第七十九話 愛の虜
広い部屋には高価な調度品が並び、無数の色の光が激しく踊っている。派手に騒ぎ立てることを全体にした光が照らすのはもちろん部屋などではなく、たった一人の男と、無数の女たちだ。
その男は嗜虐と歓喜が複雑に入り混じった笑顔を周囲に振りまく。笑顔を受けたのは女、女、女。
「ハーッハッハ! 最っ高の夜だぜぇえぇええ!」
男の大きな笑い声に、女たちも歓声で答える。人数にして三十人はいるだろうか。女たちはいずれも扇情的な下着姿か、そうでなければ全裸だ。
皆が皆、熱病に侵されたかのような、媚びるかのような視線を男に向けている。
群がる女たちを睥睨し、男は満足気に頷き、舌なめずりをした。燃え盛るような赤髪に、紫や青のメッシュが何本も入っている。
整った顔立ち。年相応を思わせる爽やかさと無邪気さを併せ持つ笑みを浮かべながらも、女たちに向ける笑みにはは肉食獣を連想させる凶暴なものも含まれている。身長は高く、足も長く、肉体も鍛えられ引き締まっている。
「最高だ。最っ高だ! さあ、もっと上げていこうぜ!」
男は高々とボトルを突き上げた。応えた女たちは嬌声を上げる。酒杯を、透明な筒の中に入った色とりどりの液体を、あるいは煙を溢れさせる液体を一気に飲み干していく。
女たちのテンションは否応なしに上がっていき、腰を振り、体をしならせ、媚びるような踊りを見せる。この場にいるたった一人の男に向けてだ。
この空間において、男は疑いなく王。絶対の権力を持ち、当然のようにそれを振るう。女たちは王に傅き、王の求めること一切に応える。全力で、全霊で、なにより、喜んで。
「はは! いいね、いいね! いーい感じに上がってきたぜぇぇっぇええ! じゃあ、ここらでスペシャルなゲストに登場してもらおうか!」
男が指を鳴らす。女たちに連れてこられたのは、同じく扇情的で、面積の少ない下着を身に着けた一人の女だ。
他の女たちとは違い、表情には苦痛と羞恥が満ちている。四肢には枷を嵌められ、枷どうしが鎖で繋がれていた。首輪も嵌められ、首輪から伸びる鎖の先が女たちから男に手渡される。
「どうぞ」
「サーン、キュ!」
「あぅっ」
男が鎖を強く引き、繋がれている女が短い悲鳴を上げて地面に倒れた。男は倒れた女の髪を乱暴に掴み持ち上げる。男の勝ち誇った視線と、女の屈辱と恥辱に塗れた視線が交差する。
「く、エドワード! 貴様、こんなことをしてただで済むと思うのか!」
「おいおい、怖いこと言うなよ。楽しくいこうぜ、皆みたいにさ」
「楽しく、だと? この状況がか!? 楽しんでいるのは貴様だけだろう! こんなっ、こんな格好を……!」
女の意識が自分と、周囲の女たちに向く。男を悦ばせるためだけに、女たちは尽くしている。むしろ、どうして理解できないのか、と非難すら纏っている。
どうしてあの女だけが、男に乱暴に扱われるなんて特権を享受できるのか。男に乱暴に扱われて、どうして幸せそうにできないのか。
男は舌舐めずりをする。獲物を前にした蛇のように。
「勘違いしないでよ。俺は強制はしてないぜ? みぃんな、自分たちから着てくれているんだよ。俺のために。俺に奉仕するために。俺に愛されるためにさ!」
「そうよ、ヘレン。私たちは皆、望んでエドワード様にお仕えしているの。下らない邪魔をしないで」
「貴女、メアリー!? やっぱりここにいたのね。お母上が心配して」
「どうでもいいわ、あんな女」
「なっ」
見知った顔、よく知っているはずの相手からの信じられないセリフ。女子爵として名高い母に憧れ、母のようになりたいと努力を積み重ねてきたメアリーが、あの女呼ばわりを母に向けるなど。またそのセリフを恍惚とした表情を浮かべながら告げるメアリーに、ヘレンは信じられない思いだった。
ヘレンは強くエドワードを睨む。
「貴様、メアリーになにをした!?」
「愛だよ、愛」
「……な……に?」
「幸せを与えただけさ」
間髪入れず、笑いを浮かべてエドワードは答える。
「俺を愛する幸せを。俺に愛される幸せを」
エドワードは嗜虐的な笑みを浮かべると、右腕を伸ばし、下着越しにメアリーの胸を揉む。左腕はヘレンの鎖を持ち上げ、そのままブラジャーの下に手を入れて胸を揉む。
「ぐっ」
乱暴な揉みかたはヘレンに痛みと屈辱を、だがメアリーはむしろ嬉しそうな声を出す。ヘレンは顔を赤くして、エドワードを睨む。
「お、前、メアリーに触れるな!」
「酷いこと言うなー。メアリーは俺に触れてほしくて仕方ないんだぜ? メアリーだけじゃない。この場にいる、俺の女たち全員が、だ。俺はメアリーの、彼女たちの愛に応えてるだけさ。俺自身の愛でもってね」
「お前が、愛だと。ふざけたことを。貴様が奴隷商と繋がっていることはわかっている。この場にいる女たちにも、もう売り手がついているんだろう!」
「それがどうかしたかい? 彼女たちは俺にすべてを捧げてくれたんだ。体も、金も、命も! 愛する俺のためにすべてを捧げることができるって、最高に幸せなことだろう?」
「戯言を口にするな!」
「まさか。真剣そのものさ」
エドワードの額に縦の亀裂が生まれ、左右に開かれた。そこにあるのは、赤く輝く不気味な目。魔眼として知られる力が解放される。
ドクン。瞬間、ヘレンの肉体は動きを失った。
「ヘレンにも俺の愛を分けてやるよ」
「お前の……貴方の、愛を?」
「そうさ。俺が愛してやる。そして、俺を愛する幸せを与えてやる」
「あ、ぃ……」
ヘレンの表情からも全身からも、怒りや殺意が霧散する。代わりに熱に浮かされたかの表情が浮かび上がる。
「貴方に愛して貰え、る?」
「もちろんさ。だからヘレンも俺に愛を捧げるんだ。いいな?」
エドワードはヘレンの胸を鷲掴みにしながら、肯定し、命令した。
「さ、捧げるわ! 全部、私の全部を貴方に捧げる!」
思慕なのか恋慕なのか、熱病に侵された顔と声と態度で、ヘレンはいとも簡単に誓いの言葉を立てる。しかしエドワードはもう一歩、踏み込む。
「全部ってどれくらい? なにを捧げてくれるの?」
「全部は全部よ。家の財産も、私の体も、私の命も貴方の好きに使えばいいわ!」
ヘレンの誓いに、他の女たちも一斉に声を上げる。
「私もすべてを捧げます!」
「わたしもです。わたしの全部をエドワード様の望みのために使ってください!」
「ひゃははは! もちろんさ! 俺の愛でお前たちを満たしてやる。お前たちも俺を愛せ! 俺を満足させろ! お前らのすべてを使って俺を満足させるんだ!」
哄笑が響き渡る。
エドワードの額の魔眼が放つ妖しい輝きとは対照的に、左右には魔力の輝きがない。特に左目は、無機質に光を反射している。そうと指摘されなければわからないが、エドワードの左目は義眼だった。
異常なまでに高まる室内の熱量とは対照的に、魔力の通ってない左の義眼は恐ろしいほどに冷え切っていた。