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幕間:クライブ編 ~その二十一~

「速い、が見え見えだな」


《虎徹》の表情にも纏う空気にも、愉悦が張り付いたままで緊張感は乏しい。《虎徹》は最低限の足捌きでクライブの拳を避け、無防備に伸び切った右腕を斬り落とすべく斬撃を放つ。


「!?」


 初めて、《虎徹》の顔に驚きが浮かんだ。湾刀を握る手に伝わったものは、肉を切った感触でも骨を断った感触でもない。多くの血を吸い、妖刀とも称される《虎徹》の愛刀の一撃は、上腕三頭筋に受け止められていた。


「バカな!」


 生涯で初めての経験に《虎徹》の体は僅かに硬直した。


「ふん!」


 その隙を見逃すほどクライブもお人好しではない。左拳を《虎徹》の腹に捻じ込んだ。


《虎徹》は一メートルを、着地してからも更に一メートルを吹き飛ぶ。拳の一撃から一直線に二メートルも押され、地面には堪えた足の跡が残っている。


「どういう肉体でおじゃるか。麿の渾身の一撃を二発も受けて、碌にダメージが通っておらぬとは」


 クライブの記憶には思い当たる感触がない。岩を砕き、地面を抉り、魔物を貫く。そのいずれとも違う。


 多少の焦燥はあるが、二発与えても効果がないなら、百でも千でも叩き込むのみ。クライブは焦燥ごと拳を握り込んだ。


 決意を嘲笑うかのように、右上腕に残る一筋の痕跡に冷や汗が浮かんだ。レッドベアの爪や牙をすら防ぐ鋼の肉体に、明確な証拠が刻み付けられている。


 もしあの斬撃が渾身のものではないとしたら。


「ふむ!」


 クライブにとっては願ったりだ。


《スレイヤーソード》に一蹴されたことから修業を始めた。自然破壊や魔物との戦いでは実感を得られない。


 不謹慎であることを十分に自覚しつつ、自分の力を試す、絶好の機会との受け止めを放棄することはできなかった。


 クライブが緊張の混じった笑みを浮かべ、応じて《虎徹》の口も吊り上がった。


「どういう肉体か、はこちらのセリフだ。某の剣で斬れぬ肉などと」


《虎徹》の声音には警戒の色は欠片もない。湾刀を構え直した《虎徹》の目は、驚きと喜びに歪んでいた。


「どうすれば斬れるのか……試してみるか」

「ほざくでない! 我が肉、易々と斬れると思うな!」


 全身に魔力を込め、クライブの筋肉が膨れ上がる。クライブは僅かに身を沈め、突進した。ショルダータックルかエルボーのかち上げか。迫力ある突撃を、《虎徹》は満面の笑みで迎える。


「!?」


 クライブの肘が当たる直前にぶれるように身を躱す。クライブには《虎徹》が掻き消えたようにしか見えなかった。


 袈裟切り、胴薙ぎ、左肩から真っ直ぐに斬り下ろし、左大腿への斬撃。四つの斬撃がクライブの肉体に届き、


「~~~~っ!」


 クライブは苦痛に奥歯を噛みしめ、だが倒れはしなかった。《虎徹》に向き直る。斬撃を受けた箇所は出血こそないものの、斬られたという証が痛々しく残っている。


「まだまだぁっ!」


 倒れなかったクライブは動きも止めずに、次の行動は右後ろ回し蹴りだ。


「いいぞいいぞ!」


 止まらないのは《虎徹》も同じ。クライブの蹴りを身を低くして回避しながら、右足を断つべく斬撃を繰り出す。斬撃は命中こそすれ、クライブの足を断つことはできない。


 クライブが右の裏拳を、左ストレートを、強烈な蹴り上げを、拳を固めた連撃を、次々に放つ。


《虎徹》はそれら一切を避け切り、返す刀を弛めない。


「ぐ、はっ。よもや、麿がこうも好き勝手に斬られるとは!」


 今では筋肉魔法などという珍奇な魔法に突っ走てはいても、魔法力の高い貴族の家に生まれた義務として、剣術にも触れてきた。真剣味は少なくとも指南も受けてきた。負けることは何度もあっても、これほどに手も足も出ない状況など初めてのことだ。


「斬られとらんだろう、小僧」


《虎徹》の声には感嘆と呆れが混じっていた。血糊の少ない愛刀にしげしげと目をやる。次に浮かんだものは、凶暴そのものの顔だ。例えるならそれは、人食い鮫のよう。


「斬れぬ肉体、か。面白いな。竜と戦ったとき以来か」

「竜!? お主よもや、竜と戦って生きておると言うのか?」


 クライブの声に《虎徹》は肩を竦めた。


「運良く生き延びることができたに過ぎん。用意した七本をすべて使い潰しても、鱗一枚断ち切ることも叶わんかった」


 吐き出す《虎徹》の声には強い無念と、頂点者たる竜に敗れて尚も諦めていない再戦への決意が滲んでいる。《虎徹》は音を立てて湾刀を振り、上段に構えた。


「決めたぞ、小僧。貴様は必ず、斬る」


 クライブもまた、口の両端を持ち上げて応じた。


「面白い。麿も宣言するでおじゃる。貴様は必ず、麿の筋肉魔法で潰すと」


 腰を落としたクライブは両手を開く。拳で叩くのではなく、捕まえて押し潰す気だ。


《虎徹》の技倆は十分に理解した。技に関してなら、クライブは《虎徹》の足元にも及ばない。


 駆け引きにしても引き出しの数があまりにも違い過ぎる。対抗できそうなのは速度くらい。それにしたところで、最大速度を一直線に使った場合に限られる。


 勝るものは唯一つ。肉体の頑健さだ。奥歯を噛みしめ、身をより低くして、さながら獲物に飛び掛かる肉食獣のよう。


 獣は《虎徹》も同様。静かに立つ《虎徹》の目は爛々と輝く。上段に構えられた湾刀の刀身からは、血臭が立ち昇る。


 クライブと《虎徹》の視線が交わりそうになり、だが火花を散らす前に両者が動いた。


 間合いを詰めるのはクライブの方が速い。左右から掴みかかる動作と、斬り下ろす動作では、後者の方が圧倒的に速い。


《虎徹》の顔には僅かばかりの余裕がある。クライブは肉体の頑強に任せて襲いかかった。剣と肉が衝突する。


 パシュウッ。


「!?」


《虎徹》の斬撃がクライブの肉を斬り裂き、鮮血が噴き上がる。


 クライブが全身に力と魔力を込めると、筋肉の硬度は跳ね上がる。生半可な武器は元より、それなりの魔力剣や名剣の類であっても弾ける。クライブ自身も己の肉体の頑強さには自信を持っていた。


「ぐふぉうっ! ……なんと。よもや麿が攻撃を当てた一瞬、僅かにできた緩みを突いて斬ってくるとは。魔物の爪や牙をも防ぎきる麿の筋肉魔法に、このような弱点があろうとは、考えもせなんだでおじゃるよ。が!」

「まだ魔法を言い張るか……ぐふっ」


 呆れる《虎徹》は口から軽く血を吐く。クライブの攻撃もまた、届いていたのだ。如何に強靭な肉体と、肉体強化を魔法を使っていても、クライブの全力攻撃を受けて、ノーダメージなどあり得る筈がない。


 大したもの、は双方に当てはまる。トレーニングと魔法を組み合わせて、人の限界を超えて鍛えた筋肉。史上に例のないレベルで人を斬り続けてきて得た、徹底した人斬りの技術。


 相譲らぬ激突。しかし天秤は《虎徹》に傾いた。


 クライブはダメージに片膝をつき、《虎徹》はダメージを負いながらも湾刀を立てた。湾刀は更に大きく高く構えられ、


「チェェェッェェェェエェエエエストォォォオオォォォォッ!」


 裂帛の気合と共に振り下ろされた。空気すらが悲鳴を上げる《虎徹》の凄まじい斬撃。


 これは斬られる、とクライブが。これなら斬れる、と《虎徹》が互いに確信していた。


 斬撃が皮膚に届き、肉を裂き、鮮血の赤が広がった。


「おじゃっ!? ユフィ嬢!?」


 噴き出した鮮血はユフィのものだった。解放された同胞を連れて奪取したはずの彼女が戻ってきて、あろうことか割って入ったのである。


 吹き出る血は、大きな風に舞って散る。ユフィが自身に掛けておいた風の防御ごと、容易く胴を斬ったのだ。肉を斬り、臓腑を斬り、だが背骨には届いていなかった。


「かっ!」


 斬られた腹を抑えながら、ユフィは既に回復魔法を使っている。


「な、なにをしているでおじゃる! どうして、こんな!?」

「ちょっと、傷に響くから大声出さないで下さい」

「傷って……」

「仕方ないじゃないですか。あれはどう見てもヤバかった。そう思ったら勝手に体が動いたんです」


 勝手に、の言葉にクライブは動揺した。


 ユフィはエルフ族で、クライブは元人の貴族。行動を共にしているといっても、所詮は一時のもの。命がけの戦いを共に潜り抜けた戦友ではない。クライブを助けるために、体を張る理由などない筈だ。


「バカですね。貴方を巻き込んだのはわたしですよ」

「む」

「貴方は同胞を助けるために命を張ってくれました。なら、わたしたちも貴方のために命を張るのは当然。それに」

「そ、それに?」

「このほうがヒロインっぽいでしょ? ……痛、ぐっ」


 痛みに顔をしかめるユフィは、腹に視線を落とす。回復魔法をかけているはずの創部は、確かにある程度は塞がっていた。しかしある程度以上の回復がなかなか進まない。止血が成功しても、しばらくするとまた出血が始まるのだ。


「これは……呪いでおじゃるか」

「術式とは違うみたいだけど」


 数多の人を斬り殺してきた影響で、湾刀に染み付いた怨念や呪詛が、術としての呪いと同等以上の威力を発揮しているのだ。

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