表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/180

第十二話 剣を振ってみる

 王都にあるサンバルカン公爵家邸宅の広大な敷地の一角で、俺は懸命に剣を振っていた。


 学院にはまだ行っていない。原作一話で行った悪行――宝物庫の鍵を不正に入手した件についての処分として、登校禁止措置が出ているのだ。


 公爵家の体面にこだわる親父殿が怒鳴り込んでいったから、すぐにも解かれるだろうけど、それまでは屋敷の外に出ることも控えている。


 親父殿、動いてくれるのはありがたいんだけど、権力で物事を動かすのって、イメージ改善を目指す側としては迷惑なだけなんだぞ。


 罰を受け、謝罪し、受け入れられて初めて更生の道を歩むってのに。


 これでまた自分の評判は悪くなるでだろうことを悟りつつ、けれど起きてしまったことを変えることはできない、と考え直す。


 今の俺には親父殿の行動を諫める力もない。結末を変える決定打もなく、数少ないできることというのが、この剣の練習か。


 原作ではマルセルの剣術体術のレベルは、どうして落第しないのか不思議な水準だった。魔法学院入学後も一度たりとて及第点を取ったためしがない。


 ああ、公爵家の人間だから落第しないのか。権力ってすごい。


 すごいけど自慢できることではない。へっぽこ剣術にもかかわらず、作中のマルセル自身はそこそこの腕前だと自負していた。


 理由は取り巻き共だ。マルセルに取り入るため、マルセルの機嫌を損ねないため、へっぽこ丸出しの剣術にもわざと負けていた連中のせいで、マルセルはここでも勘違いしていたのである。


 勘違いの鼻っ柱をへし折ったのもまた、主人公アクロスだった。「立派な魔法騎士になる」という夢を持つアクロスには、マルセルを気遣う理由がなく、正面から全力で剣を振るい、マルセルを打ち倒したのである。


 大勢の前でぼろ負けを喫したマルセルはギャン泣きし、更にアクロスへの怒りと憎悪を滾らせていくのだ。


 訓練などしなくても、主人公にかかわらないようにそれでいい、と思わなくもないが、運命力とか取り巻きとかが勝手にこっちを巻き込みに来る可能性はある。


 既に原作第一話の流れで関わっている点はもうどうしようもない。本当、第一話のマルセルをぶん殴りたい気分だ。主人公アクロスや取り巻きを避けるために登校自体を最小限にしても、公爵家の権力ならば、卒業は難しくないだろう。


 だがそれでは意味がない。ここが『アクロス』の世界で、主人公アクロスやアディーン様がいる以上、あの組織も存在していると思われる。アディーン様に見限られない場合、俺があの組織につけ狙われてしまう。


 素のマルセルでは対抗のしようもないので、力を付けておくことは絶対に必要だ。


 力をつけ、無様で惨めなヤラレ役とはおさらばし、主人公アクロスとは可能な限りかかわらない方向で行こうと思います。


 一人でブツブツと妄想を喋りつつ、誰ともなしに頭を下げる。幻覚妄想が活発です、などと診断されてもおかしくないレベルではなかろうか。


 剣と魔法と友情と努力が描かれる『アクロス』は、王道バトル物の少年漫画だ。負け役であるマルセルも、活躍はなくとも戦いの描写は多い。


 ステータスオープンとか叫ぶことで、凶悪強力なチートスキルを持っていると確認できたなら、「俺が歴史を変えてやるぜ」と意気込んでも良いが、そんなゲーム的要素を作中で見たことはない。


 マルセルも上級貴族なんだから才能は否定できないが、ひたすらやられる描写だけだったからな。これから覚醒する力とやらがあったとしても、過大な期待は酷というものだ。


 今の身分や立場がなんであれ、中身はスポーツ系の部活や習い事をしたことのない凡俗だ。大学でクライミングのサークルに入ったはいいけど、結局、片手の指に足りる程度しか参加していない。派閥に入るなら、疑いようもなくインドア派。


 山を砕き、大地を裂き、天を割るような常識とか理の外側の連中とは交流を持ちたくありません。悪役をやめた後は、信楽焼の狸の置物のようにひっそりと背景と同化しながら生きていく所存です。


『どこの政治家の所信表明やねん』


 空中にはお供えのメザシをかじっているアディーン様がいる。正直、十二使徒としての威厳など欠片もない。


『自分がアンパンを用意でけへんとか言うから、しゃーなしにメザシかじっとるんやないか!』

「小豆もないのにどうしろと!?」


 アディーン様は俺の中から日本の甘味に関する情報を大量にゲットしたらしく、特にアンパンに強い興味を持ったとのことだ。この点については「さすが十二使徒、お目が高い」と素直に称賛する。


 アンパンは日本人が生み出したもっとも偉大な食品だと、個人的に確信している。実家が三代続くパン屋だったし、何度もテレビの取材を受けたことがある。ふるさと納税の返礼品にも選ばれていたはずだ。


 物心ついたころには、早朝から仕事を手伝い、パン作りの練習もしていた。去年の冬には社長である祖父の許しもあって、遂に店にパンを置いてもらえるようになったのである。買ってもらったときは嬉しかったなぁ。


 だがこの世界には小豆がない。少なくとも公爵領内には見当たらない。アディーン様は酷くがっかりしていた。まあ、俺のがっかり感ほどではない。日本の食べ物で無双できないからではなく、なんというか、人生の相棒を失ったような喪失感を覚えたのだ。


『もうええわい。小豆についてはわいも探しといたる。それで、なんで自分、剣の修業なんかしてんねん。貴族やったら普通、魔法の修業やろ』

「俺もそれは思ったんですが」


 せっかく魔法のある世界に転生したのだ。魔法を試したいと思うのは当然のことだろう。しかし、俺が魔法修業の話を持ち出すと、間髪入れず使用人たちが絶望的な表情を浮かべるのだ。


 最初に見たときはギョッとするあまり、こっちから申し出を取り下げた。他に何人もの使用人に声をかけたが、いずれも似たような反応だった。魔法の練習を通じた触れ合いから、イメージチェンジをしていくという目論見は、儚く潰えたのであった。


「どうしてでしょう?」

『そら自分、当然やろ。魔法修行にかこつけて、気に入らへん使用人を火魔法で燃やしとるような奴と一緒しようゆーんは、変態かド変態くらいや』

「ほんともう、なにしてるんだよマルセルこいつは!?」


 他人の命を屁とも思っていなことを知ってはいたが、知っているだけでは意味がなかった。関係改善を試みようにも、最初の接触すらできないじゃないか。あと、アディーン様? 事情をご存じなら一言教えてもらえませんかね?


『アホ。失敗は自分ですることに意味があるんや』


 至言である。


 今となってはマルセルのしでかした悪行の数々を悔やんでも仕方がない。覆水盆に返らず。やってしまったことは取り返しがつかない。使用人たちに無体を強いるのをやめ、親しみやすい貴族の若様を目指そうじゃないか。


 マルセルはまだ十二歳。屋敷の隅々、いや公爵領外にまで悪評の広まっているどうしようもないバカガキだけど、どうにかしてここから立て直す。心の中で硬く誓う。


 ……何度も誓い過ぎてヒビでも入りそうな勢いだ。


『ほうほう、大層な志や。具体的には?』

「…………小さなことからコツコツと」

『望み薄やな』

「自分でもわかってますよ!?」


 漫画のイメージが強すぎて、どう足掻いてもクズ野郎になる未来しか見えてこないのだ。こんな調子で大丈夫か、俺?


 たとえ大丈夫でなくとも、今、剣を振るうことをやめるわけにはいかない事情がある。飛天〇剣流に憧れて木の枝を振り回したことは伊達ではない。


『腕の力で振りすぎや。それで踏み込みのつもりなん? 腰が高いし引けとるわ。それやと自分の足を斬るだけやな。足捌きになってへんやんけ。体幹が貧弱すぎるわ。〇翔閃ってなんやねん、龍〇閃って。飛び跳ねるだけやったらノミでもできるっちゅーねん。剣術の才能ないで、自分。ついでに努力の才能もいまいちやな』


 容赦ないツッコミの数々に、思わず血反吐を吐きそうになる。破滅エンドを回避するのは随分と先に話になりそうだ。時間はまだあるからと、油断はしないように……


「坊ちゃま、お客様がお見えです」


 ……しよう、なんてことを思っていると、すっかり忘れていた、いや、忘れておきたかった奴らがやって来た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ