幕間:シルフィード編 ~その十三~
開けられた木箱に伸びるイヴリルの手が震える。
「ちょ、あんたこれって……めっちゃ貴重な赤琥珀じゃ……え?」
何度目のことか、イヴリルの動きがまたも凍り付く。既に見開かれていた目は更に大きく開かれ、思わずシルフィードが、目が零れ落ちるのではないか、と心配したほどだ。
「……………………は? ちょ、待って……え? ウソ、で……しょ? こんなの、って……ウソ、ありえない……っっううん! こっっ、の極々わずかに感じ取れる魔力って……もしかして!?!?」
オーク巨樹の杖や琥珀はさすがのマーチ侯爵家でも保有はしていない。公式には、既に滅亡したどこかの国がオーク巨樹の杖を一本、また別の、こちらも滅んだ国がオーク巨樹の琥珀を一つ、それぞれ保有していた記録が残っているだけに過ぎない。
マーチ侯爵家は土の魔法と金儲けを得意とする家系で、闇市場との繋がりも深い。このコネクションを最大限に活用して尚、どうにかこうにか手に入れることのできたものがオーク巨樹の枝葉の一片だった。
侯爵家はこれを家宝として祀っていて、屋敷の大ホールのもっとも目立つ位置に置いている。驚くべきことは、枝葉には微かに魔力が残っていたことだ。
幼い頃から何度もオーク巨樹の枝葉を見てきたイヴリルは、オーク巨樹の残存魔力を知っていて、赤琥珀から感じ取れる魔力の波長が家宝と同じものだと知ったのである。
知って、混乱はあっさりと閾値を超えた。
「は? え? なんで? ウソ? ムリムリムリ! ムリだって! なんでこんな物凄いのがあるわけ!?」
魔法騎士を志すものにとってはあまりにも現実離れした品を前に、イヴリルの精神は一時的に退行でも起こしたかのようだ。
「はぁぁぁぁぁああ? ええ? うっそ? なに、これって」
妹の混乱を尻目に、シルフィードの手は差し出されたままだ。微動だにしないわけではなく、よく見れば小刻みにプルプルと震えている。表情は崩れかけているのを必死に取り繕い、目尻には涙が浮かんだり浮かばなかったり。
しかし木箱を持つ手を引っ込めようとはしない。
「…………もしかして、あたし……に?」
シルフィードの知る限り、イヴリルは過去最大の期待と困惑に襲われている。エントの枝のときよりも遥かに大きなものだ。オーク巨樹の赤琥珀とシルフィードとを何度も交互に見比べている。
サプライズとして差し出された品の、そのあまりのグレードの高さに、混乱と歓喜と期待とがありえない量でブレンドされている。
本音で語るなら、シルフィードは声を大にして「違う」と叫びたかった。
国家どころか文明、その始まりから終わりまでに千年を経たとしても、手に入れられるとは限らない。事実、オーク巨樹の琥珀の入手例は、世界史上に一度のみ。オーク巨樹の赤琥珀など、目撃例すら存在しない。存在するのは真偽不明の怪しい与太話だけだ。
それほどの超希少石を手にする奇跡と恩寵に授かりながら、自分の手の中を絶妙にすり抜けていくのだ。
されど、しかし、だって、状況が状況だ。違うと否定するわけにはいかない。
今現在、妹からの激しい怒りを買っている真っ最中。赤琥珀を目の当たりにすることで、一時的に怒りが吹き飛んでいるだけに過ぎない。
イヴリルの部屋に侵入して物色した責任を問われて追い出される、などという最悪の事態を避けるため、シルフィードにはイヴリルの機嫌を最大限にまで取る必要があった。
あまりにも惜しい、惜し過ぎる素材だが、こうして一度手に入れることができたのだから、もしかしたら次の機会もあるかもしれない。自分には魔法が使えないのだから、持っていても仕方がないものだ。そう自分を無理矢理納得させようとしたのである。
ニコリ、とシルフィードは申し訳なさそうな顔と笑顔とを絶妙に融合させた表情を見せる。顔面の神経と筋肉がストライキでも起こしそうだ。
「すまない、君をびっくりさせようと思ったんだ。ほら、もうすぐ誕生日だろ? 部屋に帰ってきた君が一番最初に見たものがこれなら間違いなくビックリもするだろうし、なによりも喜んでくれると思ったんだ」
「あ、あたしの誕生日、覚えててくれたんだ」
「もちろんだ。忘れるはずがない。でも確かに、忍び込むのはやりすぎだった。ごめん」
言葉で謝るシルフィードの視線は、真っ直ぐにイヴリルを見据えたままだ。
イヴリルは震える手で木箱を受け取った。木箱を自分の側に持って行き、木箱に収められた赤い石に視線を落とす。少しずつ表情が動き出し、整った顔は嬉しさに崩れた。
「ううん! ううん! ぜっんぜんいい! ありがとう!」
正解を手繰り寄せた。シルフィードは強く確信する。部屋に侵入されたことに対するイヴリルの怒りは、国境の遥か向こう側にまで飛んでいったことは明らか。今やイヴリルは自室で飛び回っていた。
「うわー! うわー! マジで!? マジのマジでマジでこんな! ほんとかよー! こんな、伝説の石じゃん! うん、皆に見せてくる!」
感情と行動が見事にリンクしている。体に魔力を循環させたかのようなスピードでドアに向かうイヴリル。ホッと胸を撫でおろしたシルフィードに、
「ぁ、あのさ……」
「うん? どうした、イヴリル?」
ドアに手をかけたまま、どこか言いにくそうにもじもじしている。この妹にしては珍しいことだと訝しむシルフィードだ。
「その、ありがと……え、っと、ぁ、シル」
「へ?」
イヴリルは木箱を持ったまま走り出て行った行き先は間違いなく中庭、見せに行った相手とは友達だろう。
『ねえ見てこれ! すっごいでしょ!』
『え? あのイヴリル様? なにか雰囲気が?』
『そんなのいいから! これ、見てよ!』
『なんですかこ・・・うっそ、赤琥珀!?』
『もの凄くレアな石じゃないですか!? 凄いわ、さすがイヴリル様ね』
『でしょ? でしょ! でっしょうぉぉぉ? でもこれは普通の赤琥珀じゃなんだから!』
『え、それって・・・』
『ふふん、それはね』
『『『……どええええぇぇぇぇえええぇぇぇ!?』』』
シルフィードの耳に、令嬢らしからぬ声が聞こえてきた。
『ぅぅうう嘘でしょう!? どどどどうやってこんな!?』
『伝説どころか創世神話級の石じゃないですか!』
『おおおぉぉおおぉおとぎ話で聞いたことがあるだけですよ!』
『凄い! 凄すぎです! どうやってこんなとんでもないものを!?』
『ふぇっ!? ぉぉおおおお兄さんが!?』
『お兄さんってあの離れにいたあの人のことですか!?』
『信じられない! 凄いお兄さんじゃないですか!』
『オーク巨樹の赤琥珀なんて世界に二つとないですよ!?』
『それをイヴリル様にプレゼントするだなんて、素晴らしいお兄様ですね!』
『へ? ああ、ま、まあね? 良いところもそのちょっとはあるんじゃない?』
『またまたイヴリル様ったら、顔が真っ赤ですわよ?』
『は、はぁ!? んんんなわけないっての!』
既に用のなくなった旧自室に居座り続ける理由があるはずもなく、トボトボと廊下を歩いていると風の魔石の助けを借りるまでもなく妹とその友達のはしゃぐ声が聞こえてくる。
姿が見えないのに、胸を張る妹の姿がシルフィードには見えていた。
皆が皆、貴族令嬢とは思えないほどの大騒ぎっぷりである。この場に作法にうるさい両親がいれば、こっぴどく叱られたことだろう。
騒ぐ様子からわかるのは、限りなく低かったシルフィードの評判が天井知らずに暴騰したことくらいだ。暴騰の次に来る暴落がかなり怖い。
マルセルと付き合っているおかげで悪い評判が圧倒的に多い上に、この体型だ。自分自身がバカにされるだけならまだしも許容できる。悪口雑言をスルーするスキルも習得済みだが、腹違いとはいえ妹のイヴリルも悪く言われることは不愉快だ。
ましてや自分にかこつけての批判ともなれば尚更。今回の件で少しは名誉挽回できたのなら幸いだ、と無理にでも考えることにした。
異母弟のアルスについては、根本的に仲が悪いので、どう評価をされていようと気にもならないが。




