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幕間:シルフィード編 ~その十八~

「ぜ、全部というと?」

「全部は全部よ! エントの枝も! 赤琥珀レッドアンバーも! あたしの、未来も! あいつらは、全部っっ! あたしから、全っ部……っ! せっか……く、あん、たから貰、……った、の……に無、理や、り……っっ……う、ぅ…………」


 怒りの吐露と共に机を叩いていたイヴリルだが、後半になるほど叩く力は弱まり、遂には机に手を置いたまま動かなくなっていた。奥歯を噛みしめ、整った顔に悔しさをにじませながら、両目からは涙が零れ落ちている。


 イヴリルがポツリポツリと話し始めたことは、屋敷でシルフィードが聞いたことと同じで、被害者から語られたことでより酷さを感じるものであった。


 最初、マーチ侯爵たちがイヴリルの言い分をなにも聞かず、オーク巨樹の赤琥珀レッドアンバーを取り上げると一方的に告げてきたという。


 イヴリルが渡さないと反発しても、反発を予想していたのか、既に回収済みであると笑ったのだ。「然るべき、もっともふさわしい人物に渡した」のだと。


 シルフィードがイヴリルに渡したプレゼントは、いずれも土属性の人間にとって、いや、魔法騎士にとって至宝と言える。オーク巨樹の赤琥珀レッドアンバーなど、至宝という言葉ではとても収まらない。


 詰め寄るイヴリルに、侯爵と侯爵について歩くアルスは事も無げに答えた。


 マーチ侯爵家は既にいくつも多くの宝を持っているのだからと、赤琥珀レッドアンバーに固執する絶対の理由はない、のだと。


 オーク巨樹の赤琥珀レッドアンバーが歴史の表舞台に出てくるなど、有史以来、初めてのこと。過去に起こりえなかった話だ。それを手放すことも同様に有史以来初めての話。


 むしろ、あの至宝を使って家の未来を考えるべきだと熱弁を振るいさえするのだから、呆れ果てる。


 家の未来とはどういうことか。訝しむイヴリルに、マーチ侯爵は自慢げに――いや、この話を決めてきた自分の手腕に心底から満足しているのだろう――答えた。第二王子エステバンとの婚約決まった、と。


 イヴリルの言葉も顔も見ずに、この婚約はイヴリルにとっても素晴らしくいい話であり、侯爵家にとってもいい話であり、家の未来を考えて絶対に遅滞なく進めると、呵々大笑して並べ立てたのであった。イヴリルの兄、アルスがエステバン王子の側近になる話も決まったという。


「ご、め……あんたが、っく……れたの……全部、全部………取ら、れ……っ……」

「イヴリル……」


 イヴリルの嗚咽を受け、シルフィードは己の内側に激しい怒りが湧き上がるのを覚える。公爵から話を聞いたときよりも、更に激しい。はらわたが煮えくり返るとはこのことか。


 イヴリルとて貴族の令嬢だ。その結婚には政略や利益がかかわることは弁えていよう。自分の結婚は父であるマーチ侯爵が決めるものであると、幼い頃から教えられている。


 このことを飲み込んではいても、納得できるかどうかはまったくの別問題だ。政略結婚であれ、娘の幸せを願う親もいるだろうに、マーチ侯爵にこの視点は欠片ほどもないことは明らか。


 結婚相手がよりにもよってあのエステバン第二王子とあっては、イヴリルが幸福になどなれるはずがない。マルセルの陰に隠れて目立ち難いだけで、マルセルの存在がなければ、王国一の悪党と断じられて当然のクズだ。


 女癖の悪さは有名で、イヴリルを大切にするはずがない。次期王位を巡る争いが巻き起こっている状況での婚約など、王族間での勢力争いに巻き込まれるということだ。イヴリルが暗殺されるリスクすらある。


「いや、むしろあいつなら……」


 シルフィードの知るマーチ侯爵なら、イヴリル暗殺すらも好材料とするだろう。せっかく嫁がせた娘を守れなかったとして責めることで、何らかの利益を引っ張り出すように立ち回るに違いない。


 エントの枝も、赤琥珀レッドアンバーも、未来すらも取り上げて、挙句、「これは最高の取引だ」などと笑っている父と異母弟の顔は、醜悪極まる。


 少しだけ自惚れるのなら、イヴリルは自分からのプレゼントを喜んでくれたと思ってもいいのだろうか。


 エントの枝を、赤琥珀レッドアンバーを渡したときの喜びようときたら、現金なものだとシルフィードは思ったものだ。


 だが確かにイヴリルは心から喜んでくれ、シルフィード自身も妹の喜ぶ顔が見れて嬉しかったのである。


 それが今はどうだ。あんなに、弾けるような笑顔だった妹の顔は、同じ人間とは思えないくらいに打ちのめされている。


「イヴリル」

「ん」


 イヴリルの嗚咽が少しずつ小さくなってくる。激しく上下していた肩の動きも収まってきて、涙がこぼれる目を何度も擦った。


 シルフィードは唐突に確信する。この先のセリフを口にさせてはいけないと。


 イヴリルは貴族令嬢として生きてきた。シルフィードの前では令嬢らしさはほとんどないが、貴族としての考え方は叩き込まれている。ここまでシルフィードの前で感情を爆発させた後は、受け入れることを決めてしまう恐れが非常に高い。


「あたしがワガママなのか」「貴族として受け入れるしかないのか」「家のことを考えないといけないのか」


 こんなことを言い出すかもしれない。それどころか、「迷惑かけてごめん、家に戻るね」などと泣き出しそうな笑顔と共に言われようものなら、シルフィードは生涯、自分自身を許せないだろう。


 シルフィードは決していい兄ではない。妹とだけでなく、他の家族とも関係を構築しようとはしなかった。そんな価値を見出していなかったのだ。時間や努力はすべて自分の研究や修行や素材収集に注力し、家族というものには見向きもしなかった。


 父のマーチ侯爵や異母弟のアルスに対しては、今でも別に後悔していないし、関係の再構築など微塵も考えていない。


 だがイヴリルに対してだけは違う。ここ最近で、妹の知らなかった顔をいくつも見ることができた。いや、シルフィードが知ろうともしなかっただけだ。


 妹と一緒に買い物に出かけるなど考えたこともなかった。プレゼントなど想像の端にすら引っ掛かっていなかった。


 少し前のシルフィードなら、赤琥珀レッドアンバーも力尽くで回収していただろうことは想像に難くない。イヴリルの感情や言い分など意にも介さず、自分のやりたいように振る舞っていたはずだ。


 それがどうだ。エントの枝も赤琥珀レッドアンバーも、あれだけ貴重極まりないと自覚していた宝を、気付けば妹に譲り渡しているではないか。


 大事な妹なのかと問われれば、さて、シルフィードはムググと口をモゴモゴさせて即答できないに違いない。


 可愛い妹なのかと問われたならば、腕を組んでそっぽを向いて「他人が見れば可愛いのだろうな」と答えるだろうか。


 仲がいいのかと問われたとして、少し前なら「興味がない」と返していただろう。


 妹が好きかとストレートに聞かれたなら、「シスコンじゃない」と声を大にする。


 確かなのは一つだけ。妹の、イヴリルのこんな顔は見たくない。妹に、イヴリルに似合う表情をよく知っている。


 だから、


「イヴリル」


 シルフィードの手がイヴリルの頭を撫でる。シルフィードの目は優しく、同時に強い決意が滲んでいた。


「んぅ、撫でんな」

「僕に任せろ」


 顎の境目を失って久しい口から出てきたのは、シルフィード自身が驚くほどに熱量がこもっていた。お兄ちゃん丸出しである。


「いいの、家を敵に回すわよぉ?」


 いつの間にかドア近くに立っていたリンジーは心配しているようで、声音は明らかに面白がっている。シルフィードは腹を揺らして毅然と返す。


「居場所のない家に未練はない」

「資金とか拠点的な面でも大丈夫ぅ?」

「はぅっ」


 一瞬の沈黙が訪れ、零れそうな涙をこらえているイヴリルを見て、一瞬だけで終わる。


「僕にとっては妹のほうが大事だ」


 妹のいないマルセルが熱を込めて言っていた。兄たるものは妹は断じて守る、それが兄というものだと。心から同意する、とまではいかなくても、泣いているイヴリルのために動くことに躊躇いなどはなかった。


「シスコンねぇ」

「違うから」

「キモ」

「キモくない」

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