第十話 ちょっと原作を変えた結果
そうして、わたしことカリーヌはマルセル様付きの専属メイドとなった。
今まではラウラ先輩がその任を担って――押し付けられて――いたが、驚くくらいスムーズに、支障なく引継ぎが終了してしまったのである。
下級貴族の跡取りであっても、傍付きのメイドともなればそれなりの家柄が求められるという。領内の有力商人の血筋であるだとか、信頼できる家臣たちの中から選ぶとかが多いらしい。
如何に評判が最低最悪最劣とはいえ、公爵公子閣下の専属ともなれば、商人どころか他の貴族たちから選ばれそうなものだ。
家柄、気品、学力、いざとなれば公子閣下を守るだけの武力も必要だ。
いずれもわたしは持っていないものである。にもかかわらず専属に任命される。立場的に他のメイドたちよりも上になり、給金も上がる。
前者はともかく、後者は非常にありがたかった。貧乏一家の生まれとしては、得られるお金が少しでも増えることは嬉しい。
公爵家に務めるメイドには家柄がいいものも少なくない中、平民出がいきなり公子専属に抜擢されるなんて事態、本当なら職場内でいじめが起きても不思議はない。
だがそんなことは完全にわたしの杞憂だった。むしろ皆がわたしを気の毒に思ってくれて、同情と申し訳なさからか親切にしてくれるようになる。
仕事のサポートはしてくれるし、美味しくて安い店を教えてくれるし、なんならご馳走してくれもする。
それはとある感情たちの裏返しだということもわかっていた。
公子閣下への恐怖や、公子閣下にかかわりたくないという敬遠、我々の代わりに生贄になれとの期待。
これでもう、わたしは逃げ出すことができなくなった。逃げたら今度こそ嫌がらせの対象になるだろう。家族のためにも高給金の仕事を逃すわけにもいかない。
公子閣下の気紛れとワガママにすり潰されるその日まで、わたしはクズと名高いマルセル・サンバルカン様に仕えることになったのだ。
伝え聞く悪行は数知れず。メイドとして奉公を始めてからも、公子閣下のワガママ一つでクビにされたり、傷つけられたりした人たちを何人も見てきた。
わたしはどんな目に遭わされるんだろう。
「家族のみんな、お姉ちゃんは命がけで頑張るからね」
そんなわたしの悲壮な決意は、いい意味で裏切られることになる。マルセル様はワガママや暴力を振るって来なかったのだ。
お茶が温いと言っては殴り、顔が気に食わないからと蹴り、機嫌がいいからと魔法を撃ち、何となくでクビにする。
どんな酷い暴力に晒されるのかとびくびくしていたのに、拍子抜けするくらいになにもなかったのだ。
それどころかねぎらいの言葉は掛けてくれるし、弟妹へのお土産まで渡してくれる。
ちょっと前までの最低な言行はすっかり鳴りを潜め、態度も言動も穏やかなものに変わった。以前はあれほど嫌っていた勉学にも勤しんでいる。
わたしは、ううん、わたしたちはマルセル様のことを誤解していたのではないだろうか。
確かにマルセル様には褒められる点は何一つない。癇癪持ちで、沸点が低く、すぐ暴力に訴える最低の人間だ。
女の子のお尻や胸に興味を持つだけならまだしも、触りまくるのはよろしくない。
それらがより悪化するのは、長兄のデュアルド様が評価されたときだった。デュアルド様だけが評価され、マルセル様は比較されて惨めな気分になって攻撃性を他者に向けるのだ。
もちろんどんな理由があるにせよ、マルセル様のしてきたことは何一つとして正当化できない。
許せないと怒りを露わにする被害者や、その家族は多い。
望んでもいないのに怒りや憎しみの感情に振り回される日々を押し付けられた人々が、マルセル様や公爵家を許すことはないだろう。
メイドたちの休憩室でも、マルセル様に対する悪口雑言は止むことはない。わたしが奉公に来て大して日数が経っていないのに、暴力や嫌がらせを受けて辞めた同僚が何人もいたから、罵られても当然だと思っていた。
だからこそ本当に驚いたのだ。生まれ変わるという、ある種、型通りのセリフ。
人間、そんなに簡単に変われるというのなら苦労はしない。
悪党が口先だけでなにを言ったところで、実際には行動は伴わない、伴ったとしても極めて短時間で終わるに決まっている。
そんな風に思っていた。
一欠片の期待も抱いていなかったのに、いざ接してみると、明らかに変わっていた。言葉遣いや顔付き、纏う雰囲気までもがらりと変わっていた。まるで別人なのかと思うほどだ。
これも十二使徒様のお叱りのおかげだろうか。
気になる点というか、不安に思うところはある。時々、ノートに一心不乱になにかを書いては、頭を抱えて唸り倒しては奇声を上げる場面を見かけることだ。
初めて見たときは正直、かつてのマルセル様に戻るのではないか、と危惧したほど。
まあ、けど、ここまでのところ、どうやら生まれ変わるとの発言に嘘はない様子。以前のことを考えると不安は尽きないが、もう少しだけ、信じてみてもいいかな、くらいには思ったわけなのです、はい。
というわけでできた専属メイド、なのだが、今現在の俺の私室にいるのは部屋の主一人だけだった。さすがにメイドさんにこんな姿を見せるわけにはいかない。
こんな姿、というのはジャパニーズ土下座というものである。土下座を示す相手は目の前でプカプカと浮かぶ猫、十二使徒のアディーン様だ。アディーン様は腕と足を組んで、俺を見下ろしている。
『なあ、自分、これはもしかしたらなんやけどな? なんやワイに言いたいことあるんちゃうか? 例えば謝罪の言葉やったり、あるいは謝罪の言葉やったり、もしかすると謝罪の言葉やったり。あぁん? そこんとこどやねん、自分?』
「ははっ! 勝手にアディーン様の名前を出してしまい、大変に申し訳ありませんでした!」
『そやな。自分がなにを考えてあないなことを言うたんかは、よぉわかる。せやけど、自分のやり直しの人間関係構築のためにやぞ? ワイを利用するんはどうやと思うねんな』
「まったくもって返す言葉もございません」
『まあええわ。ええ方向に転んだんやから良しとしよか。ほんで、あの子は自分の味方になってくれそうなんか?』
「味方ですか……」
転生してから何度目のことか、原作の展開を思い返す。
作中では、マルセルには味方はいなかった。悪役三人組とは友人関係だったが、マルセルと主人公が決戦を行う原作二十一巻時点では、「アクロス程度の薄汚い平民など、オレ一人で十分だ!」と他の二人を遠ざけてしまっている。
他に仲間はいない。金で雇っていた連中も、決戦時点では完全に落ち目になっていたマルセルを見限っていたぐらいだ。広いアジトの中、ただ一人取り残されて、ヒステリックに喚き散らしていたシーンのざまぁ感ときたら。
襲い来る未来に思いを馳せ、身震いする。
『なんやなんや。肝っ玉が小さいのお。せっかく生まれ変わったんやないか。ばーんと運命の一つや二つひっくり返したるくらい言えや。それが男の醍醐味いうもんやないか』
「俺の知ってる未来だと、俺はお前にも」
『あ゛?』
「アディーン様にも見限られてしまうんですけど?」
『そらまぁ、そうやろな。十二年しか見てへんけど、あいつ、あのままやったらまずロクな奴にならへんかったやろうし。そんなんに味方したる義理はないわな。サンバルカン家の人間はワイの家であって、協力関係も上下関係もあるわけでなし。あんなダアホのためになんかしたる気ぃなんか起きるかい』
見事なまでのバッサリ具合である。僅か十二歳でここまでの評価を得るんだ。マルセルという人物、ページの外で見ていた俺が想像していたよりも、よっぽど救いようがない。
けど前のマルセルに味方する義理がないと言うのなら、
「え、と、俺の味方をしてくれる、気は……?」
『安心せぇ。わいとお前の仲やないか』
どんな仲だよ! 思わずツッコみたくなるのをすんでのところで我慢する。
『さすがに全面的ゆーんはする気ないけど、条件付きでやったらちょっとは味方したる』
「して、その条件とは?」
ここでアディーン……様は十二使徒に相応しい威厳ある佇まいを醸し出す。数秒前まで関西弁丸出しの駄猫感満載だった姿とは雲泥の差だ。アディーン様は菩薩のような慈愛に満ちた笑顔を湛えて、告げた。
『アンパンや』
俺の思考が停止したのは言うまでもない。