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幕間:シルフィード編 ~その二十四~

 大事なのはエステバンの手から零れ落ち、床に転がった赤琥珀レッドアンバーだ。


「む?」


 ショルダータックルの衝撃がダメ押しになり、壁が崩れ落ち、壁の向こうに隠されていた隠し部屋が露わになる。


 これまでの戦いで破壊されていなかったのだから、余程に頑丈に作られていたのだとわかる。どう見ても秘密にすることを前提にして作られた部屋だ。調べたいという欲求を否応なくくすぐる。


 倒れたままのモリスたちを放って、部屋の中へと歩を進めるシルフィード。シルフィードにとって重要なのは、婚約破棄と赤琥珀レッドアンバーの回収だ。


 床に落ちる赤琥珀レッドアンバーを拾う。自分の手をすり抜け続けてきた宝をようやく手中に収めることができたことで、場違いな感動がシルフィードの胸に去来し、


「これでイヴリルの笑顔も取り戻せる」


 あっという間に霧散した。リンジーがいればシスコン力だとでもからかいに来るだろう。残りはエントの枝だ。


 赤琥珀レッドアンバーは献上されたことはわかっていた。イヴリルはエントの枝も取り上げられたと言っていた。赤琥珀レッドアンバーと合わせてあれば都合がいいのだが。


 エステバンが持っていないので、シルフィードは隠し部屋に足を踏み入れる。頑丈で厳重な隠し部屋なら、宝の保管にも向いている。


 部屋の中には絵画や像、壺や花瓶などの美術品や調度品が、戦闘の衝撃を受けて床に転がっていた。中には破損してるものもあって、美術愛好家が見たなら悲鳴を上げるだろう。


 他にも金貨も大量に散らばっていて、これだけでも一財産にはなる。シルフィードは脂肪で弛んでいる表情を些かも緩めなかった。


 目的はあくまでもエントの枝。とはいうものの、研究にしろ資料収集にしろ、とにかく金がかかるものだ。実家追放が確実なのだから、先立つものがあるに越したことはない。


「エントの枝も見つからないことだし、行き掛けの駄賃としていくらかは失敬していくか。どうせ公にすることもできない金だ」


 隠し部屋に放られている革袋に金貨を放り込んでいく。姿だけを見れば完全に泥棒だ。怪盗ではなく、泥棒である。悪事には天罰が下るものなのか、金貨を袋に詰めているシルフィードの頭に金属の箱が落下してきた。


「ぶへ! こ、これは?」


 転がってきた金属の箱には、エステバンの印章が用いられている。少なくとも、エステバンがかかわっていることだけは確実だ。箱の角が当たった頭をさすりながら、箱を開ける。


 中には数十枚にも及ぶ書類が保管されていた。錯覚に間違いないが、シルフィードの目には書類から黒い靄が立ち昇って見える。


 数枚の書類をまとめて手に取る。中身を確認すると、果たしてそこには、シルフィードの予想通りに、予想以上のことが書かれていた。


 人身、いや奴隷売買契約書だ。王国法で禁止されている奴隷売買に関する契約書が、エステバンの印章の元に行われている。闇商人や闇取引がなくならないのも当然だ。


 王子が関係している取引のためか、契約書に書かれている金額もかなりの高額である。金貨一万枚を越えるものは珍しくなく、金貨十万枚以上の取引も散見された。


 獣人だけではない。見目麗しく、魔力も多いことで知られるエルフ族の取引もあって、これが最高額の金貨百三十万枚という、とんでもない値段がついていた。


 よく見ると書類には、引き渡し済みのサインが入っているものが大半だ。引き渡しがまだの奴隷は、どこかに監禁されているのか。


 さすがに副団長の要職にあるモリスが、自分の屋敷にエルフを捕らえているとは思えない。エステバンとモリスのどちらか、あるいは両者がかかわっているにせよ、間違いなく王国を揺るがす大スキャンダルだ。


 契約書には相手方の名前も記されている。王国に巣くうゴミ共を一網打尽にする好機が、期せずしてシルフィードの手の中に転がり込んできたわけだ。


 エステバンは無能だが、王族としての権力はある。部下もいるし、王族自体が醜聞を嫌って動く可能性だってある。


 この奴隷売買や不正蓄財に関する証拠をもってしても、権力や忖度が大活躍をして、牢に繋がれることは避けられるかもしれない。だが政治的に死亡することは確実。イヴリルの婚約相手としても不適格となるので、シルフィードは腹を決めた。


「と、さっさとこの場を去らねばな」


 すっかり風通しの良くなった屋敷の遥か遠く、こちらに近付いてくる無数の明かりが見える。


 さすがにこれだけ派手に暴れれば、通報の一つや二つ、騎士団に入るだろう。


 他の証拠を探す誘惑を振り払って、シルフィードは屋敷から逃げることを選ぶ。


 持ち出すのは赤琥珀レッドアンバーと奴隷売買契約書だ。本来の目的は赤琥珀レッドアンバーである。だが仮にもムーンライト仮面を名乗った手前、今後もマルセルの友人であり続けるため、目の前の悪を見逃すことをするつもりはなかった。


「ふん、つまらん言い訳だ」


 人間関係も名前を借りた相手も関係なく、シルフィード自身がこの取引を許すことができないだけだ。


 お偉いさんどうしの力関係や調整やらの関係で、奴隷解放や捜査が中途半端に終わってしまう可能性もある。正しく正義が行われるために、シルフィードはもう少しだけ自分で動く決意を固めた。


「ぶふぅ、僕は赤琥珀レッドアンバーを取り返しに来ただけなんだけどな」


 決して妹のためではない、シスコンだから動いたわけではない、と強調したいわけだ。既に手遅れであることにも気付かず、ぼやきながらシルフィードは夜の中に身を投じた。


 これは完全に偶然だが、屋敷近くには報道関係の人間が潜んでいた。エステバンの黒い噂を追っている人物で、王族や商人たちに睨まれることも厭わない気概を持っている。


 この日もどうにかエステバンの尻尾を掴めないかと張り込んでいたのだが、夜を揺るがす大きな振動に目を剥いた。


 一般人の家なら、騒ぎを聞きつけて「どうした」と駆け込むこともできよう。だが魔法騎士団副団長の屋敷に踏み込むわけにはいかない。下手に踏み入ろうものなら、即座に捕縛される。もしかするとその場で殺されることもあり得る。


 仲間に知らせようにも連絡手段を持っていない。だったらなにか特ダネになるものを得よう、と張り込みを続けていた彼は目撃したのであった。


 月と星々の光が手を取り合う夜闇の中、屋敷から飛び出してきた人影を。


 左に黄金の髪の、右に銀の髪をなびかせる美女を配し、颯爽と夜を切り裂いていくアイマスクをつけたタキシード姿の人影を。後に記者は言う。


「左右の女性と比較して、真ん中の男は丸かったからなぁ。数字の101の並びに見えたよ」


 半ばは崩壊し、建物としての役目は半ば以上を放棄せざるを得なくなった屋敷で、もっとも豪華だった部屋は今や、夜空を仰ぐに十分に開放的になっている。


 開放的な部屋の真ん中では、瓦礫を乱暴に蹴りつけ、または投げつける男の姿だけが目立っていた。男の頭髪は残り少なく、普段は髪型にもかなり気を配っているのに、このときは少ない髪を思う様振り乱している。


 男は別の瓦礫を蹴りつけようと足を振り上げ、バランスを崩して転倒してしまう。男は直ぐには立ち上がろうとせず、その場でジタバタと四肢を動かして暴れ、口角からは自棄と唾を飛ばす。


「クソ、クソ、クソォッ! なぜだ! なぜこうなる!? 奴は一体何者だ!?」


 床に倒れたままで、残り少ない髪の毛を振り乱しながら喚き散らす男はエステバンだ。


「殿下、今は賊の正体を考えている場合ではありませんぞ」


 狂態を晒すエステバンを宥めるのは、肉体のあちこちに傷を負った男、「火の騎士団」副団長のモリスの役目である。モリスは大きなダメージを負いはしたものの、自らの魔法で八割程度は回復を果たしていた。


 常ならばモリスの冷静な声はエステバンの感情を鎮める効果を持つが、このときばかりは逆の効果をもたらす。エステバンの頭はより激しく強く沸騰した。跳ね起きて唾を飛ばす。


「黙らんか、この役立たずが! あのような人形如きに後れを取りやがって! この状況を招いたのは貴様が不甲斐ないからだろうがっ。副団長が聞いて呆れるわ!」

「この身の不覚については申し開きのしようもありません。ですが今は、善後策を講じなければならないかと」

「どういうことだ?」

「御身の立場は非常に危ういものとなったということです」


 モリスの言葉にもエステバンはいまいちピンときていない様子で、モリスは物事を噛み砕いて説明する必要があった。


 オーク巨樹の赤琥珀レッドアンバーを確保したことは既に国王にも報告している。報告してしまっているのだ。


 近日中にも国王の目の前に持って行くつもりだとも伝えているのに、肝心の赤琥珀レッドアンバーが奪われてしまったとあっては、エステバンの面目は丸潰れである。

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