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動力神と斬りすぎる者  作者: 白石 流
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第九話

――――――――




「ダイン、起きてってば。私達だけ寝坊しちゃったみたい」


 涼やかな声に目を開けると、膝立ちのメアリに見下ろされていた。同乗していた男達がいない。それどころか、長い馬車の放列は動きをとめ、荷台が全て空っぽだ。


 寝ている間に風景が変わり、見渡す限りの背の高い草原にいた。


「他の奴らは?」


「あっちだよ、ほら」


 見えづらいが、遠くの方に皆集まっているようだ。どうやら姿勢を低くしている。二個連隊、およそ千人が雁首を揃えているというのに、よくよく目を凝らさなければ存在に気付かない。長槍や戦槌等の柄だけが枯れ草のように突出している。


「なるほど」


「なるほどって、何が?」


「最初の戦場が近い」


 メアリの顔に緊張がはしった。


「とにかく行ってみるかぁ」


 余裕を装うための欠伸をし、のんびりと連隊に混じりに行った。集団の前に立つ傭兵隊長や連隊長、そして数人の中隊長が、ひっきりなしに号令を挙げるのが聞こえてきた。部隊を編成しているのだろう。多数の傭兵達が怒鳴り声に追い立てられて中腰のまま動き回っている。これからの作戦に備えてあの姿勢に慣れさせようとしているのだ。


「おう、遅れて悪いな」


 偉そうで威圧的な人間を見ると、どうしようもなく火がついてしまう。十七歳の血気だった。


 悪びれないどころか挑発的とも見れるダインに、全員の視線が集まった。メアリも「ごめんなさいね」と手を合わせる。


「名乗ってみろ。どこで拾われた屑共だ」


豪宕な板金鎧を着こんだ大柄の傭兵隊長が、長大な弓矢を向けて弦を引く。丸く脂ぎった汗っかきな顔が上気し、蓄えた髭と太い眉に雫が滴らんばかりだ。


「俺はダイン・フィングだ。拾われたつもりはない」


「なに?」


「この貧弱な部隊を、俺が拾ったようなものだ。稽古の一環として助けてやろうってな」


 弦が戻る音。風を切る矢尻が頬を掠めていった。


「ふざけた若造だ」弓矢を補佐に投げ渡し、傭兵達が開けた道を大股で歩いてきた。「お前達のような者は要らん。頭を割って捨てていく」


 眼前に立つ傭兵隊長は、思ったよりも高齢のようだ。張りのある顔をしてはいるが、要所要所に隠しきれない加齢の痕跡が刻まれている。


 しかし体格に極めて優れていた。筋肉の要塞は二メートルを軽々と超え、頭二つ分の高みからダインを見下ろす。ぬらりと抜いた背の長剣は、ダインのものが食事用ナイフかと錯覚されるほどに雄壮であった。


 武装した異族を相手取るようなものだ。並大抵の人間なら泣いて逃げ出しそうだが、ダインは一歩も退かない。頬から顎に流れる血液も気にせず、


「あんたはベルナルドっつったな。喧嘩ならいくらでもしてやるが、こっちの女は関係ない。俺を起こそうと粘っていたら一緒に遅れただけだからな」


 メアリが感心し、


「凄い、なんで分かったの」


 その呑気な態度が、余計に怒りを買ったようだ。面白いぐらいに顔を赤くしているベルナルド他、二人の連隊長、四人の中隊長、千人の兵が皆一様に睨みつけてくる。『貧弱な部隊』がよほど効いたか。


 売り言葉に買い言葉で、頭に血が上ると状況も考えず暴言を吐く。必ず勝てるという自信が悪態を増長させてしまう。


「もういい」ベルナルドが構えた。「我々は急いでいる。お前も――」


 抜けと言われる前に、もう斬りかかっていた。大人と子供の戦力差に見えるが、剣身が交わった後に体勢を崩したのはベルナルドの方だ。不意をついたとはいえ、体重差を無視した熾烈な剣戟。散った火花の激しさに顔を覆う者までいた。


 ムキになったベルナルドが突進し、力任せに振るう剣を避け、いなし、その度に馬鹿にするように顔面を殴打し、髭を引っ張り、眼球を指で弾く。ときには股間を何度も蹴り上げた。防具の上からでも衝撃が響き、次第に動きが鈍くなっていった。


 ダインが愉快そうに笑う。


「おっさん、いや爺さん。もう止めておきな。心臓が筋力においてけぼりを食ってやがる」


 そろそろ勝負をきめてやろう。この程度の腕で傭兵隊長などと笑わせる、という慢心が相手のさりげない目配せを見落とした。


ダインはもう得物を用いる必要すらないと、顎を蹴り上げるべく体重移動をした。そして、そのまま動けなくなってしまったのだ。


「……!」


 表情や視線さえ変えられない。時でも止まったか。ベルナルドが獰悪な顔で勝ち誇り、連隊長達がいる方へ「よくやった」などと言っている。


 何某かの法力による拘束。中位の者で四、五人がかりの強度だった。


「小さな若造にしては骨があった」


 大長剣を高く振りかざした。見せしめに頭から真っ二つにするつもりか。そう思ったが、どうも殺気に芯を感じない。


 ベルナルドの気合い一閃。厚い刃が脳天めがけて打ち下ろされるのと、頭上を影が覆うのはどちらが先だったか。幾度も聞いて耳に馴染んだ、死の音が降ってきた。脂肪が断たれ、筋肉繊維が切り分けられ、骨がひしゃげる音。


 全身が血の滝に打たれた。閉じれぬ瞼から液体が流れこみ、視界が赤く満たされた。重みのある物が二つばかり草原に落ちたようだ。


 静まりかえり、程なくして拘束が解かれた。袖で目を拭おうとしたが何故か乾いている。いつの間にか視界も元通りだ。衣服からも周囲からも大量の血液が消えていた。


 無傷のメアリが立っていた。それを見下ろし、絶句しているベルナルド。他の者も沈黙し、無人の野の閑静である。


「おい、大丈夫なのか」我に返ってメアリに駆け寄り、表情のない顔を覗く。「今……何があった」


 メアリは答えず、ベルナルドに立ちはだかった。虎と猫を連想させる体格差にも物怖じせず、


「ベルナルドさん、これで気が済まないなら何度でもどうぞ」


 凪のような平静さのなかに、いくらやり合っても終わりがないと分からせるだけの強靱さがある。


「……やめておこう。戦場は待ってくれないんでな」威厳の仮面の下に、動揺がよぎったのを見た気がした。「もういい、お前達は遊撃にまわって好きにやれ」


 ヘマはするなよ、と戻っていき、再び部隊編成を始めた。怒鳴り声が響き渡る。


 ダインだけが未だに事態を理解していなかった。


「メアリ、どうやって俺を庇った」


「気にしないで。ダインの代わりに一回斬られただけ」


「き、斬られただけって、お前……」


 そうなると、やはり頭上で血をまき散らしたのはメアリだったようだ。恐らくは胴を二つに断たれて。しかし身体どころか服にも損傷が見られない。どれだけ高度な回復系統の法力でも、致命傷を受ければ対処不可能な筈だ。


 未だに幾人もの傭兵が、驚愕の面持ちでメアリを見ている。さぞや衝撃的な光景だったのだろう。


 もちろんダインもだ。自分を庇って瀕死となり、蘇生して平然とするまでのスピード感に脳が置き去りだ。むしろメアリは何故にこうまで落ち着いていられるのだ。数秒前に酷たらしく解体されたばかりだというのに。


「……凄いんだな。巻き込んで悪かった。俺は――」


「どうしてなの」言葉を遮られた。蒼い目に怒りと悲しみが湛えられている。「どうしてベルナルドさんと戦ったの。そんな必要があった?」


 ダインは思わず首を傾げた。


「あいつも乗り気だっただろ。先に矢も射ってきたぞ」


 頬を擦ると矢傷は消えていたが。


「それはダインが挑戦的な態度をとったからでしょう? あんなことを言ったら怒られるのは当然。遅刻したのはこっちなんだから、ちゃんと謝れば良かったじゃない」


 全く当たり前な正論を説かれ、自分の過去を振り返ってみると、そういった発想をまるで持ち合わせずに生きてきたことの実感を持った。


 戦って勝つか負けるか。それだけが未来を左右するという頭しかなかった。当然、これからもそのつもりだ。


「偉そうにされるのは我慢ならない」


「偉いんだから仕方ないでしょ」


「うるせぇな、今さら引っ込みがつかないだろ。あんな卑怯な手で勝負に水を差したんだぞ。あのジジィは必ずぶっ殺してやる」 


「絶対にやらせないし、殺そうとしたのはお互い様でしょ!」


「やかましい。いちいち構うな」


「嫌! 構う! このままじゃ目を疑うような大人になっちゃう!」


「何だよそれ」


 騒ぐ二人に、中隊長の一人から檄が飛んだ。


「貴様ら静かにしろ! また拘束されたいのか」


 ダインが歯を剥き、怪気炎を発した。


「やっぱりテメェらの仕業だったんだな! 叩き斬ってやるぜ」


「やめなさい」向かっていこうとするダインの耳を、メアリが引っつかんで捕らえた。「編成が終わるまであっちで待ってよう」


「いてぇ、やめろ! 耳が千切れる!」


「大丈夫。いくらでも治してあげるから」


「暴力は嫌いなんだろ!」


「暴力じゃなくて教育だよ」


 周りから「夫婦で傭兵とは珍しいなぁ」「この貧弱部隊を頼むぜ旦那さん」などと囃し立てられ、痛みで反論もできずに連行されていった。




 

 二個連隊は草を分け入って進行。目的は攻城戦の加勢である。独立都市国家セントホール公国を攻囲するは、同じく独立都市国家であるアルテン公国だ。


 隊はアルテン軍と合流し、共にセントホールを討つ。細かい策など皆無だ。


 いくらか進んだところで外周二キロ程度の城壁が見えてきた。そこに纏わりつくアルテン軍はこちらと大差なく、約千人。近づくにつれて警鐘が耳障りになってくる。破城槌の音も聞こえるので、壁外周の水堀を埋める危険な作業は終わっていると考えて良い。


 双方の発射体が濃密に交錯していた。タール樽でも投げられたのか、四階建ての可動式攻城塔(ベルフリー)が派手に炎上している。


 更に肉薄し、全員が更に姿勢を低くして遊軍の背後に陣取った。弓箭部隊が前列に並び、ベルナルドの無言の号令で一斉に矢を放つのを合図とし、傭兵達は鬨の声を轟かせながら城壁へ突っ走っていく。援軍の到着にアルテン兵達が歓声をあげた。


 城壁は既に損傷が大きく、ところどころに綻びが目立つ。そこへ水や風を撃ち込む兵や、破城槌を押すのを嬉々として手伝う兵、そのダメージを緩和しようとしてセントホール側が吊り下げてきた前垂れが、炎の集中砲火に耐えている。防炎処置がよほど手厚いらしい。


 籠城側も防戦一方ではなかった。可燃物や雷撃、矢衾の雨あられが一向に減衰しない。胸壁裏の射手が多数の法力兵に守られており、人的損耗がかなり抑えられていると見える。


 対して友軍は次々に倒れていく。〝手〟持ちの数に大きな差があるようだ。まだ数では有利だが、このままいけば逆転されてしまう。


 ダインは城壁から最も遠い可動楯の影から戦況を観察し、横で震えるメアリをせせら笑った。


「どうしたメアリ。随分と暗いじゃねーか」


「……信じられない」


 何がだと問うても返事がない。ただ「信じられない」と顔面蒼白で呟くだけだ。


 戦いの光景にすっかり萎縮していると見えた。初めての戦場ならば仕方がないか、と含み笑いを禁じ得ない。平和な場所でいくら強気なことを言ってみても本質は素人の女。所詮こんなものだ。


 さて、メアリにはここで戦場見学でも続けてもらい、ダインは千人の前で吐いた大言壮語の責任をとる必要がある。口だけの男と思われては終いだ。


 城門が思いのほか堅牢らしく、なかなか突破できずにいる。必死に反復運動を行う破城槌は被覆材の屋根で多重に守られているが、極端に集中する多種の猛攻を前に動きが鈍い。これではどちらが先に壊れるか怪しいものだった。


 門を突破するという退屈な雑用は雑魚に任せ、内部に突入してからの独壇場を見せつけてやる腹でいたが、どうにも埒が明かなそうなので破城槌組への加勢を決めた。なにより、暇だ。


「それじゃあ、ちょいと行ってくるからよ。くれぐれも出てくるんじゃないぞ。お前はここで戦場の厳しさってものを嫌というほど味わって――」 


「信じられなぁい!」


 争いも鎮まろうかという金切り声。か細い体のどこから発せられたのかと不可思議に思ったのも束の間、メアリは背嚢をかなぐり捨てて可動楯を飛び出していった。予想外に過ぎる行動にダインは半ばパニックだ。


「お、おい、何やってんだ! 早く戻ってこい」


 聞く耳を持たず小さな肩をいからせ、飛来物の嵐のなかを突っ走るメアリ。チェニックと手甲のみというふざけた軽装のうえで武器も持たず、正気の沙汰ではない。ダインは迷わず後を追った。どのみち行くつもではあったが、先刻までの余裕がないことに気付く。


 自分でも意外なほど全力で走っていた。ベルナルドとの喧嘩ではメアリが斬られる姿を見ずに済んだが、その光景をもし直視していたら心を保てなかっただろうと臆病にも確信していた。


 第一、いくら馬鹿げた回復力を持っていても痛いに決まっている。恐いに決まっている。もうそんな思いをさせたくはない。なし崩し的にとはいえ、守ると約束しておいて逆に守られたままでは世話もない。



 知り合って間もない人間をこんなにも想っているなど、他人など斬るためだけに存在すると考えていた過去の自分と比べると落差が滑稽ですらある。 


「メアリ! 頼むから待ってくれ!」


 あと少しで追いつく。肩に手が届きかけた時、閃光が二人を引き裂いた。吹き飛ばされ、遅れてきた雷轟が骨身をつんざく。敵兵による落雷か。直撃は免れたようだが。懸命に立ち上がると、眼底が緩んだような目眩によろめいてしまう。


 舞い上がった草と砂塵で視界が悪い。周りでは依然として戦いの喧騒が続いている。何本もの流れ矢が近くを掠めとんでいった。足下に転がる兵につまずきながらメアリを探すと、驚いたことに変わらぬ調子で城壁へ走っているではないか。


「なんて奴だ……。待てって言ってるだろ!」


 叫んだ直後、水平方向の雷がメアリを貫いた。破裂音がし、胴のほとんどが吹き飛び、露出した体内が焦げて燻る。遅れて落下してきた四つの火球は、燃え上がる手足であった。残り少ない肉体に頭部だけが付属する不格好なオブジェが黒煙を立てている。


 そんな様と化したメアリを目の当たりにし、ダインの脳は空白の彼方へ飛び去ろうとした。ここまでの損傷では、もはや法力の出る幕ではない。人間の死が、ここまで衝撃的なものだと初めて知った。


「そんな……。メア……」


 リ、まで言い終えた辺りで、果たしてメアリはそこにいた。無傷で、服の汚れすらない姿で仁王立ちしているのだ。凄惨な死体も消えている。目を離さず凝視していたにも関わらず、雷に散ってから復活に至るまでの過程が一切分からない。


 先程の光景が幻覚であったのか、意識と意識の狭間での出来事なのか。あくまでも治癒したと言うなら、これは神の御業である。


 阿呆のように立ち尽くすダインを尻目に、メアリは城壁へと歩を進め、攻防の最も激しい範囲に入ってしまった。幾百の矢に射貫かれ、頭部を損壊し、その度に元通りの姿で戦場を行く。


 遊軍が倒れ、城門や城壁が悲鳴を上げ、怒号が飛び交う混沌にて、場違いな少女が左手を突き出した。手首から枝分かれした快晴色の〝手〟は、直視できない輝きを帯びている。


「破壊神が現れるってときに、人間同士で何やってんの。こんな戦い、全部無駄にしてあげる」


 一瞬の光が、昼の空を数段あかるくした。敵も味方も眩さで動きが止まり、闘争の坩堝に静寂が降りたのである。


 その静寂は、全員が状況を把握するにつれて次第に深まり、戸惑いを帯びていった。


 敵も味方も目を疑った。散々に攻撃を受けて哀れな姿を晒していた城壁や城門が、竣工直後のような真新しさを取り戻しているではないか。破損寸前だった破城槌、燃え落ちそうだった前垂れや、ほぼ炭化していた可動式攻城塔(ベルフリー)までもが同様だ。これまでの最たる戦果も、痛手も、同時に無に帰したのである。


 セントホール軍の心を手ひどく折ったのは、続々と立ち上がるアルテン兵の姿だ。確かに命を奪った筈の者達が、休憩終わりのように立ち直る。本人は気を失っていただけとでも思っている顔だ。


 戦意を取り戻した一部の隊が、あちこちで散発的に交戦を再開するが、メアリが法力を発するとすぐに大人しくなった。いくらやっても、互いに戦う前より健やかになってしまうのだから。


 皆がある種の挙動不審に陥り、次にとるべき行動を考えあぐねているとメアリが、


「ねぇ、アルテンの偉い人は?」


 さほど大きくもない声が、戦場とは思えぬ静けさの中でよく響いた。数多の視線が集中する。


「アルテン軍、指揮官のアルフォンスだ」


 一人の騎兵が名乗りを上げた。自らの板金鎧や騎馬に、位の高さを示す華美な装飾。胸には微細な凹凸処理でもって国章が浮き上がっている。


「アルフォンスさんね。私と一緒に来てちょいだい。あと、ナイフを貸して」


「……大層な力を持っていることは認めるが、貴様如きが私に向かって――」


 メアリが懐から小さく光る何かを取り出し、突きつけた。複雑な形状をした紋章のようだ。アルフォンスがそれを用心深く凝視すると、途端に態度が変わったのである。


「い、いいだろう……」


 一傭兵の女が依頼元の友軍指揮官に随行を命じ、あまつさえ承認されるという事態。本来あり得る筈もない。しかし、メアリの前に常識は適用されないらしかった。


「ねぇ、ダイン」大口を開けて傍観していたダインが、いきなり呼ばれて思わず背筋を伸ばした。「護衛をお願い。アルフォンスさんのね」


 言われるがままに着いていく。団長とダインは黙然としながら警戒を解かず、何度か複雑な表情を交わした。


 行き着いた先は敵の真正面。大きな鉄製の落とし格子が降りた城門である。敵兵も、当然のようにそこまでの接近を許してしまう。格子の向こうでは弓矢を構える弓箭兵と、すぐにでも得意のものを放とうという〝手〟持ち兵が油断のない目でこちらを見ている。


 すると、奥から蹄鉄の音。一人の重装騎兵が、他兵に道を開けさせながら闊歩してきた。セントホールの指揮官だろう。兜に覆われて顔は窺えない。彼は他の者に武器を降ろさせ、


「そこの女、何がやりたい」


 低い声には畏怖が滲みでていた。


「無意味な戦いを止めにきたの。アルスで大変な時なのに、こんなことをしている場合じゃないでしょ」


「……それが仕事を請けた傭兵の言うことか」


「こんな争いが見たくて来たわけじゃないのよ。さっさと手打ちにしてちょうだい」


「なんだと。そんな言い分が――」


 気色ばんだ相手の機先を制し、メアリが自らの首をナイフで掻き切った。噴火のように迸る血液を格子越しに浴び、相手が面食らった時、案の定すでに元通りだった。


 奇術にかけられたような顔で、浴びたはずの血液を探す兵達。どんな抵抗をしても徒労に終わるだけだと十分に再確認したようだ。


 メアリは先ほどアルフォンスにも見せた紋章を、格子の隙間から近くの弓箭兵に手渡した。


「これを上の人に見せてこう言うの。セントホールは降伏。アルテン側は帰路に要する食料だけを要求していると」


 相手方は、アルフォンスが何も口を挟まないことにも不気味さを感じているようだ。


「気は確かか。一介の下っ端傭兵が……。見たところ、食い詰めて出稼ぎに出された農民の娘だろう。敵軍のことではあるが、越権行為と扱うのも生ぬるいぞ。何故お前がそこまでの判断を――」


 兵から兵へと渡ってきた物を見て、困惑の言は途切れた。兜に隠れて見えずとも息を呑んだ気配が伝わる。表情が一変し、心が揺れ動いたことも。


「……待っていろ」


 背を向けて去って行くと、他の者達はどうすれば良いのかが分からずメアリを睨んだ。化物を見るような目だ。ダインには、自分も同じ目をしていないという確信がなかった。


「メアリ、さっき渡したものは何だ?」


 恐る恐る問うてみても、


「平和への通行証」


 と洒落た返事が返ってくるばかりだ。教える気はないらしい。


 しばらくして、セントホール指揮官が戻ってきた。この短時間だというのに心なしか体格が萎んだように見える。部下達が見守るなか、騎馬から降りて落とし格子の前に立った。


「〝お待たせを……いたしました〟」


 メアリは居丈高に腕を組む。


「話はついた? まだやる気なら私は構わない。何ヶ月でも、何年でも。戦う度に戦果を無にしてあげるから」

 時折アルフォンスの方も見ながら言い放つ。


 セントホール騎士団長は兜を脱ぎ、小脇に抱えて跪いたのである。思いのほか若く、しかし思慮深そうな顔を苦渋に歪めて俯いていた。一同がざわつき、頭上より滑車が鎖を巻きとる音が降ってきた。落とし格子が徐々に上昇し、全開するまでには全員が状況を察して地に膝を着いていた。


「我々はアルテン公国の要求を承諾し、ここに降伏を宣言する」


 静かな決着であった。後の処理は淡々と進み、まるきりメアリの決定通りに事が運んだ。


 食料の受け取りなどを終え、誰もが呆然としている内に傭兵団は再び馬車に乗りこみ、次の戦場へと向かうのであった。

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