幕間:シルフィード編 ~その十~
魔法杖を作ること自体は簡単だ。極端な話、杖本体の木と、杖にはめる石があればそれでよい。
エントの枝が極めて貴重な素材であると同様に、魔法発動体として用いる石にも種類によってランクがある。
まず重要なのは自分の属性とあった石を選ぶことだ。サンバルカン家の火属性ならルビー、オルデガン家の風属性ならエメラルド。
そしてマーチ侯爵家は土属性なので、琥珀を魔法発動体として使用する。
「琥珀なら家にいくらでもあるじゃないか」
マーチ家は土属性の家系として、王国屈指の有力一族だ。財産も他人が羨むほどにたっぷりと持っている。当然、琥珀や他の宝石も大量に保有していて、中にはかなり貴重なものもある。
市場に流通する量をコントロールして利益を上げているが、こちらは些細なものだ。
「バッカじゃん?」
イヴリルの返答は一刀両断型のものだった。
「家にあるものを使ってどうすんのよ。これはエントの枝なのよ、わかってんの?」
「わかるもなにも、そもそもその枝は僕が用意したものなのだけど」
「だから?」
もはや枝は自分のものであり、シルフィードの意志や意見が這い出てくる隙間もないようだった。
「家にある石でエントの枝に相応しいものなんてあるわけないじゃない。探すの。わかった?」
「わかりたくはないけど……わかったよ」
まだ手伝いが終わっていないことに疲労感を感じながらも、なら石探しにまた街に繰り出すことを提案したシルフィードに対し、
「今日は忙しいからダメ」
イヴリルはにべもなく断ってきた。
「えー」
素材集めに協力を要請してきたのはそっちじゃなかったか。仕方なしとはいえ協力を受け入れて、疲れた体に鞭打って今からもう一度動こうとした協力者に対し、今日はダメとは一体全体どういうことなのか。
「今日は友達が来るから」
「はい!?」
妹の中の優先順位がどうなっているのか、気になるシルフィードである。
伝説級の素材に相応しい石を探しに行くことと、友達との交流。
研究に没頭しているときのシルフィードなら友人関係を断つことも厭わないが、イヴリルが同様だとは限らない。同様のことを強いるわけにもいかないし、強いたところで激烈な反撃に遭うだけだ。
「なによ、なんか文句があるわけ?」
「な! このっ」
文句なんか聞かないわよ、とでも言いたげな態度にさすがのシルフィードもカチンときた。早く資料を取り返したいとも気が急いていたシルフィードは思わずイヴリルの手首を掴んでしまう。
イヴリルは驚いた顔をしたのも一瞬ですぐに険しい目つきになって、
「痛っ、ちょっと、触らないでくれる?」
眼光の鋭さは、さすがに名門貴族の血筋だ。睨まれて、気圧されたシルフィードは手を放す。
「す、すまない」
「はぁ……別にいいけど。とにかく、そんなわけだから、あんたは今日一日、物お部屋から出てこないように」
「お、ま、今、物置って言おうとした?」
「また文句?」
「いやあの、そんな、人をバイ菌とか雑菌みたいに」
「似たようなもんでしょ。あんたみたいにブクブク太ったブタ、見える範囲にいるだけで悪影響だもの。あたしの友達に近付いたら許さないから、わかった?」
ビシッとエントの枝を突き付けて宣言し、犬でも追い払うかのようにしっしっと枝を振ってくる。
魔法を使っていないのに、得も言われぬ強制力を感じたシルフィードは、すごすごといった態そのままで部屋に戻るのであった。
自室に帰り、安物のベッドに飛び込む。ベッドが派手に軋み、置かれているマットが裂ける音もした。
「あいつは、本当に、何様のつもりなんだ。ああ、妹様か」
シルフィードとしては研究資料を取り返すために一刻も早く素材を集めたいのに、イヴリルにとっては兄の研究資料よりも友人のほうが大事らしい。
この点は理解できる。疎遠になっている兄の資料よりも、自分自身の付き合いのほうが大事なのは当然だ。
だから理解はできるにしろ、けれど問題は妹の目付きだ。こちらをまるで汚物扱いだ。まかり間違って妹の友人に話しかけたりしてしまったらどうなることか。もしかすると見ることすらNG扱いかもしれない。
「僕の資料ぉぉお~~~」
ベッドの上でゴソゴソドタドタと動く度、ベッドは抗議の声を上げ続け、遂には抗議だけでは足りないとの判断を下した。破滅的な音と共に二本の足が砕け、シルフィードは無様な声を上げて床に転がり落ちる。
「ぶぇっ」
分厚い皮下脂肪でも衝撃を完全に吸収することは無理だった。すぐさま起きることもせず、シルフィードは床に倒れたままだ。
手だけを伸ばして床に放ったままにしていたノートと鉛筆を掴む。ついでに懐から直径三センチほどの水晶玉も取り出す。落下の衝撃で割れていなくてホッとする。
溜め込み続けた資料を失ったシルフィードの現在の日課の一つは、思い出せる限りのことを書き出していくことだ。どんな資料で、この数値はどうやって出したのか等を次々と書いていくのだ。
筆記だけだと追いつかないこともあるかもしれないので、思い出したことを片っ端から水晶玉に音声入力で記録していく。
「ふぅうう」
ハイピッチで詰め込んでいった作業が一息ついたところで、寝転がったまま伸びをするシルフィード。腰は痛いわ、肘は痛いわ。それでいて作業が捗ったのだから、シルフィードは腹這いでの筆記作業が習慣になってしまいそうで怖くなった。
何気なく時計を見ると、既に一時間以上が経過している。茶でも飲もうかと体を起こしたところで
――――うわぁ、相変わらず凄い庭ですね、イヴリル様。
――――さすがに王都でも指折りの庭園と称えられるだけのことはありますわ。
――――そうかしら? さ、皆さま、こちらへ。
――――マーチ家の庭でお茶を楽しめるだなんて、来られなかった皆さんに嫉妬されてしまいますわね。
中庭から華やかな笑い声が聞こえてきた。イヴリルとその友達たちが中庭に降りてきたようだ。
「それしても……そうかしら? とはなんだ。あんな上品な喋り方、僕は聞いたことがないぞ。猫被りにも程がある。むしろ気持ち悪いのだが」
バカだのデブだのと罵られてばかりだし、課題手伝いの範囲では淑やかさや上品さとは縁遠い口調だ。イヴリルの豹変っぷり、あるいは猫被りっぷりに呆れと共に感心もしている。
「まあ、あれもイヴリルなのだろうね」
家族に対する態度と友人に対する態度は違って当然。違うからと言ってどちらかが偽物というわけではなく、どちらもイヴリルだ。
ただせめて、もう少しだけでいいから、友人に向ける優しさの一欠片でもいいから、自分に向けてほしいと思うだけだ。
気にしないようにしつつも、楽しそうにしている女の子たちの声が聞こえてくる。
作業の続きをしようにも、どうにも集中できなくなったので、少しでも外からの情報を遮断しようとして物置の窓に布をかけてカーテンにしようとし
――――!
「!」
たところで、中庭にいる妹の友人たちとと目が合ってしまった。
さすがにイヴリルの友人というべきか、皆が皆、思わず目を見張るような美少女揃いだ。「げ」と思って布をかけるのをやめて、友達からの視線から逃れるために部屋の奥に行く。
「あの子たち、まさかイヴリルに余計なことを言ってないだろうな」
気になるのはこの点である。シルフィードが自室から覗いていた、などと告げ口をされようものなら、資料探しどころか、イヴリルの手によって資料を闇に葬られそうだ。
「かくなる上は」
気になったシルフィードは「こんなこともあろうかと」と、学院用のカバンの中から小粒のグリーンベリルを取り出した。魔石と呼ばれるもので、本来は魔法を使えない、あるいは、魔法の力が足りない人たちが補助的に用いるものである。
取り出したグリーンベリルはクライブに頼んで風の魔法を仕込んでもらったものだ。情報取集の用途に適している魔法が込められていて、もっと言うと、盗み聞き専用の魔法が込められている。
余談だが、エメラルドもグリーンベリルも緑柱石という、同じ石である。発色元素により名前が変わるだけで、宝石としての価値がまったく変わるのだ。
シルフィードの手がグリーンベリルを握り潰す。気配が消された風の魔法が展開、妹とその友人たちの話しを聞くように広がっていく。
仮に覗きがばれなかったとしても、盗み聞きの魔法を飛ばしたことがばれるとヤバい事実に、シルフィードは気付いていなかった。




