幕間:クライブ編 ~その二十六~
間違いなく《虎徹》渾身の斬撃が《カラドボルグ》の肩に吸い込まれ、皮膚一枚を裂くことも叶わずに木っ端微塵に砕け散った。
「ばっ――――!?」
魔力刃が砕けた衝撃をまともに受け、《虎徹》が吹き飛ぶ。一方、同じ衝撃に晒されたはずの《カラドボルグ》は、笑みを湛えたままだ。
紛うことなき生涯屈指の強敵が一瞬で視界から消え去ったことに、クライブは動じない。図ることすらできない力の差に、こうなることは予想できている。
「次手! 行くでおじゃる! ふぅぅんっ!」
ビゥン、とクライブの血管が太くなり、筋肉が巨大化する。拳に息を吐きかけた。放つは右の空拳。
風圧を弾丸と変えて《カラドボルグ》を叩く――――はずが自然体のままの《カラドボルグ》を覆う魔力の膜を突破できないでいる。
大地を深く抉るクライブの空拳が、これほど無意味なものに成り下がったことはない。
「ぬううぅぅぅああぁぁあっ!」
連打連打連打。十数発に及ぶ空拳のすべては無駄だ。砦すら陥としてしまいそうな拳の弾幕が生み出したものは巨大な砂埃のみ。
クライブは会心の笑みを浮かべた。効かないことなど承知の上。
「ばはぁあっ!」
クライブは巻き上がる砂埃の只中に飛び込んだ。《虎徹》の攻撃も、クライブの攻撃も、《カラドボルグ》は避けなかった。防御の構えすら採らなかった。
だからこそ、《カラドボルグ》の位置は変わっていないと判断できる。
たとえ視界を奪ったところで、あれほどの使い手なら気配を容易く感知するだろう。だが突進に特化していたならどうか。クライブの残る力を近接戦闘に絞るのだ。
砂埃を突き破り、果たしてクライブの想定通りの場所に《カラドボルグ》は立ったまま。クライブの行動など見通しているのに、なにを仕掛けてくるのかを待ち構えている。
「その自信が命取りでおじゃる!」
腰から下、《カラドボルグ》の両足を刈り取る、否、圧し折るつもりでぶちかます。
「っっっ――――!?」
クライブの予想の一切は裏切られた。《カラドボルグ》の足を刈り取ることは元より、小動すらさせることができない。
大地に根を張ったよう、どころではない。まるで大地そのものだ。
クライブが奥歯が砕けるほどに噛みしめ、筋繊維の断裂すら厭わずに力を振り絞っても、状況は僅かも変わらない。押し倒すことはおろか、バランスを乱すことすらできない。
「ならばぁっ!」
クライブは《カラドボルグ》を抱え込むようにガキ、と腕を組む。倒すことが叶わくとも、渾身全霊の最大筋力でもって《カラドボルグ》の動きを抑える。
「《虎徹》氏!」
「おうっ」
クライブの叫びに呼応した《虎徹》が上空に現れた。
「ほウ、この短時間で役割を作るとハ」
「捧げる相手は違えど、互いに愛に生きる身でおじゃる!」
「考えることはわかる!」
砕かれた魔力刃は既に回復――――いや、輝きが魔力の刀身とは違う。魔力刃は水属性を表す青であったのに、今は弾けんばかりの光が輝いているのだ。
差異は他にもある。《虎徹》の髪からは色が失われている。皮膚も弾力を失い、目は窪んでいる。魔力ではない。闘気だけでもない。間違いなくこれは、生気を使っている。
「《虎徹》氏、それはっ?」
「既に魔力は尽きた! 絞り出せるものはこれくらいしかなかったのでな!」
生命エネルギーをもつぎ込んだ、最終最後、最大最強の一撃を叩きつける。刀身だけでなく、柄にも鍔にも《虎徹》のすべてが行きわたり、まるで光り輝く十字架のよう。
文字通り、自身のあらゆるものを掻き集めた一撃を振り下ろす。
ここで、初めて、《カラドボルグ》が動く。
左掌を上空に向けた。ただそれだけの動作で、クライブの全力のホールドが完膚なきまでに破壊される。両腕と胸部の筋肉がズタズタに千切れ、分厚い筋肉の鎧に守られていた骨にも内蔵にも激甚のダメージを受け、大きく吹き飛ばされる。
《カラドボルグ》の左掌が《虎徹》の振るう光輝湾刀に向けられ、
「っ――――っっっ!?」
乾いた音を立てて湾刀が砕け、湾刀を握る両腕も異音を上げてひしゃげた。
戦いとはとても呼べない戦いが終わる。倒れ伏す二人を見もせずに《カラドボルグ》は評価を下す。
「中々に見事だっタ。うム、両名共、私の弟子にしよウ」
評価のついでに物騒な宣言をする。がクライブも《虎徹》も意識をとっくに手放しているので、返事のしようもない。《カラドボルグ》が可愛らしく頬を膨らませたところで、倒れる二人には効果がない。
《カラドボルグ》は懐からメダルを取り出して、倒れたままの二人の手に握らせる。満足気に頷いた彼女は、その場から歩き去った。
転移系の術でも道具でもなく、嬉しそうに足取り軽く歩き去ったのだ。弟子ができたことを喜んでいるのかもしれない。
「……お月様が……随分と傾いているように見えるでおじゃる……」
どれだけの時間、意識を手放していたのか。アムニテッシュ商会に夜襲を仕掛けたはずなのに、いつの間にやら、東側の空が暗さを手放しつつあるではないか。
「目が覚めたか、クライブ」
聞き覚えのある声が横から聞こえてきて、クライブは首を動かす。
「《虎徹》氏? …………ズタボロでおじゃるな」
「お前も似たようなものだ」
既に目を覚ましていた《虎徹》だが、背を大地に預けたままだ。傍らには湾刀の残骸が転がっている。クライブが折った湾刀は、刀身だけでなく柄も含めて粉々になっていた。修復など叶うはずもなく、新たな一振りを求める他ない。
「竜を斬る、と思い定めて手に入れたものであったが……到底、届くものではなかったか」
「あれ程の強さ……とてもとても、生半可な武器では無理でおじゃろう。もしかすると竜そのものよりも強いのではおじゃらんか?」
「古竜とド付き合いをして引き分けた話は聞いたことがあるな」
ド付き合いの相手として明らかにおかしい。そう突っ込みたかったクライブだ。しなかったのは、肺や胸部へのダメージが深刻で、大声を出すことが難しいからだ。
《虎徹》がメダルを指で弾く。
「それは?」
「《カラドボルグ》様の弟子であることを示すメダルだ」
「お主、彼女の弟子でおじゃったか?」
違う、と《虎徹》は首を横に振った。《虎徹》によると《カラドボルグ》には悪癖がある。気に入った相手を勝手に弟子にすることだ。メダルはその証だという。
「つまり《虎徹》氏はこの度、めでたく《カラドボルグ》氏の弟子になったわけでおじゃるか。『最強』の弟子になれるとは、完敗も無駄にはならなかったと」
「お前も弟子にされているぞ。メダルを握っているだろう」
「おじゃ!?」
指摘されて初めて自分の右手が握られたままになっていることに気付く。開いてみると確かに《虎徹》のものと同じメダルがあった。
「麿も《カラドボルグ》氏に気に入られた……わけでおじゃるか」
「深く考えるな。無意味なことだ」
弟子になったからといって、なにかしらの特典があるわけではなく、修業を見てくれるわけでもない。気紛れに弟子の前に現れては蹴散らしていく。挙句に本人は弟子にした事実そのものを忘れることが多々あって、弟子にされた側は振り回されるだけで終わることもあるのだ。
「蹴散らすとな……まるで戦う相手に付けた目印のようでおじゃるな」
「その可能性もあるだろうな」
弟子にして、成長を確かめて、自分が満足できる敵を作ろうとしているのかもしれない。事実だとしたら、とんだ戦闘中毒者である。
「ふん」
《虎徹》が取り出したものは、転送の護符だ。最初から逃走手段は確保していたわけである。護符に通すだけの魔法力すら尽きている《虎徹》だが、護符には最初から発動に十分な魔浮力は込められている。護符は淡く輝き出す。
「クライブ、だったな」
「おじゃ?」
「覚えておく。必ず斬……から……他の、奴らに殺、さ、るな」
酷く物騒なセリフを残して、《虎徹》の姿もまた掻き消えたのであった。