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幕間:クライブ編 ~その二十~

 固く握り込んだ右拳を放つ。クライブの拳が勢いよく地面を殴り土煙が巻き起こる。続いてユフィの風が更に砂を巻き上げ、大気中を舞う土煙が地面に落ちないように操作された。


《虎徹》の後ろで、ユフィが巻き起こした煙幕が不自然に揺らめく。多少なりとも戦闘経験を持つものなら、嫌でも気付くほどに大きくうねる。手練れの《虎徹》が気付かぬはずがない。


「ユフィ嬢、下がるでおじゃる!」

「クライブさん!」


 クライブは奥歯を強く噛みしめ、再び右拳を振り下ろした。岩をも砕き、地面をも陥没させる一撃だ。衝撃が倉庫を叩き、煙幕が吹き飛ぶ。


 同時に、赤い血も飛び散った。クライブの拳に、《虎徹》の湾刀が食い込んでいた。


 刀身の腹を殴ったなら、確実に剣を砕くことができる。並の刃なら、クライブの拳は負けはしない。実際に己の拳の強さを試したくて、鉄剣や鉄斧の刃にぶつけてきたのだから、クライブには自負があった。


 だが現実は、クライブの拳が湾刀の刃に受け止められている。


 いや、この場合は逆かもしれない。強い魔力を帯びたクライブの拳は、確かに湾刀に斬られた。だが縦に斬り裂かれるまでには至らなかった。手首の部分まで斬られながらも、クライブの右拳は確かに湾刀を受け止めていた。


「恐ろしく硬い……面白い拳だな。某の刀で斬れなかった人体など、そうはお目にかかれんぞ」

「余裕の顔もそこまでにするがよいぞ。貴様の剣は麿が掴んだ。この距離は最早、麿の距離でおじゃる!」


 拳で湾刀を掴んだまま、クライブは体を回す。投げだ。


 浮遊や飛翔の術を持たない限り、どんな達人であれ、空中では十分な姿勢は取れない。加えて《虎徹》は湾刀に執着し、握って離さなかった。両手が塞がっていたのだ。


《虎徹》を勢いよく持ち上げ――ボリュ。垂直に打ち上げた左拳が、無防備に晒されている《虎徹》の腹にめり込んだ。


「かっ!?」


 短く息を吐き出した《虎徹》は、数メートルを更に上方向に飛び、六秒後に地面に落ちた。


「ふむん!」


 クライブは右拳に食い込んだままになっている湾刀を引き抜く。ぶしゅ、と鮮血が噴き出した。


「筋肉変たクライブさん!?」

「今、何と言おうとしたでおじゃるか!? だが心配無用。ユフィ嬢たちは囚われている被害者の方々の救出を!」

「あの一撃を受けて無事でいられるとは思えないのですけど?」


 ユフィの当然の感想を、クライブは首を横に振って否定した。


「拳の感触が教えてくれるでおじゃる。内臓が潰れたり、骨が折れたりする感触はなかった、と」


 クライブの声が届いたのか、《虎徹》がゆっくりとした動作で挙手する。アピールするかのようにポンポンと服に着いた埃を払う動作を見せたことから、本当に大きなダメージは受けていないようだ。


「……ダメージがないのは本当みたいですね。なら」


 湾刀に斬り裂かれ、血が流れている右腕にユフィの懸念が向けられる。


「問題ないでおじゃる」


 懸念を払拭するべくクライブの採った行動、それは強引で大胆なものだ。衣類を裂くと、包帯代わりにして右手に巻き付けた。無理やりくっつけるという、子供でもなかなかやらないような行動だ。


「これで、後は麿の魔力やら回復力やらが働いて、その内にくっつくでおじゃろう」

「いやいやいや、もうちょっと人間らしい対処法を期待してたんですけど。風属性にも回復魔法をあるでしょう」


 口にしてユフィは思い出した。故あって今は魔法を使えない。そうクライブが言っていたことを。


「魔法が使えずとも魔力があれば筋肉の強化は可能。筋肉の強化を成せば、回復力が増すのも自明。くっつけておけば回復が早まることも当然でおじゃる」


 自明とか当然とかと並べられても、どれ一つとしてユフィには理解できないことだ。忌憚なく言うと、脳が理解を拒んでいる。呆気にとられる中、意識を取り戻したのはヴィンスだった。ユフィの肩にヴィンスの手が置かれる。


「いいんだな、任せても? 貴様が死にそうになっても、同胞の救出を優先するぞ?」

「異存なし」


 言い切るクライブにユフィが心配気に見やる。


「麿は元人、しかも悪評高きオルデガン家の人間でおじゃる。エルフや亜人たちから忌み嫌われていることは深く理解しているでおじゃるよ。現にヴィンス氏は、いざの際には麿を囮にするつもりでおじゃったろう」

「知っていたのか?」


 ヴィンスの声は温度の低いものだ。感情すら大して籠っていない。


「ヴィンスさん、そんなことを考えていたんですか。さすがはエルフ屈指の卑怯者と罵られるだけのことはありますね」

「お前が罵っているだけだ!? 別に隠すようなことじゃない。同胞と元人の貴族。どっちが大事かなんて、決まっている。ユフィ、お前も同胞を助けるために動いてきたんじゃなかったのか?」

「それは、そう……です」

「なら、ユフィ嬢らは自らが成すことを成すために最大の努力をするでおじゃるよ。それを邪魔するものは」


 ジャリ、とクライブは足を広げ、腰を落とし、戦意を漲らせた視線を、未だ倒れたままの《虎徹》に向けた。


「麿が取り除くでおじゃる」

「わかった。行くぞ、ユフィ」

「で、すが」

「本分を忘れるな。今日、俺たちは何のためにここまで来たんだ」


 目的は捕らえられている亜人たちの解放と救出だ。奴隷を連れたオードリー会長は逃げた。ここで追わずして、何のために襲撃をしたのか。


「『エルフの嵐』の仲間たちも集まりつつある。目標の人相もわかっている。万が一にも逃すことはない。だが」


 ヴィンスの意識が《虎徹》に向けられる。


「挟撃を受けるほうが厄介だ。あの筋肉変態が抑えていてくれるのなら願ったりだろう」

「誰が変態か!? 筋肉に対する愛と敬意が決定的に足りていないでおじゃるよ!」

「一人に任せきりにするのは不安ではありますが」


 筋肉変態の部分が否定されないことにクライブはショックを受け、ユフィは顎に手を当てて考え込む。


「……わかりました。クライブさん、エルフ流の葬儀を上げてあげますね」

「死ぬ前提で話すなでおじゃる!」


 クライブは《虎徹》に向いたまま、つまりはユフィたちに背を向けたまま力強く頷き、親指を立てて見せた。ここは俺に任せて先に行け、というやつだ。


「さあ、皆さん、こっちですよ!」

「邪魔をするな!」

『『『ひぎゃぁぁあっ』』』


 クライブは大きく動き出した気配を背中に感じながら、右拳を《虎徹》に向けた。巻きつけた布はかなり赤くなっていた。


「まさか、待っていてくれるとは思わなかったでおじゃる。意外と紳士だったでおじゃるかな?」

「くはっ」


 勢いよく《虎徹》が立ち上がる。三日月形に開けられた口からは、愉悦混じりの短い笑い声を吐き出した。


「某があんな奴の護衛をした理由は一つ。お前みたいなのがいるからだ。あいつを襲うほとんどは雑魚ばかりだがな、偶にお前のように斬り甲斐のある奴に出会える」

「護衛の理由ではないでおじゃろう」

「うん?」

「人殺しを止められない理由でおじゃろうに」


 クライブの指摘に、《虎徹》は顔を歪めた。正鵠を得たことは明らかだ。


「殺しではないさ。愛の証明みたいなものだ」

「愛?」


 あまりにも予想外の単語に、クライブは呆気にとられる。《虎徹》は続けた。


「剣への愛だ。殺すために作られた剣の存在意義を最大に発揮できるよう、某の愛のすべてを剣に捧げるのだ。男女の愛だろうと筋肉への愛だろうと、一切を某の愛と剣で叩っ斬る」


 噴き上がった殺気に呼応して、クライブの近くに転がっていた湾刀が浮き上がり、《虎徹》の手の中に戻る。


 まるで湾刀が《虎徹》に握られたがっているかのようだ。あるいは、湾刀も人を斬りたいという意思を持っているのか。


 この男はエルフの戦士と戦ったのは初めてだと口にした。戦いをこそ望むような人間だ。


 ここでクライブが倒されたなら、次は間違いなくヴィンスとユフィを狙う。あの二人がそうそう後れを取るなどとは思わないクライブだが、奴隷解放を優先するあまり不覚を取る恐れはある。


「行かさぬよ。ここで、必ず倒すでおじゃる!」


 強い言葉だ。不退転と打倒の決意を乗せた言葉。


「くくく」


 文字通り、嘲笑が倉庫に響いた。サムライ用心棒が小刻みに身を震わせている。


「機会があれば《スレイヤーソード》は某が斬ってみたかった。機会を永遠に奪われたんだ。代わりに、存分に斬らせてくれよ」

「麿は完敗しただけでおじゃるが……鍛え上げたこの肉体、易々と斬らせはせんぞ! むんっ」


 大きな呼気と共に強烈な右ストレートを放つクライブ。威力は十分、だが予備動作が大きすぎた。並の相手ならクライブの迫力に気圧される。だが実戦経験豊富な《虎徹》の顔に浮かんだのは、鋭い犬歯を見せつける満面の笑みだった。

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