあるが、ニーガンは元人と亜人の間を隔てる、差別という分厚い壁を乗り越えることができているようだ。
乗り越える、とはおかしい表現だ。どうしてニーガンのほうが乗り越える必要があるのか。正しさを言うのなら、壁のほうから崩れ去るべきであろうし、元人が壁を崩さなければならないだろうに。
とにかく、俺の死亡エンドを巡る動きとは大違いなのは羨ましい。
しかもカリーヌとの仲も順調そのものときている。二人とも公私の別は付ける質のようであるが、仕事中にも熱い視線を交わしていることを見かけることが少なからずあった。休日には一緒に出掛けることもあるらしい。
ちくしょう、俺なんて日本にいるときでも、そんな青春、体験したことねえよ。
魔法はほとんど使えないが、獣人は元々魔法を得意とする種族ではない――アリアとクリスの姉妹が例外なだけだ――ことを考えると、ニーガンに魔法の才が乏しくともさして不思議ではない。魔法が使えなくとも魔力を持っているシルフィードのような例もあるが、ニーガンは魔力もほとんどなかった。
「でも原作では代わりに闘気を使って戦っていたよな」
『ああ、魔力の少ない獣人やったら珍しないな。師匠でも付けたるんか?』
正しい判断だと思う。ニーガンを今以上に成長させるには、元人の訓練よりも獣人に即したメニューが必要だ。キャロライン先生も魔法騎士を育てることはできても、獣人の戦士を育てることはできないだろうし。




