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幕間:シルフィード編 ~その三~

「はぁ、わかった、わかりました。わかりたくはないけど、この部屋が僕の手を離れたのは理解したよ。じゃあせめて、僕が集めた資料だけは回、しゅ、ぅ……?」


 シルフィードの言葉は尻切れトンボになった。顔色もスゥッと青くなる。


 元々、この部屋はかなり汚かった。整理整頓の言葉は、次元の彼方にでも捨てられたような有様であった。というのも、シルフィードが方々から資料を集めまくったからだ。


 集めた資料を棚やら机やら床やらに放りっぱなしにしていた汚部屋は、実はこんなに綺麗だったのかと思うほどに、整理と掃除がされていた。


 部屋の主が変わると、使用人たちの勤勉さや献身さも随分と変わるものらしい。


「ま、まさかあれも!」

「ちょ!?」


 はたと気付いて、シルフィードはかつて自室だった部屋の奥、寝室へと走る。


 寝室兼資料保管室であって、とりわけ大事なものをかなりわかりにくく隠しているのだ。世界的に見ても貴重で希少な、奪われでもしたら再起不能レベルの大打撃になる。


 シルフィードの脂肪過多の手がドアノブにかか――――


 ガン!


「!?」


 ――――る寸前、物凄い勢いでドアにミスリルソードが突き立たっていた。イヴリルが投げつけたものだ。


 角度と方向的に、威嚇だとわかる。なぜなら、威嚇でなければ右に十センチばかしずれた位置に、シルフィードの頭があるからだ。学業成績が優秀なのは有名だが、投擲の才能にも恵まれているらしい。


 シルフィードの首はギギギ、と音を立てるようにして後方に向けられた。妹様の柳眉は逆立ち、顔は真っ赤だ。


「あ、ああぁああんたっ、なに妹の寝室を堂々と覗こうとしてんのよっ!? このド変態!」

「ち、ちが、この部屋には僕の研究データが」

「そんなものなかったわよ!」

「ぃや、資料の類がだね」

「だから! そんなのはなかったって言ってるでしょ、変態っ! あたしがこの部屋に入る前に、あんたの荷物は全部、根こそぎ外に放り出されたわよ!」

「うえぇっ!?」

「わかったら出てけ! 早く! 今すぐ!」


 妹の剣幕を受けて、しかしシルフィードの頭の中は、別のことで一杯になっていた。回収された資料が捨てられたのか、あるいは個人か業者に引き取られたのかさっぱりわからない。


「回収屋を調べたら……いや、この屋敷の人間が回収屋の名前や顔を覚えているとは考え難いし。ああくそ、こうしちゃいられない! 誰か知ってる人間を見つけないと!」

「ちょ……はあ、どうせ無駄だってのに…………バカ」


 イヴリルの声は、走り出すシルフィードの分厚い背中の脂肪に跳ね返された。


 どっすん、ばったんという情報収集のためのシルフィードの奔走は、正しく報われなかった。雇用主の血筋に連なっているはずの人物に対する使用人たちの反応は、ほぼ統一されていてのである。


 ――――申し訳ございません。

 ――――存じ上げません。


 と無表情で返答するのみで、家令に至っては、


 ――――おや? シルフィード様はまだこの屋敷におられたのですな。


 などと、当に排除・追放された身として扱ってきたのだ。屋敷内での、というより一族内での己の立場を思い知らされたシルフィードは、既にわかったことでありながらも、少しだけ打ちのめされた気分になった。


「ぶふぅ」


 臨時の自室にと与えられた物置のベッドにダイブする。シルフィードの体重にギリギリ堪えられる程度の耐荷重でしかないベッドは大きく軋み、連動して物置も揺れた。


 揺れた拍子に、破損の目立つ本棚に置かれていた本がまとめて床に落ちる。ほとんどはシルフィードが研究用にと集めた資料や、書き溜めたノートの類だ。


 例外は三冊だけ。


 平民はおろか貴族の間でも流行しているロマンス小説「ムーンライトの導き」、その一~三巻だ。二十年近くに及ぶロングラン小説で、現在は十五巻まで刊行されている。


 国王が平民の娘に産ませた娘が主人公で、王位継承を巡る陰謀と、彼女と恋仲になる公爵子息との恋愛を主眼とする世界観だ。


 陰謀に巻き揉まれるヒロインを助けるため、公爵子息はアイマスクを着けてムーンライト仮面を名乗り戦い、ヒロインを救い出して大団円になる、らしい。


 文学への理解に欠けるシルフィードが買い求めたものではなく、元からこの倉庫に置かれ、埃を被っていた三冊だ。


 シルフィードは気分転換を兼ねて読み始め、一巻を読み終えたところで続きを開くことを諦めた。砂糖を吐くような甘さに耐えられなかったのである。


 主人公の少女とムーンライト仮面が抱き合う表紙を改めて目にしても、シルフィードの思考は別のところに向いていた。


「別に今更、家族や使用人たちにどう思われようと構わないのだけどね」


 両親に愛情を期待することも、もう何年も前に諦めている。向こうはシルフィードのことをいないものとして軽く扱っているが、シルフィードのほうも彼らを信用も信頼もしていない。


 体型同様に神経も図太いのか、家族や使用人からの感情など気にもならないシルフィードだが、引っ掻き集めた研究資料が失われることだけはきつい。


「ぶひ、こんなことなら、どれだけ手間でもすべての資料にマーキングしておけばよかった」


 残存魔力反応を追跡する魔法もあるが、残念なことにシルフィードには使えない。


「失うのはあまりにも惜しい素材なんだ……見つけるためには暴力も辞さない覚悟はあるけど」


 相当、パニくっている自覚をシルフィード自身も持っている。自覚を噛みしめつつも、その場合、相手を誰にするのかと考えを巡らす。


 メイドたちは知らないだろうし、知っていても全体像を把握できているとは考え難い。浮かんだのは家令の顔だった。貴族の生まれでもなく、長く侯爵家に仕えて家令の地位にまで上り詰めたことは大したものである。


 とはいっても雇われの立場であることには変わりなく、現マーチ侯爵の意向を笠に着てシルフィードに辛く当たってくるのだ。


「あの老いぼれならば、手酷く痛めつけることに良心の呵責もなく行えるだろうからな」


 贅肉の多い手を握りしめる。問うて応えるなら良し。でなくば躊躇いなく暴力に訴えよう。シルフィードは魔法は使えなくとも魔力だけは持っているので、魔力をふんだんに込めて殴りつければ相当な威力になる。


 シルフィードの悪役要素の強い決意とは裏腹に、幸いというべきか、シルフィードが家令を痛めつける機会は訪れなかった。


 家令は誰かしらと一緒にいることが多く、一人でいるときも書類を片付けていることが大半。処理している書類も領地に関するものも多く、さすがにそのタイミングで攻撃することは、領民たちのためを考えると憚られる。


 かつてのシルフィードなら領民のための行動など平気で踏み躙っていたろうに、その領民のことを考えて己の行動を踏み止まった事実に、シルフィード自身も驚いていた。


「うがが、さっさと一人になれよ、あのじじい」


 こうしてる間にも時間だけが過ぎていく。しかもこういう時に限って、時間の流れる速度というのはやたらと早いものだ。


 どうすれば、とベッドの上でバタバタしていると、平均よりもずっと思い体重を受けた安物のベッドの足は、今にも折れそうなほどの大きな音を立てた。


 過剰な重量と不適当な運動に対する明確な抗議の声、を無視して尚も足をバタつかせていると、


「あっきれた。ふて寝でもしてんの」


 開け放たれた物置の扉の前に、腕組みをして仁王立ちしている妹様の姿が目に入った。


 冷ややかで険悪な眼差しに、シルフィードは少なからず驚いていた。まさかこんな短期間に二度も言葉を交わす機会が訪れようとは。


 しかも今回はイヴリルのほうから来ている。


 彼女からシルフィードに話しかけてくるなど、思い出すのもバカバカしいくらい過去にあったっきりだ。


 それにしても、話しかけてきた側の顔に、嫌悪感が露わになっているのはどういうカラクリなのか。

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