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幕間:シルフィード編 ~その二十九~

 だから、本来なら、シルフィードは近付いてくるイヴリルの気配などわかるはずはなく、にもかかわらずイヴリルの気配がわかったのは、単なる偶然だ。


 シスコンがどうのとあげつらうのは控えていただきたい。。


「やあ、イヴリル、おはよう。別に決まったわけではないけどね、準備を進めておくに越したことはないだろう。癇癪を起した連中がいきなり追い出しにかかってくる可能性も、否定できないわけだし」


 連中とはつまり、実父と異母弟のことだ。自分には魔法スキルがないのだから放っておけばいいのに、とシルフィードは思うわけだが、侯爵たちにとっては違うらしい。


 イヴリルも小さいがはっきりと頷く。


「そだね。特に最近は、精神的にかなり不安定になってるみたいだから」

「ほうほう、不安定ねえ。なにがあったのだろうね?」

「さあ? あんたはなにか知らないわけ?」

「見当もつかないな」


 余談として、シルフィードは手が後ろに回ることを心配していない。モリスの反応で、正体が看破されたらしきことは覚悟している。


 イヴリルに赤琥珀レッドアンバーを渡しに出向いたときなどは、「もしかすると、これが今生の別れかもしれないな」と、内心でビクついていた。


 だが王都中で広がる噂を耳にして、またはばら撒かれている号外を目にして、大丈夫だと判断した。


 原作小説の多大なる影響を受け、ムーンライト仮面は、身長一八〇以上のスラリとした八頭身くらいの長身だという。


 髪もサラサラの金髪であっても、長髪ではない。抜きんでた魔法の才を持ち、飛行魔法を自在に操り、とんでもない美女を左右に配していた。


 とてもシルフィードのイメージと重ならない。二人の美女というのはベアトリクスとセルベリアであることは確実として、まさか人形とは思うまい。身長も等身も、魔法の才能についても完全に別人だ。


 ムーンライト仮面を名乗ったおかげで、人々の――特にファンを中心として――間では凄まじいまでの原作補正がかかっているらしい。張本人のシルフィードが怖いと感じるレベルで。


 常のモリスなら、迅速に対応するだろうに、一向に動かないことシルフィードの判断を後押しする。ムーンライト仮面の正体を秘しているのは、利用するためか、別のなにかしらの思惑があってのことだろう。


 心配し過ぎても、碌なことがない。無駄に疲れるだけなので、シルフィードはすっぱりと考えを切り替えていた。


「あ、そ」


 イヴリルが淑女にあるまじき大股で近付いてきた。背中でも蹴られるのか小突かれるのか。攻撃を受けることばかりを想像するのはどうか、と思うシルフィードである。


「……ありがと」

「!」


 しかしてシルフィードの予想は裏切られた。


 荷物を地面に置くために屈んだばかりの分厚い背中にかけられたのは、ややもすると聞き逃してしまいかねないほどに小さな声の、感謝の言葉だった。


「はて、何のことかな……痛だっ」


 とぼけるのと照れ隠しとを同時に試みたシルフィードは勢い良く立ち上がり、拍子に腰部と左膝に痛みを感じてしまった。腰をさすりながら、膝を労わってゆっくりイヴリルに向き直る、とシルフィードの目に着いたものがあった。


 イヴリルの形の良い耳に、小さな石が赤く輝いている。砕けた赤琥珀レッドアンバーを用いたピアスだ。


「イヴ……それは」

「ああ、可愛いっしょ? 似合う?」

「も、もちろん」

「でっしょー? ま、あたしに似合わないわけないんだけどね」


 イヴリルは長い髪をかき上げて赤琥珀をはめ込んだピアスをアピールする。


 シルフィードはというと、妹の大胆さに腰を抜かす思いだ。杖にはめるほどの大きさではない宝石を、指輪などの宝飾品にすることは珍しい話ではない。


 魔法発動体としての杖は、本来なら素材となる木材もしくは金属など+宝石+術式を刻み込んだ装飾によって成立する。杖の形状になることが多いのは、術式を刻むことや、彫刻による補助紋様を入れやすいことも理由の一つだ。


 魔法騎士は杖を使うもの、との固定観念もかなり強いが。指輪などの宝飾品だと、はめ込む石のサイズも杖より小さくなり、刻める紋様や術式も少ない。


 だから大体の場合は補助用や緊急用として身に着けることになるのだが、貴族たちの間では、この宝飾型魔法発動体に凝ることは常識とされている。


 大きな石を使うこともあれば、メレダイヤのように小粒の石をいくつも使うことも多い。ネックレス自体で魔法陣を作る場合や、左右のイヤリングを合わせて一つの術式となるよう細工することもある。


 ちょうどイヴリルのピアスがそうであるように。


 右のピアスは大きめの赤琥珀レッドアンバーを一つ使った棒状のデザインで、左のピアスは細かい赤琥珀レッドアンバー複数個を用いた三日月状のデザインになっている。


 個々でも魔法発動体としての力を持っているが、三日月ピアスに棒状ピアスを通すことで、より強い力を発揮できるタイプのデザインだ。


 所々が拙い造りなのは、手作りの要素も強いから。


 赤琥珀レッドアンバーの加工を市井の業者が行うとなると、否が応でも噂は広まる。ムーンライト仮面の噂一色の中であっても、少しずつ広まりかねない。


 僅かばかりの噂も流れていないことを考えると、ピアス本体は既にイヴリルが持っていたもので、自分で砕けた赤琥珀レッドアンバーを配したということだ。


「ふむ」


 イヴリルの耳元を飾る赤い輝きに、シルフィードの表情も知らず綻ぶ。


「ね、ところでさ」

「うむ?」


 対するイヴリルは悪戯っぽく笑う。イヴリルの周囲の男たちがこぞってイヴリルに熱を上げるのもよくわかる笑顔である。もう数年もすれば、社交界でも人気となることは疑いない。


 そんな極上の笑顔を向けられていることへの自覚など欠片もなく、シルフィードはごく軽い感じで受け止め、


「杖作成、中途半端になっちゃてるんだけど?」


 豊かな贅肉ごと凍り付いた。


「あああああれ以上の素材はさすがに僕も持っていないのだけど!?」


 なにしろオーク巨樹の赤琥珀レッドアンバーとエントの枝だ。赤琥珀レッドアンバーは砕け、エントの枝は行方知れず。素材の視点からは、あれ以上のものを揃えることなどできようはずもない。


「大丈夫よ、エントの枝はここにあるから」


 イヴリルが腰に下げているケースからひょいと取り出したのは、紛うことなくエントの枝だった。シルフィードの目はすっかり丸くなっている。


「え? な、なんで? 奪われてなかったのか!? え? いやでも、リンジーの店では確かに君はすべて取られたと!?」

「ん。まあ、そうだったんだけどね」


 シルフィードの疑問に答えるイヴリルの声にも呆れが強い。侯爵たちは赤琥珀レッドアンバーにばかり目と意識を奪われて、エントの枝には気付かなかったのだという。


 赤琥珀レッドアンバーをエステバンに献上した後は、あろうことかエントの枝はそのまま放置していたのだ。


 権力しか見えていなかった侯爵たちには、赤琥珀レッドアンバーは見えても、いや赤琥珀レッドアンバーの存在があまりにも大きすぎて、エントの枝は見えていなかったのだろう。


 魔法騎士として、高い魔力を生まれ持つ貴族として、あまりにも見る目がない。


 シルフィードは大きなため息をついた。


「呆れ果てる。魔法騎士としてあるまじき大失態。権力闘争にかまけて、最低限の目利きすらできなくなっているのか」

「別にいいんじゃん? おかげでこうしてエントの枝は失われなかったわけだし」

「それはその通りであるのだけどね……でも僕もエントの枝に見合うほどの石はさすがに持ってはいな」

「エントの乳白色琥珀ロイヤルアンバーを持ってるって、リンジーさんに聞いたんだけど?」

「リンジィィィイイイッ!」


 思わずシルフィードは叫んでいた。


 ベアトリクスとセルベリアの二体の人形もそうだが、リンジーの店の倉庫は、かなりの部分をシルフィードが借りている。リンジー自身は魔法騎士ではないだけで、魔法の使い手としては腕利きとあって、防犯面でも優れていることが理由だ。


 シルフィードが持ち込む資料や資材の中には、ときにエントの枝のようなレア度の高い品があるのも理由だったりする。


 なにを預けているかを忘れないため、シルフィードは目録を作っていて、リンジーは目録を見る機会は何度もあった。まさか目録内容を他人に話すとは、秘密保持とか守秘の精神をなんだと思っているのか。


「面白そうだから話した、くらいの理由だとは思うけど。思うけどもねぇぇぇえええ」


 腕組みをしたシルフィードの顔は表面上は微苦笑だ。しかして心中では、まさに苦虫を噛み潰したもの。


 オーク巨樹の赤琥珀レッドアンバーとは比べるべくもないものの、エントの乳白色琥珀ロイヤルアンバーも間違いなく一級品。市場に出回れば騒ぎになること間違いなし。


 赤琥珀レッドアンバーを失った今、シルフィードにとっては正真正銘、最後のお宝。


 そして繰り返すが、魔法を使えないシルフィードには正しく宝の持ち腐れ。

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