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幕間:クライブ編 ~その二十二~

 ましてや湾刀を振るう《虎徹》の技倆は、並みの水準を遥かに上回る。


「当然だ、阿呆が。某の一撃だぞ。巨岩を容易く真っ二つにする某の斬撃で、骨も命も断たれていないなど、不愉快極まりない」

「はん、動かない相手しか満足に斬ることができないってだけでしょ」

「ほざいてくれる。エルフというのは、口の減らん種族のようだな」


 深刻なダメージを負いながらも、相手に屈することのないユフィに、《虎徹》の殺気が揺れた。遮ったのはクライブだ。


「貴様の相手は麿でおじゃるよ」

「わかっている。そのエルフを斬るのは、貴様の後だ」

「後などないでおじゃる。貴様は、ここで、麿が倒す。必ず」


 クライブの強い決意にユフィは目を丸くした。分が悪いのはどう見てもクライブだ。


 クライブの一撃が命中することはあるが、それまでに《虎徹》の斬撃を十は受ける。コツを掴んだ、と豪語する今なら、十の内に間違いなくクライブの命を絶てるだろう。


 どちらが優位かを知っているからか、クライブの決意に《虎徹》が薄く笑んだ。


「面白いことを言う。貴様は確かに硬いが、斬り方はもう覚えた。それがわかったから、エルフも間に入ってきたんだろうが」

「つまりは、麿の未熟さがこの事態を招いたというわけでおじゃるな。ますます、引けんでおじゃる。使うつもりのなかった、本気を用いてでも」

「まだ本気じゃなかったと? 面白いこと……いや、舐めたことを言う。本気を出さずに某に勝つつもりだったのか」

「勝てると思っていたでおじゃるよ。今となっては決定的な間違いであったが」


 クライブは揉み手をするように両手を合わせた。深呼吸を二つ三つと繰り返して、集中を高めていく。《虎徹》の顔が嬉しそうに歪み、湾刀を立てた。


「本気があるというのなら、さっさと見せろ。焦らされるのは好きじゃない」

「そんな複雑な駆け引きを、麿は知らんでおじゃる……よ!」


 裂帛の気合。クライブの魔力が膨れていく。均一に膨らんでいるわけではない。膨らんでいる箇所が無数にあり、反面、魔力を抑えつけようと術式の帯が締めあげている。例えるなら、ハムを巻く紐のように。


「これは風の魔力……? 故あって魔法は使えないって」

「タコにも。いや、いかにも」

「つまりわたしを騙したというわけですね」

「違ぇでおじゃる!? これも全ては筋肉のため。ユフィ嬢は加圧トレーニングというものを知っているでおじゃるか?」


 加圧トレーニングとは、腕・脚などに圧力を加えた状態でトレーニングすることだ。


 手足の付け根に適正な圧力をかけて血流を制限する。この状態だと少ない負荷のトレーニングでも大きな効果が得られる。軽いバーベルでのトレーニングでも、重いバーベルでトレーニングしているのと同じ効果が得られるというのだ。


「そう、麿は全魔力を使って、全身に圧力をかけ続けてのでおじゃる。食事のときも、寝ているときも。あの日、《スレイヤーソード》に敗れて以来ずっと!」


 ただし加圧の原則は、適正な加圧だ。適正に血流を制限すると血流が滞留する。行き場を失った血流は今まで流れなかった箇所に流れるようになることで、高負荷トレーニングを行ったときと同じ状態になる。


 クライブの加圧は、控えめに表現しても適正ではない。負荷をかけている場所は四肢の付け根にではなく、全身だ。全身余すところなく風の圧力をかけている。


 バカげた圧力だ。膨れ上がった風の圧力からして、鉄製の全身鎧ですらもペシャンコにするだけの圧力があるとわかる。トレーニングとしては科学的でも合理的でもない。


 ミチミチミチ、と大気とはとても思えない音が響く。クライブの全身に太い血管が浮かび上がり、脈動する。


「真っ当なトレーニングでないことは十分以上に承知しているでおじゃる。だが! あの日あのとき、この身に刻まれた敗北を覆すには、常軌を逸するほどのトレーニングが必要なのでおじゃる!」

「逸するほど、ではないだろう。完全に逸している。いかれているな、貴様」

「それは誉め言葉でおじゃる! 今こそ解き放つべきとき! 我が筋肉を抑え込めし封印よ! 颶風具足、解除ぉっ!」


 解除の言葉は宣言でもあった。破滅的な音を響かせて風が弾け、


「筋肉ぅぅっっ、開! 放!」


 制限を解かれた筋肉が膨れ上がった。大胸筋も僧帽筋も上腕三頭筋も胸鎖乳突筋も、全身の筋肉のサイズが増す。風の拘束が千切れ飛んだ奥から現れたのは、恐ろしく巨大化した肉体だ。その様、まさに筋肉だるま。ヴィンスが評した筋肉変態は、今にこそ相応しい。


「ふぅぅうううしゅぅぅうぅ」

「…………」

「どうしたでおじゃる、ユフィ嬢? そんな目を点にして」


 むしろ点にならないほうがどうかしている。


「呆れてるんですよ。何なのですか、その気色悪い筋肉は」

「き、きしょ!? いやいやいや、ユフィ嬢、それはユフィ嬢に筋肉への理解が足りないだけでおじゃる! 見るでおじゃる、この背中を。完璧なキレの逆三角形でおじゃろう?」

「逆三角形どころか、二等辺三角形になってるじゃないですか。逆の」

「むふ♡」

「いや、微塵も褒めてないですから」


 丹念に、薄皮を張り重ねるようにして作り上げた自慢の筋肉も、ユフィからしてみると心理的に数キロ単位で距離を開けたいものに他ならない。無理解を背筋で弾き飛ばし、クライブは《虎徹》に向き直った。


「待たせたでおじゃるな」

「いや、こちらも十分に呆れていたからな。気を入れ直す時間ができて都合が良かったさ」

「ぐぬぬ、どいつもこいつも、筋肉への愛の足りぬものばかり」

「当然だろう」

「ぬ?」


 チャキ、と《虎徹》の湾刀の切っ先がクライブに向く。


「某の愛はその一切合切を剣に捧げている。他のものに捧げる愛はない。浮気はせん主義だ。見るがいいこの刀身に浮かび上がる刃文を!」


 気のせいではなく、《虎徹》の目も顔も声も恍惚としていた。


「遠目に見るだけでは決して見えない、光を当てて何度も角度を確かめて初めて見ることのできる互のぐのめ――大きさの不揃いな丸みを帯びた――刃文の美しさに魅せられぬものなどいようはずがない。この湾刀の力強さ。優美さ。研鑽を積み重ねた先、畏敬の念すら自然に浮かび上がろうというものだ。地鉄の冴えも素晴らしい。刀身彫刻も見よ。東方で彫られた神仏だ。こっちでは手に入れるは元より、拝むことすらできまいよ」


 クライブやユフィが呆気にとられるほどに饒舌だ。クライブにも理解できる点はある。


《虎徹》の持つ湾刀は確かに美しい。


 この一点において、王国に存在するあらゆる剣は届かない。力強さや権威の象徴としての、いわゆる立派な剣は幾振りもある。宝石などで装飾の施された剣も数多あれど、刀剣そのものの美しさは、《虎徹》の湾刀の足元にも及ばない。


「確かに……目を奪われるでおじゃるな」

「ふ、わかるか」

「麿の家にも剣はいくつもある。装飾過剰な、飾り刀がな。多くの血を吸ってきた人斬りの道具であることと、それほどの美しさを両立させ得るなどと、こうして我が目で見ても信じられん気持ちでおじゃるよ」

「貴様のその筋肉もな。そこまで鍛え上げ、作り上げるとは……愛なくしてはできるまい」


 相手が違えど、お互い、無尽の愛を捧ぐものどうし。理解し合える点があるということか。間近で愛について聞かされ続けるユフィは、まったく話についていけていないが。


「とはいえ、某の愛は剣に。貴様の愛は筋肉に。似て非なるものだ」


 まったく違うでしょうが。ユフィの心の叫びは両者のどちらにも届かなかった。


「となれば話は簡単でおじゃる。麿たちの決着をつけるのは互いの愛のみ。どちらの愛がより深く、より多くを捧げたかでおじゃる!」

「異論なし」


 勝敗を分けるのは互いの技倆ではないのか。ユフィは最早、心の内で叫ぶことすら諦めていた。


「愛の力、か。少なくとも某は貴様よりも長い時間、剣に愛を捧げてきた。この一点だけならば某の方が有利ではあるが……」

「確かに、麿はお主よりも若く、筋肉に愛を捧げた時間もお主よりも短い。だが、愛の密度は別」

「安心しろ。貴様の愛が生半可なものでないことは十分に理解している。その上で、我が愛が貴様を凌駕する。いざ尋常に!」

「勝負でおじゃる!」


 クライブは両手を広げて拳を握る。相対する《虎徹》は大きく上段に湾刀を構えた。両者の距離が瞬時にゼロになる。先の先を取ったのは《虎徹》だ。必殺の間合いに入るなり、湾刀を振り下ろした。


 異様な唸りを上げて落下する湾刀はクライブの左肩に食い込んだ。そのまま斜めに斬り裂――


「っっ!? 止めただと!?」


 僧帽筋は斬られた。鎖骨は斬られた。だが大胸筋で止めた。


「まこと、見事な一撃におじゃる」


 だらりと下がった左腕に視線も向けず、クライブは相手を称賛する。

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