幕間:シルフィード編 ~その八~
辿り着いたのは石造りの階段を地下に降りた先にある、明らかに堅気の人間は近付きもしない雰囲気の店だ。
シルフィードはクイっと引っ張らていることに気付く。イヴリルに服の裾を掴まれていた。どうも、掴んでいる本人は無意識のようだ。
「ちょ、マジ?」
「雰囲気が怪しげなだけだよ。信頼できる店長だから、ね?」
「べ、別に心配なんかしてないわよ」
――――ねえ、店の前で騒がないでくれるかしらぁ。
騒いでいたのが店の中にまで聞こえたのか、やや機嫌を損ねたらしい声が聞こえてきた。
「ととと、悪いねリンジー」
「は? 呼び捨てにしてんの? キモ」
「キ、キモぶひ!?」
ショックを受けた拍子にシルフィードは石段を踏み外し、勢いよく店のドアに突っ込んだ。シルフィードの体重に、落下に伴う加速だ。
立て付けの悪いドアは悲鳴を上げて開き、店の壁に当たって跳ね返り、無礼な侵入者の顔面に強烈なストレートを返した。
「あ痛っ!」
「「なにしてるの」」
異口同音に呆れられるシルフィードである。
店の奥から立ち上がったのは、二十歳前後の肉感的で妖艶な美女だ。黒いストレートの髪は長く、胸元が大きく開いた服からは、今にも大きな胸が零れ落ちそう。
「やあ、リンジー。久しぶり。元気そうだね」
「貴方のほうも元気そうねぇ……ちょっと無駄がありすぎるようだけど」
「不慮の事故だ」
「太りすぎなのよ。前にも言ったでしょぉ」
「これでも毎日走っているんだよ? まあその度に腰も膝も股関節も痛いんだけど。無理に姿勢を治そうとしたせいか、昨日なんか背骨も痛くなってきた」
「若者のセリフとは思えないわねぇ。ドアを壊したなら、弁償させるか別に店を用意させようと思っていたんだけど、どうかしらぁ」
言いつつ、リンジーはシルフィードに体を近付ける。かき上げた髪の隙間から覗くうなじと、豊かな胸で作られる谷間を間近にして、シルフィードの鼻の下は間違いなく数センチは下がっていた。
「なにデレデレしてんの。みっともない」
反対に、というべきか、毒づくイヴリルの眉の角度は急激に跳ね上がっていた。
「ごご誤解だ。デレデレなんかしていないから」
「は、その顔で言っても説得力なんかないっての」
「ねえ、シルフィード、こちらの可愛らしいお嬢さんは誰なのかしらぁ?」
「おおっと、そういえば互いに紹介がまだだったね。イヴリル、こちらはリンジー、この店の店長で、現役の冒険者でもある。彼女は僕の妹だ、名前はイヴリル」
「よろしくねぇ」
「ぇ、ええ」
差し出された手をイヴリルはしっかりと握り返し、目線も逸らしていない。
シルフィードは内心で口笛を吹いていた。イヴリルも美少女だが、リンジーには大人としての色気があり、大概の初対面の人物はリンジーの色気に圧倒されて終わる。
イヴリルのように最初こそ気圧されても、すぐに立て直すことに成功した例は少ない。シルフィードだって例外ではなかったのだから。
「で、この人とはどういう関係なワケ?」
妹からの視線はチロリやジロリどころではなく、ギロリとしたものだった。
「単なる客と商人の関係なだけだ」
「それだけなの? 寂しいわねぇ」
「まぜっかえすのは止めてもらえますか!?」
「キモ」
「キモくないから!? 研究や修行の過程で何度かこの店を利用させてもらって、親しくなっただけだからね?」
追い出される寸前であっても有力貴族の息子は息子。厄介払いにと持たされていた金も結構な額だった。
他にも不要になった資料を売ったり、相場に手を出したりしている。
相場観は見事であったらしく、投機の鬼だとか、投資家の集まるヘルムシティの風雲児だとか噂されるほどにまで伸し上がっていた。当然、その金払いは良く、すっかりリンジーとも仲良くなったのである。
「それ以上のことはなにもない。誓って本当だ」
「誓う必要なんかないわよ」
「わたしは愛人の立場も悪くと思ってるけど、ねぇ」
「はあ!?」
「リンジー、君が頭が良くて魅力的な人物であることに疑いの余地はないが、僕がこの店に入ってから五分としないうちに、僕の社会的な地位とか名誉とかを滅多刺しにするのは止めてくれるかな!?」
社会的、はオーバーな表現だ。イヴリル一人しかいないのだから。
「それで、今日は何の御用かしらぁ?」
「話題の展開が酷い!? いいよ、もう。荷物を出してもらいたい。十七番の箱だ」
「! あれを? なにがあったのぉ?」
からかいとクールを絶妙にブレンドしていたリンジーの顔に、今日初めての驚きが浮かぶ。ちょっとだけ勝った気になったシルフィードだったが、事情を説明するとリンジーの顔に生暖かい笑顔が浮かんだので、すぐに錯覚だったと思い知る。
「シスコンねぇ」
「違う」
「……キモ」
イヴリルは心持ちシルフィードから距離をとった。
「断じて違うからね?」
クスクスと笑いながら店の奥に引っ込んだリンジーが三分もせずに戻ってきたときには、簡素な、というよりも雑な造りの木箱を両手に抱えていた。イヴリルは怪訝そうな目をする。
「これはなに?」
「凄いものよ。とてもねぇ」
近所の低所得層向けの家具店でも作ってそうな安っぽい木箱の蓋が開けられ、そこには一本の枝が納められていた。
「――――え?」
「ね? 凄いでしょ?」
何の変哲もない枝。しかし鉄とミスリルがそうであるように、見るものが見ればわかる。この枝は普通の枝ではない。間違っても何の変哲もない木ではなく、エルダートレントや、イヴリルが家で見たことのある他の杖素材の枝ですらない。
「何、なの、これ?」
呆然と呟くイヴリルの反応にシルフィードは満足気に頷き、
「これは」
「エントの枝よぉ」
決め台詞を顔なじみの店長に奪われた。シルフィードの顔に得も言われぬ哀愁が漂っても仕方がない。
「はぁっ!? エント!? エントってあの!? うっそ、なんで、なんっでこんなとこにあるのっ!?」
イヴリルの驚いた顔が見れたのだから良しとする。そう考えることにしたシルフィードである。
エントとはトレント種の最上位種として位置付けされる魔物だ。トレントが知性の低い魔物、エルダートレントは魔法を使うことができるだけのトレントでしかないのに対し、エントは老成や円熟と表現できる人格と高い知性を持つ。
つまり強力な魔法を扱うことができ、また木の根を介して《陣形》という影響力を行使する範囲圏を生み出すことまでできる。しかもこの《陣形》は、軍隊が展開できるような戦域全体にすら及ぶという。
普段は木に擬態していて発見は極めて困難で、発見できても討伐は更に困難という高危険度の魔物。
有効なのは火属性魔法であることは周知の事実。火魔法を使うと素材入手が難しくなることも。しかし火魔法なしで討伐することは困難を極めることことから、エントの素材は滅多に出回ることはない。
さすがに神聖樹やオーク巨樹と並ぶ神話級の素材とまではいかないまでも、王族や高位貴族の当主がようやく手にするようなレベルの品である。魔法騎士の杖の素材としては、魔法騎士団の団長級に褒賞として下賜されることもあるという、つまりはそうそうお目にかかれるような代物ではない。
イヴリルが勢いよくシルフィードに向きなお、たかと思いきや、いきなりシルフィードの襟首に手をかけた。
「ぐえ! イイイイヴリル、なにを?」
シルフィードの上げた声はブタのようなヒキガエルのような。しかしイヴリルの追及は緩みそうにない。
「なにをじゃない! あんた、そんな金どうしたの!? 盗んだ? それとも他の違法取引?」
「あれ!? 思ったより信用がないよ!? ああ待って! ガクガク揺らさないで! なんか零れそうになるから!? ちち違う! 違うから、盗んだりなんかしてないから!?」
「嘘つくな! でなきゃどうやってこんな、超級の素材を」
「これは本当に僕のものなんだ! 手に入れたのは偶然だけど!?」
「なんっ!?」
シルフィードを激しく揺らしていたイヴリルが硬直する。