幕間:クライブ編 ~その二十七~
今度こそ間違いなく、激しいばかりの戦いの跡地に残っているのはクライブ一人になった。一陣の風が吹き、クライブも消耗の激しい肉体を持ち上げる。
「さて、そろそろ麿も行くででおじゃるか、まだまだ修行が足らんでな」
敗北は揺るぎない事実。だが頂とはどんなものであるかを知ることはできた。《虎徹》からの勝利は素直に喜ぼう。
頭の中には更なる筋トレメニューがいくつも浮かんでいる。紙に書き起こし、効率と効果を考えながら最適な組み合わせを見つけなければ。
戻り次第、また筋肉漬けの日々に戻ることができる。
ここより以後は、また日常に戻るのだ。目を閉じて、ニタニタしながらそんな夢想に浸る。口の端からうっとりと涎が流れ、これからの筋肉ライフに思いを馳せ、目を開く。
眼前にあったのは、突きつけられた無数の槍の穂先だった。
「おじゃ!?」
これだけ大騒ぎをして、官憲が動かないわけがない。騒ぎの中心は奴隷市の目玉を出品するオードリー商会の倉庫ともなれば尚のこと。
ガシャーン。
こうしてクライブの身柄は官憲の手に落ちることになったのであった。
「違うんだ! これには事情があるでおじゃる!」
「だったらその事情とやらをさっさと言ってみろ!」
「い、いや、それは口にはできぬ理由がごじゃってな!?」
「ふざけてんのか、バカ野郎!」
「ひーん!?」
捕まったとはいえ、クライブは貴族だ。いずれオルデガン伯爵家が手を回して釈放されるのは確実。そこまで考えの回らないクライブは、厳しい取り調べにバカ正直に付き合うのだった。
どこかの空の下。取り調べ中に無罪を叫びたくとも、叫びきることのできないぶクライブの悲劇など知る由もなく、フードを目深に被ったユフィはカップを傾ける。
「マズい……茶葉も水も最低ですね。温度も低いし」
カップを置く。これで銅貨三枚も取るのはぼったくり以外の何物でもない。しかも先払いときているのだから、店主も味については自覚しているのだろう。
機嫌が悪ければ店主に愛ある説法――全十三章、各章は二十四部から成り、一部は三十六節から成る――を説いているところ、残念ながら今は店主に真実の愛を伝道することよりも優先しなければならないことがある。
ここ最近、己について回る問題を解決することだ。
盗まれないように、と膝の上に置いていたリュックを床に移す。腕利きのエルフの戦士であるユフィから盗みを成功させるなど、相当な凄腕でなければできないことで、しばらくの観察の結果、店内にはそれほどの腕っこきはいないと判断した。
ユフィの顔の向きがカップに戻る。
性格はともかく、単独で奴隷商に潜り込むよう彼女の実力なら、魔力感知だけで周囲のことを把握することはできる。だがフードを被っているイコール周囲の視線を気にしている、ことをアピールするため、不審がられない程度に周囲に向けて顔を動かす。
アムニテッシュに入った頃から感じていた視線がある。視線だけでなにも仕掛けてこなかったので、しばらくは放っておいた。
なにしろアムニテッシュでは、亜人解放という最重要の目的があった。こちらに危害を加えてこないのなら、たとえ不愉快であっても後回しにするのは正しい判断だ。実際に作戦が始まると、視線の主も亜人救出実行に入ったのか、視線は消え去っていた。
もしかするとこの判断は間違いであったのではないか、とユフィが考え出したのは、アムニテッシュの作戦の最終盤のこと。
オードリー会長の首を採って戻ってきたヴィンスに、複数のケガが確認されたときだ。「後で話す」と口にしたヴィンスは言葉通りにした。アムニテッシュでの作戦終了後に、打ち明けてきたのだ。
「『解放の牙』……はは~、あの口だけ達者な落ち目の連中ですか?」
「お前ね……」
アムニテッシュでの作戦には『エルフの嵐』の他にも複数の組織が協力していた。『解放の牙』は協力者の一つで、協力者の中で最も危険度の高い組織だ。
亜人解放よりも、亜人を搾取する元人を殺すことを最優先に掲げる。奴隷商人も殺す対象だし、奴隷商人を扱う貴族たちも殺すことを主張している。
「ああ、商人共を殺して回るだけなら、最初に通した話だから別に何も言わなかったんだが」
「だが?」
「連中、クライブを殺すと言い出した」
ヴィンスは元人のことを嫌っている。元人の貴族のこととなると、どいつもこいつも殺したいと考えている。少なくとも泥酔したときに、そう口にしたことがあるのをユフィは覚えている。
クライブに対しても警戒感を隠そうともしなかったし、必要ならば見殺しにすることも厭わない考えを持っていた。
同時に義理堅い性質も持っている。《虎徹》を引き受けることを言明したクライブを、後ろから、あるいは疲れ切った瞬間に殺そうとする『解放の牙』の考えには真正面から反対した。
「弱った相手を殺そうだなんて、まこと天晴れなんて卑劣な。よくもそんなことを口にできるものですね」
「…………まったくだ。賛成する理由などない」
『エルフの嵐』側の怒りは深い。
確かに亜人の中にも様々な考えを持つものは、当然にいる。わけても『解放の牙』は極端に過激な思想を持つ組織だ。
この世界は元々、エルフたちのものであり、元人は不当にエルフの土地を奪った。自分たちはエルフが本来持っている権利を回復させる。エルフの権利を侵した元人はすべて排除し、エルフだけの国を作る。これが主張だ。
ユフィは行儀悪く舌打ちをした。
「エルフ至上主義……自分たちが誰よりも優れていて、この世界を統べる権利を与えられていると本気で信じこんでいるバカな連中。かつてこの世界を救った魔聖ダリュクスも、実はエルフ族だったとか言ってましたっけ」
エルフは生まれつき高い魔力を持つものが多く、魔法を使う素養にも優れている。
ただ、これだけだと元人の中にも同程度か、エルフ以上の力を持つ者はいるため、エルフ至上主義者たちは自己の優位性を確立するため、寿命を持ち出した。
エルフの寿命は他種族と比較しても圧倒的に長く、数千年の歳月を重ねた個体まで存在する。
「自分たちが長い寿命を持っているのは、自分たちがこの世界を管理するために神が与えてくれたのだ。だから他種族はエルフに従わなければならない」
これがエルフ至上主義者の主張のもっとも一般的なものだ。『解放の牙』は更に過激化した主張を展開している。
――――神の代弁者であるエルフの誇りを侵害した元人は、残らず駆逐する必要がある。劣等種の元人をこの世界から一掃することこそが我らの使命だ。
エルフ以外をすべて排除すると言っているのだ。他の亜人に関しては、エルフの優越性を受け入れるのなら存在することを許すとしている。
ただし元人は生存することすら許していない。エルフ中心の国家を作り、法や習慣もすべてエルフの思想に則たものとして、受け入れないものを徹底的に排除する。
「本っ当にバカバカしいですね。そのエルフの思想とやらも、負け犬の連中が掲げる思想でしょう。我らのものとはまるで違う」
「その通りだ。極端なところ、連中にあるのは元人を殺したいという願望だけだ。自分たちは正当なことをしていると主張するために、元人の犠牲をなによりも必要としているだけだ」
そんな過激派がアムニテッシュの作戦に参加していた。ヴィンスたちが招いたのではなく、大奴隷市に絡むヴィンスたちの動きを察知して、勝手に割り込んできたのだ。
『エルフの嵐』を含む各組織、も当初は『解放の牙』を排して作戦を実行するつもりであった。だがアムニテッシュ側の戦力を考慮し、渋々ながら参加を認めることにしたのである。
参加を認めないのなら勝手に動く、と『解放の牙』が主張したことも関係している。奴隷商人殺害だけならまだしも、商人殺害を優先するあまり同胞を巻き込むことも辞さない連中だ。
同胞を巻き込んでも「尊い犠牲だ」「元人がいなければこんな悲劇は起きなかった」などと平気な顔で主張するのが『解放の牙』なのだ。自由に動き回られては本来の奴隷解放が危ぶまれるため、作戦に組み込むことになったのである。
その終盤も終盤。《虎徹》を抑えているクライブが元人の、しかも貴族だと知った『解放の牙』メンバーは、クライブを殺すことを主張し始める。




