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幕間:シルフィード編 ~その十二~

 取り付く島もないとはこのことか。


 どうにかしてイヴリルに機嫌を直してもらわなければ、シルフィードが積み上げてきた資料は永久に失われる。ついでに研究の土台となる環境も失われる。


 代わりに妹を始めとする家族や使用人たちから、変態のレッテルを張られることだろう。


 マルセルとの付き合いの中で、悪党呼ばわりされることには慣れてはいても、変態とかシスコンはご免被りたい。どうにかして流れを変えなければ、待っているのは社会的な破滅である。


 シルフィードの頭は忙しく回転し、呼応して眼球も激しく動き、ふと視界に入ったものがあった。


 エントの枝を失い、今また?


 シルフィードの胸中にかつてないほどの葛藤が生まれ、時間的心理的余裕のなさから、刹那で昇華される。


「ここ、こ、これは」

「は? まだ言い訳があんの?」

「ちち違う、ちゃんとした理由があるんだ! 部屋に勝手に入ったことは悪かったが、どうしてもこれはサプライズにしておきたかったんだ!」


 もはや謝罪や弁明だけでは収まらない。いや、下手をすれば謝罪がそのまま、冒頭陳述にまでされてしまいそうである。


 シルフィードの危機管理能力はかつてないほどに活性化、サプライズプレゼントをするつもりだったとの方向に話を切り替えた。


「サプライズぅ? ざっけんな! 勝手に部屋に入ったことを、ものなんかで済ませようっての?」

「そんじょそこらのつまらないものなんかじゃないから!?」

「なんでも一緒でしょ!」

「違う! これだぁぁぁあああっ!」


 魂からの叫びと共に、シルフィードは両手を突き出した。手の中にあるのは質素な造りの木製小箱。リンジー魔法具店で見たものよりも簡単な造りをしているのに、木箱の隙間から覗く布は上質なものだと見てとれる。


 急に差し出されたイヴリルも呆気にとられる。


 このタイミングを逃すわけにはいかない、と判断したシルフィードは、体型からは想像もできない流れるような動作で木箱の蓋を開けた。


「――――ぇ?」


 微かに細められたイヴリルの目は数秒を経て大きく見開かれた。


「え……?」


 見開かれて、そのまま時間や空間ごと凍り付いたかのように一切の動きがない。イヴリルの硬直が解けたのは、たっぷり十秒が経過してからのことだ。


「…………は? うっそ……まさかこれっ、て……」


 イヴリルの声は驚きのあまりひび割れている。


 木箱の中に入っていたのは赤琥珀レッドアンバー。シルフィードのみならず、土属性の魔法の使い手たちが長年求め続ける逸品。琥珀の中でも希少性が高く、魔法発動体としての性能からも極めて高値で取引される。


 しかもこれは、ただの赤琥珀レッドアンバーではない。歴史上の名だたる王や英雄たちが求め続け、遂には手に入れることの敵わなかった至高の石、尊極の石だ。


 シルフィードも奇跡と偶然の末に手に入れ、この先の生涯で、いや、二度三度の転生を果たしたとしても、手にすることなど二度とないと断言できる品。


 魔法発動体には宝石が使われる。同じ石でもグレードにより発動体としての価値は大きく変動し、ルビーならより濃い赤のほうが優れている。


 他の石でも、例えば火属性ならガーネットでも発動体にはなり得るが、やはりルビーに比べると発動体としての力は劣る。


 土属性の場合もトパーズだって発動体になり得る。だが長年の研究や研鑽の結果、土属性魔法の発動体としては琥珀がもっとも望ましいと結論されていた。


 琥珀の中にも当然のようにランクがあり、飴色や黄色を帯びた黄金色のもの、つまりはイエロー系統の石が一般によく知られているものだろう。


 希少性が高いものに、赤琥珀レッドアンバー乳白色琥珀ロイヤルアンバーがある。いずれも産出量自体が非常に少ない上に、産地も限られているとあって、王国内でもほとんど流通していない。


 稀に出ても店頭に並ぶことはなく、商人と大貴族の間で秘密裏に取引が行われているのだ。


 ただしこれらの分類は色による希少性を分けただけであって、他にも、魔法騎士にとっては価値を大きく左右する要素がある。


 琥珀の特徴として、植物に属する、という点がある。宝「石」の名が示す通り、ダイヤモンドやエメラルドなどのほとんどの宝石は鉱物に属する。真珠や珊瑚のように一部が動物に属しているものもあるが、植物に属する宝石というのは珍しいものだ。


 琥珀とは木の樹脂が化石化したもので、一般市民にとっては樹脂を出した樹種など何の関係もない。広葉樹から針葉樹まで様々で、現在では絶滅してしまっている樹種もある。


 関係があるのは魔法騎士だ。広く分布する樹木よりも、希少性の高い樹木によって生まれた琥珀のほうが貴重で価値がある。


 樹齢百年の樹木から生まれた琥珀よりも、樹齢千年の樹木から生まれた琥珀のほうがより強力な魔法発動体となる。


 琥珀の色としての最上級が赤琥珀レッドアンバー乳白色琥珀ロイヤルアンバーなら、産出木の最上級はオーク巨樹と神聖樹からできた琥珀である。


 いずれも樹齢数億年とされる古木中の古木でありながら、現存しているという規格外の樹木だ。


 神聖樹は聖王国が厳重に管理しているため、その琥珀を入手できる機会はまずなく、各国の王侯貴族であってもそれは変わらない。


 オーク巨樹は国家や組織が管理しているわけではない。ただ、生えている場所が問題だ。人跡未踏とされる地に生えている、との伝説があるだけで、実際に確認できたとされる記録は一七〇〇年前が最後だ。


 しかも腕利きの魔法騎士たちでチームを組んでも、辿り着けた例が一度もないときていて、入手困難である状況は神聖樹と同じである。


 唯一の救いは、神聖樹ほどに厳格な管理がなされていないことから、かつて滅びた国が所有していたものが千年単位の稀さで出回ることがあることだ。


 シルフィードが入手することができたのはこのオーク巨樹の琥珀、それも赤琥珀レッドアンバーだったのだ。


 琥珀に限らず最高峰の宝石は国が管理したがるため、正規の市場にではなく闇市場にのみ出回ることが主で、この琥珀も闇市場に流れてきたものだった。


 ただしオーク巨樹の琥珀としてではなく――もしそうなら情報が流れないはずがなく、間違いなく国家の枠組みなど無視して各国の魔法騎士たちも動いていただろう――エントの枝の付属物として扱われていたのだ。


 エントの枝は先にイヴリルにプレゼントしたもので、業者側がエルダートレントの枝だと勘違いしていたものである。


 エルダートレントの枝は貴重ではあるが上位貴族や大富豪なら手に入れることは不可能ではない。稀にではあるが国家からも褒章として用意されることがある素材だ。そのため、エルダートレントの枝が闇市場に出回るとの話が出ても、魔法騎士や他の官憲は騒がなかったのだった。


 エルダートレント――実はエントの枝であったわけだが――の枝が納められていた装飾過多の箱には、枝を高く売るための演出として業者側が大量の宝石を敷き詰めていた。


 のだが、その中にオーク巨樹の赤琥珀レッドアンバーが、そうとは知られることなく紛れ込んでしまっていたのだ。


 繰り返すが、ダイヤモンドにもグレードがあるように、琥珀にも種類によって差がある。最も希少とされる赤琥珀レッドアンバー乳白色琥珀ロイヤルアンバーの産出量は、琥珀全体の0.1%程度だと言われている。


 シルフィードの手元にあるのは、ただでさえ希少なオーク巨樹の、更には赤琥珀レッドアンバーとあって、もし闇業者が目利きのできるものであった場合、価格はそれこそシルフィードなどの手の届く範囲には収まらなかった。


 エルダートレントの枝を良く見せるための手段として、手当たり次第に琥珀を敷き詰めた結果、この赤琥珀レッドアンバーが手に入ったのだから、まさしく奇跡と同義の僥倖だ。


 オーク巨樹の琥珀そのものが滅多に出回るものではないのに、これは史上に目撃例すらないオーク巨樹の赤琥珀レッドアンバー。どのような経緯で、世界に紛れ込んできたのかを知る術はない。


 大事なのは、シルフィードの手に入った事実である。


 こうして手に入れたエントの枝は知り合いのリンジーの店に預け、赤琥珀レッドアンバーは手元に置いておく。


 いずれは両方を使って最高の杖を作るつもりだった、のに、エントの枝の所有権は数日前にイヴリルの手に渡り、更に赤琥珀レッドアンバーの所有権さえも、今やシルフィードの手を離れつつあった。

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