幕間:クライブ編 ~その二十五~
クライブはまだ抜かれていないその一振りを見るだけで、世界が狭くなったかの感覚に襲われた。世界の果てにまで逃げても、ただ一薙ぎで両断されてしまうという起こりえない幻想が、逃げようのない現実だと。
「闘争、が目的でおじゃると?」
「もちろン、戦い以外にもあるゾ」
《カラドボルグ》の声がほんの僅か、クライブを撫で、クライブは自分が火山の噴火の只中に立っているかの錯覚を見た。
「アムニテッシュには多くの名物料理があル。大奴隷市に合わせテ、商人たちが提供する技術と知識と情熱を詰め込んだ屋台料理の数々。軍資金もたっぷり用意していタ。食い倒れに備えて薬の準備も万端ダ。それが全部なくなっただなんテ、残念という以外、他に何と言い表せと言うのカ!」
「う、む?」
つい先程の噴火云々は本当に錯覚だったのではないか、とクライブは首を傾げる。どう見ても観光を楽しみにしている少女だ。特に食欲に傾いている。
「諦めろ、筋肉。この人はこういう人だ」
「筋肉とは何でおじゃるか! 麿の名はクライブでおじゃる。て、《虎徹》氏?」
「闘争を望む。美味も望む。美味い飯を平らげるが如く、敵を平らげる。最強種、竜人族に相応しい振る舞いだろう」
「りゅっ!?」
竜人族。
世界に数多いる亜人種の中で、もっとも知名度の高い種と言えよう。数で言えばもっとも少ない竜人族は、エルフ族よりも強大な魔力を有し、魔人族よりも強靭な肉体を持つ。竜と人の間に生まれたとも、成長すれば竜になるとも噂されている。
竜にも匹敵するとされる圧倒的な戦闘力を持ち、その強大な戦闘力故に、神が地上に向けた天罰が人の形を取ったのだ、とまで恐れられるほどの存在だ。
「待つでおじゃるよ、《虎徹》氏。麿の目にはお主と同じ湾刀を持っているように見える」
「安心しろ。錯覚でも幻覚でも妄想でもない」
「まさか、彼女は武芸を修めているでおじゃるか? ただでさえ最強種と名高い竜人族が武の道を歩んだと?」
「そうだ。生まれついての強者であるだけでなく、剣の持つ暴力としての側面と、剣術家の目指す剣の理。双方をふざけた次元で体現している化物だ」
「化物とは失礼な言い草だナ。暴力と理合いの頂がどんなものかに興味があるだけダ。頂に立てバ、次は深奥に興味が向くだろうがナ」
果てなき強さへの欲求と、欲求に突き進むだけの愚直なまでの純真さを併せ持っている。薄皮を張り重ねるようにして強さを求めてきたクライブにとって、《カラドボルグ》の姿勢は憧れですらあった。
「クライブ、貴様にも多少の縁のある相手だ」
「麿に? 強さを求めるという共通項以外にでおじゃるか?」
「そうだ。貴様らが倒した《スレイヤーソード》。あいつが、生涯の目標としていた相手だ」
「! ……あの手練れをして、生涯の目標と言わしめるほどの実力者でおじゃるか」
さもありなん。クライブは絶句しつつ、納得する他ない。
《虎徹》とのやり取りは、危険極まりない竜人族の関心を引いた。
「へエ? 《スレイヤーソード》を倒したのは君たちなのカ」
「麿ではないことを断言しておくでおじゃる! 麿は完敗しただけである故な!」
《カラドボルグ》からの問いかけは必死になって否定する。もしこれで「面白そうダ、私とも一手手合わせしてもらおうカ」などと言い出されたら、来年の今日がクライブの一周忌だ。
勝ちの目がないどころか、クライブが抵抗の限りを尽くしたとしても、相手には無抵抗だと捉えられるだろう。それほどに両者の力は隔絶しているのだから。
「だが《虎徹》は倒しタ」
「紙一重におじゃるよ」
「その薄紙一枚を壁と呼ぶものもいル。少なくとも貴様は今日、その壁を乗り越えタ。だから褒美を渡したいのだガ」
考えうる限り最悪の展開、が一瞬で現実のものになりつつある。
他を圧倒する強さと、同時に傲慢な《カラドボルグ》の言動だ。褒美というものが自分との戦いであると。自分との戦いは褒美になり得ると。《カラドボルグ》は事も無げに断言する。
クライブの呼吸は急激に速度を増していく。体内を巡る血流の速度も同様だ。
あまりにも隔絶した彼我の実力差を前に、逃げ出したい気持ちはある。逃げ切れるわけでもない以上、戦いをせずに素直に白旗を上げる方法もある。
同時に、拳を交えたいとの抗いがたい欲求もまた、クライブの内には存在する。
クライブが知る限り、《カラドボルグ》は力の、強さというものの頂点だ。
《虎徹》を相手にして、現状の自己の力を確かめることができた。筋トレの効果を確信できたことは収穫だ。
世界には一体、どれほどの高みが存在するのか。身をもって実感する機会があるというのなら、まさに類稀な幸運。
上には上にがいる、の言葉があるにしろ、最上位の力がどれほどのものかを知れる機会なぞ、欲したからとて、手に入れられるものではない。
知っておきたい。
今度こそ間違いなくニコルを守りきるためにも、到達すべき目標を知っておくべきだ。
クライブは大きく息を吸い、言った。
「その褒美、ありがたく受け取るでおじゃる」
「よろしイ」
《カラドボルグ》の言葉に重ねるように、ズチャリ、と砂を踏む音がした。
「待て。某も混ぜろ」
満身創痍の五体に、鬼気を漂わせながら《虎徹》が戦意を見せる。目は狼の如く爛々と輝いている。
「《虎徹》氏?」
「あの《カラドボルグ》とやりあえるなど、そうそうあることではない。お前一人に、そんな特権はやれん」
「《カラドボルグ》氏と戦うことは特権、と。外れたことを言っているように思えぬのは、一体どういう理屈でおじゃるかな」
理屈もなにもないものであることを、クライブは理解している。強くなりたいと願うものにとって、この《カラドボルグ》と拳を交えることは、それだけの価値があることなのだと、直感と本能で理解する。
理解せざるを得ないほどの、力の差があるのだ。大きすぎる差に絶望しない限り、間違いなくそれは特権だ。
「お前に褒美をやるつもりはなかったのだがナ、だが許ス」
簡単に許可を出す《カラドボルグ》。クライブへの褒美と口にしながら、別の人間が絡んでくることを、クライブの意見を聞かずに決める。
強者であるがこそ、己の意思は必ず通る。ごく自然に、傲慢な考えを抱いていて、その考えは当然のように通るのだ。
「いいか、クライブ?」
「無論、受け入れるでおじゃる!」
「ほウ?」
「せっかくご用意して下さった褒美ではおじゃるが、麿一人では到底、受け止めきれるものではおじゃらん」
では《虎徹》と二人なら、受け止められるということであろうか。そこまで楽観的な考えを抱けるほど、二人の脳は糖分に浸っていない。
「麿一人では身に余り過ぎる褒美。分かち合うことに何の異存があろうか」
「ありがたく分けてもらおう! かぁぁぁぁああぁっ!」
《虎徹》の呼気には凄まじいまでの闘気が練り込まれている。クライブ同様に百孔千瘡ではあっても、戦意は些かも衰えはしない。
竜を斬ると決めて以来、研鑽を重ねてきた。今回は不覚を取ったが、命があるのだからいくらでも次に繋げることができる。
組織でも指折りの実力者である《カラドボルグ》と戦えるなど、滅多にある「次」ではない。肉体に受けたあらゆるダメージなど、精神力ですべて抑え込む。
「二人同時で構わんゾ」
「舐めるなでおじゃる!」
「《カラドボルグ》、覚悟!」
先程まで血で血を洗う争いを繰り広げていたクライブと《虎徹》が手を組む。
確かなのは一つ。仮に二人が万全の状態で手を組んだところで、万に一つの勝ち目もないことだ。
「はぁぁぁっ!」
裂帛の気合と共に、《虎徹》が湾刀に渾身の魔力を注ぐ。折れた刀身を補う形で魔力の刃が生まれ、万物を両断すべく袈裟切りに振るわれた。
強大な殺意を小さな体躯で受ける《カラドボルグ》は、むしろ穏やかな笑みを浮かべ、しかし無造作に間合いを詰めるでもなく、ただ突っ立っているだけだ。