プロローグ 追放編
「マルセル・サンバルカン! 貴様を魔法騎士団から追放する!」
戯言を叩きつけてきた男に見覚えがあった。魔法騎士学院入学時からの付き合い――極めて劣悪であるが――となるアクロスだ。
「まぁた貴様か、アクロスぅっ! 誰に向かって口をきいている、この下賤がぁっ! 公爵家の人間にして、成績優秀、未来は騎士団長が約束されているこのエッッリートに何たる無礼! 分際を身分を弁えろ! 血統の違いを弁えひぎゃぶ!?」
四方から取り押さえられ、地面に押し付けられた。一人はアクロスだ。
「平民がオレをぉっ! 何様のつもりだぁぁぁあっ!」
「この国と人々を守る魔法騎士だ!」
「っっ~~平民が魔法騎士ぃっ!? 魔法騎士を名乗っていいのは貴族だぎゃっっ!?」
ガン、とマルセルの顔のすぐ近くに剣が突き立てられた。柄を強く握る審議官は、マルセルをウジ虫のように見下している。
「魔法騎士に必要なのは、この国と民を守るという決意だ。貴様は、これが決定的に欠如している」
その場の全員のあるいは眉間に深い皺が寄り、あるいは憤りに眉を逆立て、あるいは強い歯軋りの音が響き、あるいは魔法力が立ち昇った。
「貴様は取り巻きと共に平民出身者や下級貴族出身者を虐げ、何度も大怪我を負わせたな」
「それがどうした! 公爵家のオレの機嫌を損ねるほうが悪い!」
「国民にも暴力を振るったな。いずれも騎士団憲章に反する行いだ」
「はぁぁぁ!? 憲章なんぞ、守る必要がどこにある。オレはルールを作る側の、選ばれた人間だ! 憲章だぁ? あんなものは下の連中が守るもんだろうが!」
「……これほど、どうしようもない奴とは」
アクロスの温度のない声が響く。審議官の声は凍っていた。
「暴力、不正蓄財、贈賄、その他の数々の悪行。騎士団憲章に則り、貴様を魔法騎士団より追放処分とする。叩き出せ」
「放せ! 放さんか無礼者共が! オレを誰だと思っているぅぅう!? 公爵家だぞ! 偉いんだぞぉぉお!?」
「随分と騒々しいな」
引きずられつつも暴れるマルセルが顔を上げると、そこには父であるサンバルカン公爵がいた。
「お、ぉぉおおおお! 父上! 父上からも言ってやってください! この痴れ者共に然るべき裁きの鉄槌をっ!?」
「誰だ貴様は?」
「げぺ?」
四肢が抑えられているため、心理的に縋りついてきたマルセルを、公爵は冷厳な眼光で一部の隙なく見捨てた。
「ち、父上……?」
「騎士団長殿、不備があった書類だがな、訂正したものを急ぎ持ってきた。我が公爵家の息子はデュアルドだけだ」
「しょ、しょんな!」
公爵家からの名前の取り消し。つまりは公爵家からの追放。マルセルを切り捨てる決断が行われたということ。寄る辺とする血統や家柄を失った瞬間、マルセルは喚き散らす。
「ぉぉお待ちください父上! オレは何一つとして悪いことなどしておりませぬ!」
応じたのはアクロスだ。
「平民を階段から突き落としたことも、上階から平民目掛けてブロックを投げたことも、平民を殺すために毒を盛ろうとしたこともすべてわかっている!」
「な、にを根拠にそのような!? なぁぁにをくっちゃべっているのか、さっぱりわからんなぁ!?」
狼狽を表すように、マルセルの額にも顔にも全身も汗が滝のように流れている。
「下級貴族に突き落とさせたのも、ブロック落下を事故扱いしていることも、毒もお前の子分の叔父の友人の義兄の愛人の三軒右隣の婆さんの息子の店に野菜を卸している農場主の孫が偶然手に入れたものだともわかっている! もはや言い逃れはできん!」
「バカなぁ!?」
「では団長殿、私はこの辺で失礼するよ」
「父ぅげぼば!?」
マルセルの頭部に強い衝撃が降り、その意識は暗闇へと転落していった。
マルセルの顔は原型をすっかり失くして、何倍にも膨れ上がっていた。ビクビクと痙攣している状態で学院の裏門から、学外に放り捨てられる。そこには罪人護送用の、頑丈さ最優先のみすぼらしい馬車が停まっていた。馬車の前には立派な身なりをした魔法騎士が立っている。
「ひひ、ひひひ! ばがが! 来るのがおぞいんだよ! ばやぐオレをだじゅげろ! ひひひ! グゾ平民共が、でめえはもう終わりぶべぇ!」
救援だと考えたマルセルは高速で勝者の顔になり、超高速で敗者の顔に押し戻された。魔法騎士はマルセルの顔を地面に押し付け、告げる。
「どうやったら助けが来たなどと思えるのだろうな。すまんが、こっちにはまだ手続きがある。面倒だからな、さっさと終わらせるとしよう」
「ひぇぎゅ、ひゅ、ぐべべ」
「マルセルよ、正式な処分が出た。騎士団を除籍の上、国外追放処分とする」
「こ、国ぎゃぃ!? なじぇ!?」
「この期に及んでも尚わからんのか。どうしようもないクズだな」
「ぐげぇ!?」
魔法騎士の大きな右手がマルセルの首根っこを抑えつけ、締め上げる。握力をより強めていき、持ち上げた。
「貴様を今から国外に放り出す。魔封じの腕輪をつける。放り出す先は、北に決まったよ」
「ぎだ!?」
王国北方は王国から蛮族だと疎まれる山岳民族が拠点とする地域だ。地域を平定すべく何度も派兵を行ったが、山岳という地形を利用したゲリラ戦を前に十分な戦果を挙げることができなかった。
大規模魔法での集中砲火でも勝利することはできなかった王国側は、毒を散布して土壌を汚染させたことすらあり、このことは山岳民族側の深刻な怒りを買うことになる。
領土交渉や和平交渉は完全に頓挫し、今では王国民が近付けば軍民にかかわらず無差別に殺害されるような危険地帯になっていた。
つまり、山岳民族にマルセルを殺させようというのだ。
ブン、とマルセルは罪人護送用の馬車に投げ入れられた。魔封じの腕輪に目隠し、猿轡まで噛まされる。
水も食料も最低限、乗り心地も最低で、蒸し暑い馬車の床に転がされること三日。
既に体力も気力も尽きたマルセルは動けず、魔法騎士はマルセルの髪を掴んで、そのまま投げ捨てた。
衝撃でマルセルの意識が戻る。最初から悪かった顔色は、右を向いた瞬間に白くなり、左を向いたときには青くなった。魔法騎士に向いたときには、マルセルの顔は土気色だ。国の外に来たことを思い知らされたのだ。
「ひぃっ! ま、待ってくれ! こんなところに置いてかれたら、死んじまう! 殺されちまうよ!」
必死に縋りつくマルセルを、魔法騎士はまるで虫でも見るかの目で突き放した。短い悲鳴を上げて、マルセルは尻もちをつく。そのまま腰を抜かしてしまって、へたり込んでしまった。
騎士団、家、そして国から追放されてどれだけの時が経っただろうか。
「マルセル・サンバルカン、貴様はもう必要ない」
そして今日、またもや暗転に襲われるマルセルであった。まさに唐突に、マルセルは衝撃を受ける。
「げぶは!?」
物理・精神両面からの衝撃だ。
告げられた内容と、宣告と同時に放たれた幹部からの、不意打ち兼容赦のない一撃によって。
マルセルは朝食のベーコンと卵を吐き出しながら蹲り、しかし懸命に顔を上げた。
マルセルは己を攻撃した幹部がどのような人物なのかをよく知っている。親しくはなかったがそれなりに長い付き合いだ。ここで何らかの反応を示さなければ評価を下げてしまう。
偉大なる我が組織。国境に捨てられたあの日、逃げ惑っていた自分を拾ってくれた大恩ある組織。世界を敵に回し、破壊と混乱を巻き起こす闇の結社、その幹部の目にも声にも表情にも慈悲の二文字はない。
「っっっな、なにを、を?」
「貴様はいらん、と言ったのだ」
冷淡な物言いに、マルセルは反発する。
「ババ、ババババカな! オレがどれだけ組織に貢献してきたと思っている! 資金も場所も! オレが実家を脅して用意してやったんだろうが。そのオレを追放だと!? なにをとち狂ったことあぎょっぱ!?」
再びの魔法の直撃を受けマルセルは地面を転がる。
「貴様はあまりにも失敗が多すぎる」
「ォオオオレをどうするつもりだ……」
「本来なら処刑だ」
霜の降りた声に、マルセルは思わず自分の喉に手を当てた。
「だが、資金提供には感謝している。実家を脅して巻き上げた資産をすべて寄こしてくれたおかげで、こちらはかなり動きやすくなったよ。だから、追放で済ませてやろう」
「すべてぇっ!? すすすべてとはどういうこ」
「失せろ、ゴミが」
感情のない言葉が合図だったのか、組織の兵士たちがなだれ込んで来て、マルセルを包囲する。兵士たちは手際よくマルセルを押さえ込み、マルセルは抵抗も反発する間もなく魔法陣の上に放り投げられた。
「こ、これは転移の!?」
「どこに行くかはわからんが……いずれにしろ、碌な場所ではないことだけは確実だ」
マルセルの目の前が大きく揺らぐ。こんなに尽くしてきた自分がどうしてこんな目に遭うのか。
「お、おのれ、アクロスぅぅぅううう!」
恨みと憎しみと怒りの矛先を見つけたマルセルは、怨嗟だけを練り込んだ咆哮を放った。