幕間:シルフィード編 ~その三十~
芸術的素養もないくせに投資対象として美術品を買い漁る金持ち、に例えられては、いずれ必ず魔法を使えるようになる、と反論してきた身に降って湧いてきた極大の衝撃。
確かに、これまでにも投資家としての才能を遺憾なく発揮してきたシルフィードだ。美術品の目利きは確かで、価値を知らない平民から隠れた名品を二束三文で巻き上げて、百倍以上の値を着けて売りさばいたこともある。
あまりにもアコギな取引を繰り返したおかげで、シルフィードの名は美術界界隈では知らないものはいない有様だ。
小麦を始めとする穀物相場にも手を出し、卓越した相場観を見せつけた。取引立会場ではノートにガリガリとなにかを書き込んでいる姿が何度も目撃されていて、値動きの転換や流れをあまりにもよく当てるともっぱらの評判だった。
市場関係者たちの間では、シルフィードチャートともオークチャートとも呼ばれる独自のテクニカル指標を開発したのではないかともっぱらの噂になっている。
別にどう思われようとシルフィードは気にしないが、赤琥珀などについては投資とはまったく関係のない話である。
「……」
ほんの少しの硬直を見せるシルフィードを、イヴリルは覗き込み、
「じゃ、また買い物につきあってよ」
そう、魅力的に笑う。
直前まで心中で苦虫を噛み潰していたシルフィードの口元は、への字に曲げられていた。
正直なところ、イヴリルとの行動は楽しかった。周囲からの好奇の目は鬱陶しかったし、明らかに釣り合っていない、とか、分不相応だろ、とかいう小声でのやっかみはそれ以上に鬱陶しく、腹の脂肪で弾き飛ばしてきた。
だが間違いなく楽しかったのだ。家柄と性格的に、他人に振り回されるのは新鮮な経験だ。こっちが心を砕いた結果、とんでもない威力のパンチを腹に打ち込まれたことなど初めての経験だった。
別にまた叩かれたいというわけではない。シルフィードに痛めつけられて喜ぶような特殊な性癖はない。
とはいえ、イヴリルへの協力が完璧に失敗したことは事実。如何に伝説級や神話級のアイテムであっても、クズ石程度の大きさでは「杖作成の課題に協力する」という約束を果たせていないことには変わりない。
イヴリルの笑顔を受けて、シルフィードの考えは至極簡単な経路をたどってゴールに着く。まずはイヴリルとの約束を果たすことに力を尽くそう。
お宝を手に入れるために、どれだけの幸運や努力があったかなどはまったく別の話。イヴリルとの約束には何の関係もないことではないか。
パン、とふくよかな両頬を挟むように叩いたシルフィードは、しかしそれでも、どうにかして乳白色琥珀を渡さずに済む方法はないものかと考えていた。もうちょっと学生らしい石を用意することで妥協できないものだろうか、と。
色々と秘密の価値を知っているリンジーなら、シルフィードの把握していない掘り出し物があってもおかしくはない。
「買い物というと、またリンジーのところでいいのかな?」
「は?」
魅力的な笑顔から一転、イヴリルの表情と声は急激に冷たいものにあった。
間違いなく妹は不機嫌になっている。シルフィードはわけがわからない。エントの枝はリンジーの店に置いておいたものだし、乳白色琥珀もリンジーの店で保管してもらっている。
杖作成にかかわる買物なら、リンジー魔法具店に出向くのが普通だと思う。普通、なのだがシルフィードは自分が、どこか致命的な失敗をしてしまったのではないか、と危惧を覚えた。
「違う、のかい?」
「~~~っ、別に! 違わないし!?」
腕を組んでそっぽを向くイヴリル。
絶対に違う。どこがどう違うかさっぱりわからないシルフィードでも、自分が間違ってしまったことだけはよくわかる。
シルフィードは妹の機嫌を損ねる経験は豊富で、女の子との付き合いの経験はない。つまり機嫌を損ねたイヴリルを宥める手札を碌に持っていない。
泣く女生徒を居丈高に命令して泣き止まさせたことはあった。またあるときは、不機嫌に顔を歪める女生徒に笑うよう強制したこともある。いずれの経験もこの状況では役に立たない、どころか害悪でしかない。
どうする? どうする? どうする?
「あ、ぁのさ」
「なに?」
恐る恐るの態で話しかけるシルフィードに、イヴリルはジロリとした目を叩きつけてきた。声も不機嫌そのものだ。
選ぶ言葉を間違えたら、顔か腹に強烈な一撃を見舞いかねない。イヴリルの一撃はシルフィードの分厚い脂肪を貫くだけの威力と鋭さを併せ持っているので、シルフィードもできることなら受けたくはなかった。
「そ、その、だね」
「だからなに? さっさと言ってくんない?」
シルフィードの頭にいくつもの選択肢が浮かんでは消えていく。結局のところ、残ったのは
「うむ。食事にでも行かないか?」
「は?」
まこと単純なものだった。それでもイヴリルの不機嫌さが少し、別の場所に飛んでいく。空気が和らいだことを悟ったシルフィードは更に言葉を続ける。この機会を逃すことができない。
「ふーん、食事?」
「そ、そう、食事! 王都には美味しいお店がたくさんあるからね。どうだろうか?」
「何で?」
「うぇ?」
「何であたしと食事に行きたいの?」
めんどくさ! シルフィードは心の声を握り潰した。
「それは、ほ、ほら、もう少しで杖作成の課題は終わるだろ? そのお祝いってことでさ。どうかな?」
両手を合わせて拝むかのようシルフィードに対し、イヴリルは腕組みをしたままだ。ただ表情がかなり動く。ニンマリ、といった感じの、嬉しさを噛み殺せない感じの笑みが広がっている。
「ん! ん! んん!」
自覚したのか、咳払いをして表情を立て直そうとするイヴリルは、シルフィードをからかうような目つきを向けていた。
「食事ってあたしと二人で?」
「ふえ? も、もちろん二人でだよ」
二人で、の単語がよほど気に入ったのか、イヴリルの元々崩れかけていた相好は、かなりだらしない感じで崩れる。数秒で立て直しに成功していたが。
「ふーん、そっかぁ、そんなにあたしと食事をしたいんだ。二人っきりで!」
「う、うむ。課題のお祝いなのだから、別に余人を加える必要はないしね」
「だよね! でも二人っきりかぁ! 仕っ方ないなぁ! 仕方ないけど、せっかくのお誘いだし、あんたの顔を潰すのも気が引けるからね。うん、一緒に行ってあげる。感謝しなさいよね」
「あ、ああ、する。するよ。ありがとう」
機嫌を直すことに成功したシルフィードは腹を、いや肩を下ろす。
どうやら一安心。と思ったのはシルフィードの気の迷いだった。王都で名高い高級店の名前や着ていくドレスをどうするか、などがイヴリルの口から次々に出てくるのを聞いて、シルフィードの肝は冷える。
想定では庶民の間で評判のいい、安くて美味いと評判の店を案内しようかと思っていたのに、とてもではないが、そんなところに連れて行ける雰囲気ではない。
秘密基地みたいに扱っている隠れた名店の名をいくつか思い出しながら、シルフィードの胃は痛くなった。
後日談としていくつかの話がある。シルフィードが本来の目的としていた資料の類については、イヴリルの協力もあってすべて取り戻すことができた。実にめでたい。
ベアトリクスとセルベリアの二体を同時に投入したことで、事後の整備に予想外の金を使う羽目になってしまう。使用している部品や素材にこだわっているのだから、仕方のない話ではある。
リンジーからは倉庫使用料の値上げを通告されて、その値上げ幅に顎を外しそうになった。絶賛、値段交渉の真っ最中だが、イヴリルも私物をいくつか持ち込んできているという新たな事実が判明して、どうにも分が悪い。
隠し持っていたお宝は手元を去り、財政的な打撃も大きいときている。研究資料などは無事、と言っても、これは元からシルフィードが持っているものであり、喪失を避けられただけに過ぎない。
これだけでもマシだと思うべきなのか。いや、他にも得たものはあるはずだ。
一体なにか?
妹との良好な仲である。
そんな考えに思い至り、激しく頭を振って否定するシルフィードであった。




