幕間:シルフィード編 ~その十四~
名誉挽回を考えた後には、失ったものを考える。
ランクをつけるならエントの枝は魔法騎士団の団長級、オーク巨樹の赤琥珀は間違いなく神話級の素材。
これらを失って代わりに得たものは年下の女の子数人からの称賛。間違っても等価交換にはなりえない事実に、シルフィードは深い深い溜息をついた。効果音としては「はぁ~」よりも「ぶふぅ~」であったが。
自分の持っている、間違いなく最高のお宝をすべて失った喪失感はあまりにも大きく、人生で間違いなく最高に浮かれているイヴリルの笑顔とを天秤にかける。
「ま、あの笑顔が見られたならいいか」
シルフィードは人生最高の強がりをすることにした。
事実、疎遠になっていた妹とこんなにも話をしたり、あまつさえ出かけたりするなど考えもしなかった。妹を大事にする模範的な兄になった気分を味わえたので良しとしよう。
そう思うことにしたのである。思わなければやってられない、とも言う。
人類史に残る至宝が我が手をすり抜けてから二日。
赤琥珀で浮かれすぎているイヴリルに、資料探しのことが頭に残っているわけもない。
エントの枝とオーク巨樹の赤琥珀と、立て続けにとっておきのお宝を失ってからそのまま時間だけが矢のように過ぎた。さすがにそろそろ協力の約束を守ってほしいと思いながら、シルフィードは物置≠自室の外に出る。
「?」
途端、シルフィードは全身に強烈な違和感を感じた。
思わず見上げた先にある屋敷から、どこか異様な空気が立ち昇っている。静まり返り、ピンと張りつめた緊張感に包まれている。
厨房からは美味しそうな匂いが漂いこそすれ、人の話し声や動き回る、いわゆる生活音が不自然なまでにしない。普段はシルフィードの悪口に大輪の花を咲かせている使用人たちも、息を潜めて気配を殺すようにコソコソしている。
「な、なんだ? なにがあった?」
心地良い沈黙ではなく、なにか不吉なことが起きる前兆、あるいは既にして不幸が訪れている感覚。
総毛立つ全身を無視して、屋敷に入る。いつもなら見咎めてくる使用人や家令もいない。ますますおかしい。侵入者でもいるのか。
強力な魔法の使い手であるマーチ侯爵家に侵入してくるアホがいるとは思えない。いや、金銭目当てならあり得るか。
なんとなく足音を立てないようにして屋敷内を歩く。ここにマルセルなりクライブがいれば、風の魔法による探知を使ったかもしれない。
シルフィードはそもそも使えないし、風の魔石は妹たちの会話を盗み聞きするのに使ってしまった後だ。
使えたとしても選ばないだろう。土属性の魔力に満ちた屋敷に、風の魔法は正直、不自然だ。平時ならなんとも思われなくとも、本当に侵入者がいたなら、土に風が混じる違和感にも気付くかもしれないからだ。
なので使う感知魔法は土属性のものが正解であり、繰り返すがシルフィードは使えないので、経験と勘を頼りに当たりをつけた。使用人たちの体や視線の向き、ひそひそ話に聞き耳を立てるのだ。
「上? かなりの人数が集まっているな……場所は、当主の部屋か?」
シルフィードはマーチ侯爵のことを当主と呼んでいる。親しみを持っていないことの証左でもある。
階段を上っていく。一階には人っ子一人いなかったが、上階へと続く階段には何人かの使用人がいる。使用人の中でも階級の低いものたちで、上階への興味を押し隠することもできず、一生懸命に首を伸ばして様子をうかがっていた。
「そんなことをしてもわかるわけないだろう」
「へ? ひゃ! ブタ坊ちゃシルフィード様!? いやあのこれは」
「君らが僕をどう呼んでいるかには興味ないよ」
我ながら成長したな、とシルフィードは考える。
かつての自分なら、ふざけた発言をした使用人の顔を原型を失うほどに殴りつけていたに違いない。今はそんなことはしない。マルセルとの付き合いのおかげだろうことを自覚している。
「状況を教えてもらおうか」
「は、はい!」
使用人が口にした内容は予想とは違ったものだった。屋敷内に侵入者はおらず、戦いが起きているわけではない。
単にマーチ侯爵とイヴリルとが対峙しているだけだという。
これだけでシルフィードは大体の事情を把握した。イヴリルがエントの枝と赤琥珀を入手したことを知った侯爵が、そのどちらか、あるいは両方を取り上げようとしているのだろう。
イヴリルの性格からして、いくら相手が父の侯爵であっても素直に言うことを聞くかは疑わしい限りだ。
ある程度の状況を飲み込んで、シルフィードは深呼吸をした。
(なにをしてるんだ、あいつはぁっぁぁぁあああっぁぁぁぁぁぁあ!)
シルフィード、心の叫びである。
マーチ侯爵家は金に汚く、権力志向の強い一族だ。しかも他人を蹴落としたり、他人のものを奪うことを屁とも思っていない。他にも美術品や骨とう品、貴重な魔法具や宝石のコレクターとしても知られている。
金と権力で手に入るものなら際限なく欲しがる俗物の筆頭ともいえる家の当主に、オーク巨樹の赤琥珀なんて、この世に二つとない代物の存在がばれたなら、間違いなく奪いにくるに決まっているだろうに。
「いや、僕のほうにも責任はあるか」
シルフィード自身に赤琥珀の所有権があった頃、シルフィードは赤琥珀の存在を徹底的に秘匿していた。
理由は偏に、こうなることがわかっていたからだ。
イヴリルもマーチ侯爵家の人間なのだからよく知っているだろう、と深くも浅くも考えもしなかったことを、シルフィードは己の不明と恥じる。
イヴリルの迂闊さを責めるよりも先に、だ。いかに優秀でもイヴリルはまだまだ若い。この世に二つとない、魔法騎士を目指すものにとって最上のプレゼントを受けては、舞い上がってしまうのも無理からぬこと。
イヴリルに赤琥珀をプレゼントしたとき、父親たちの性質を踏まえて、隠しておくように言い含めておくべきだった。
親子喧嘩か、と踵を返すことはしなかった。以前なら無関係を決め込んでいたのに、と我ながら変化に驚くシルフィードである。
エントの枝を渡したのも、赤琥珀を渡したのも自分であるのだし、希少貴重なアイテムを隠すように言い含めておかなかったのも自分だ。
あれだけ浮かれていたら遠からずばれるのは確かとして、あんなに喜んでいた妹の顔が曇るのは見たくない。
イヴリルの弁護に立つか、後になってなだめるか。決めかねたままで侯爵家当主の部屋の前に立つ。
ここに来るまでに使用人たちが怪訝な目を向けてきて、声をかけてきたが、誰一人として止めようとはしてこなかった。
睨み付け、手で制して、それだけで使用人たちは動きを止める。貴族の威厳ではなく、後でどんな目に遭わされるかを恐れてのことだろうが。
シルフィードは父親のことなど微塵も恐れていない。父親は父親でシルフィードに見向きもしない。話に割って入ったところでどれほどの効果があるか。
しかし知らんぷりを決め込むには、妹の魅力的な面をいくつも知ってしまっている。さて、どんな顔をして中に入ろうか。
シルフィードの悩みは正しく報われることはなかった。
「ぶひっ!?」
当主室の扉が勢い良く扉が明けられてシルフィードを吹き飛ばしたのだ。贅肉の多い尻が高価な造りの床に強かに叩かれる。
「な!? ……っっ邪魔ッ!」
イヴリルは倒れたシルフィードを睨み付けると、感情に任せた言葉をぶつけてきた。
物言いはシルフィードの知るイヴリルと違和感がない。けれど表情は違った。
顔が紅潮し、目は涙と充血で腫れている。肩も上下に動き、息も荒い。
「お嬢様!」「お嬢様、どちらに?」「旦那様は?」
「うっさい! どけぇっ!」
わらわらと寄ってくる使用人たちを一喝で追い散らし、イヴリルは階段を走り下りていき、侯爵家の大きなドアを蹴り開けて出て行った。




