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幕間:シルフィード編 ~その二十六~

 瓦礫の中からエステバンが探し当てたもの、それは精緻な細工の施された小箱だった。中には子供の拳程度の大きさのオーブが収められていて、エステバンは「無事だったか」と安どの息を吐き出した。


「それは……もしや帳簿、でございますか」

「その片割れ、だがな。こんなものは自分で持っておくに限る」


 このオーブには、これまでのエステバンの取引の大部分を収めている。エステバンは取引で交わした契約書の類をオーブ内に隠し、この屋敷に保管しているのだ。ムーンライト仮面が手に取った紙の書類も、いずれはオーブに隠すつもりだった。


「それでは殿下、お早く」

「待て。中身を確認する必要がある」

「そんな時間は」

「重要なことだ。すぐに終わる!」


 エステバンが掌中のオーブに魔力を込めると、オーブに紋章が浮かび上がる。王家の紋章に、エステバンの紋章を組み合わせたものだ。


 浮かび上がった紋章に、エステバンは右第三指に嵌めた指輪を近付けた。オーブが淡く輝き、中空に文字の羅列が現れる。オーブ内に保管している書類などの目録だ。


「なるほど、その指輪がカギになっているわけですな」

「そうだ。このオーブと指輪がセットでない限り、帳簿や契約書が外に漏れることはない。よし、大丈夫だな。行くぞ、モリ」


 エステバンは最後まで口にすることはできなかった。モリスが生み出した炎剣に心臓を貫かれたからだ。


「か、ひゅ」


 エステバンの顔は自分の身になにが起きたのかを理解している様子はなく、理由を問いただすこともできず、意識と命を手放した。


 モリスは床に落ちたオーブを拾い、次いでエステバンの右手首を斬り落とした。持ち主の意思に反して指輪だけを指から抜き取った場合、指輪の機能が失われる可能性があるためだ。


 周囲からの認識が何であれ、モリスはエステバン派には属していない。かつてはエステバンを次の王にと考えていたが、かなり前に調略を受けていた。


 属しているのは第一王子バウディスタ派だ。モリスは数年前にエステバンを見限り、それまでの立場を利用してエステバンを監視し続けてきたのである。


 最大の目的は、エステバンが隠し持っていた犯罪帳簿の確保だ。ただでさえ素行が悪く、人望にも欠けている上に、隠し持っていた帳簿類が表ざたになるようなことになれば、エステバンは王位継承レースから完全に脱落する。


 殺す必要については、バウディスタから許可を得ている。確実に排除できるのならしておくように、と。


 エステバンは生きている限り、動くことを止めないタイプの人間だ。何度負けても、報復や復権を諦めることはしない。


 国内で怪しげな商人たちと手を組んで違法な取引に手を染めるだけでも、王家の支持にかかわる。加えて不遇の第二王子なんて立場を補強して、王国打倒や傀儡政権樹立を目指す敵性国家に付け込まれてはたまったものではない。


 本人は無能でも、血筋には大きな利用価値があるのだ。自分のことを謀略に長けていると思い込んでいることもあって、本当に頭のいい人間なら殊の外、操りやすい相手であったろう。


 排除できる機会を逃す手はない。


「オーブは手に入れた。その鍵も手に入れた。後はこの襲撃の始末、か」


 襲撃者の正体はわかっている。果たして追及は可能かどうか。難しい、とモリスは考えていた。


 アリバイ工作くらいはしているだろうし、人形を証拠扱いしようにも「何者かに盗まれて、今は所持していない」とでも白を切られれば終わりだ。


 操糸術の使い手など王国に一人しかいない、とは言い切れない。なにしろ魔力さえあれば誰でも使用可能な技術だ。


「操糸術は原理の単純な術だ。その気になれば誰にでも使うことができるような術を、わざわざ王族襲撃なんて大それた事件で使うなど、何者かが僕に罪を被せようとしているんだ」


 などと主張されたら、二の句は難しくなる。操糸術を実演させても、あれほどの技術力を持っているのなら、周囲に露見しないように下手のフリをすることも可能だろう。


「怪盗、か」


 モリスの脳裏にある考えが浮かんだ。考えを形にしようとしている最中、大きな穴の向こう側に、屋敷に迫ってくる灯りが見える。先程見たときはかなり遠かった灯りは、屋敷まで五分程度の距離にまで近づいていた。


 主たるバウディスタの手勢か、競争相手のウィルトの手勢か、はたまた混成か。


 エステバン殿下の悪事を暴くために怪盗が侵入、戦いの只中で証拠のいくつかは奪われ、追い詰められたエステバンは自害した。


 モリスはとりあえずの言い訳の内容を瞬時に固めつつ、発表用の内容も考える。


 さすがに王族が自害したというのは、あまりに外聞が悪い。最終的には死んだことを隠せなくなることは当然として、それまでにいくつものステップを置いて、王族死亡の衝撃を和らげておく必要がある。


 人身売買の責任を取って王族籍を剥奪。元王族の身分に配慮して、外界から隔絶された塔に幽閉。幽閉中に精神の平衡を崩して自害。


 すべてを片付けるのに半年ばかりあれば十分だろうか。道筋をつけたモリスは、屋敷の崩れかけている階段を下りていくのだった。





 巷は怪盗ムーンライト仮面の話題で盛り上がっていた。エステバン王子の隠れ家を襲撃し、エステバンが手を染めていた悪事の数々の証拠を華麗に盗み去り、通信社に持ち込んだ謎の人物のことだ。


 持ち込まれた通信社は複数に上り、王子の醜聞を大々的に書き立てた。王室の権威は大きく傷つき、人気回復のために大胆な減税策を実施しなければならないほどだ。


 反対にムーンライト仮面の人気はうなぎ上りである。エステバンの悪事を暴き、違法に取引されていた奴隷たちの解放への道筋を作った正義の使者として、今や王都で知らないものはいないほどだ。


 小さい子供たちの間では、マントを羽織ってムーンライト仮面ごっこが流行っているという。


 しかもムーンライト仮面の姿もいつの間にか捻じ曲がっている。


 目撃証言では太っていたのに、市民たちの間で広まっている姿は、ベストセラー小説のムーンライト仮面同様、スラリとした長身の美形、になっていた。


 ベアトリクスとセルベリアの二体の人形も、ムーンライト仮面に付き従う美女として特に男性を中心として高い人気を博している。夜のお店に行くと、金髪と銀髪の女性二人を左右に侍らせる遊びが流行っているという。


 ムーンライト仮面のことを美化し、褒めそやす新聞を手に、マーチ侯爵家令嬢イヴリルはプルプルと震えて笑みを堪えていた。


 手に持つ新聞はクシャクシャだ。新聞の裏に隠れて見えなくなっている顔は、嬉しさと恥ずかしさとが不均衡に入り混じっていて、真っ赤になりながらも笑顔である。


 小さいものだが「うへへ」なんて、令嬢らしからぬ笑い声が漏れてきてもいた。


 脳裏に鮮明に思い浮かぶのは、あの夜のこと。怪盗ムーンライト仮面が、エステバン王子たちを襲撃した夜のことである。


 いつもならとっくにベッドの中に潜り込んでいる時間、イヴリルはまだ起きていた。寝ることができなかったのだ。


 プレゼントとしてもらった赤琥珀レッドアンバーを奪われたこと、婚約者を強引にあてがわれたことに、かつてないほどの怒りを覚えていた。


 かと思えば、「何とかする」と言われたことが嬉しくて相好が崩れる。


 感情の揺れ動きと入れ替わりが激しくて、とてもではないが睡眠欲求が湧いて入ってくる隙間などない。


 嬉しさと怒りが自分ではコントロールできないレベルで暴れ回り、「ん~~~~~~っ」と枕を抱きしめ、枕を抱いたままベッドに倒れ込み、枕を何度も叩いた。


 ボフボフとかバタバタといった音が中心だった部屋に、バキバキバキという明らかな異音が響いたのはまさにそのときだ。


 部屋の外の、庭にある木の枝が何本も折れる音。手入れの行き届いた庭木がこんなふうに折れることなど考え難い。ドジな泥棒かなにかかとも思い、侯爵家に侵入する命知らずがいるはずもないのですぐに否定した。


 では何の音だったのかと気になって、バルコニーへと続く大きな窓を開ける。万が一に備えて杖を握ることも忘れない。


 もし本当に不審者なら、鬱憤晴らしを兼ねて強烈な一撃を食らわせてやる。


 そう決意を固めたイヴリルの目の前にいたのは、バルコニーの欄干に足を引っかけ、今にも転落しそうになっている肥満体をどうにかしがみつかせている男の姿だった。


 身を包むタキシードも、お洒落なアイマスクも微塵も似合っていない。逆に転落しないように焦っている表情はよく似合っている気がして、


「……あんた、なにしてんの…………?」


 イヴリルの眉と声と感情は平坦になっていた。

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