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動力神と斬りすぎる者  作者: 白石 流
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第五話

同日。


 北大陸の中心、ベリア公国。その南端にある城塞都市が公都ラルタルだ。不規則に巡る二重城壁の外周は百十キロメートル以上あり、人口は約五十万人。


 都内南部、自然の丘陵地より大都市を見下ろすタラジャスク城塞は、周囲を大河のような水堀に囲まれている。


 丘下の城門内側にある下城庭はもちろん、外側に丸く飛び出した運用補助城庭さえも高い幕壁で護られていた。それらは地中深くまで埋め込まれており、坑道を掘って侵入することは実質不可能だ。


 厩舎、納屋、井戸や騎士館が建ちならぶ下城庭に入ると、丘上にそびえるものは主塔の頂しか見えなくなる。丘の麓にまで盾壁が巡っているからだ。


 麓の盾壁に設けられた第一主城門を抜けてさらに登ると、二十五棟もの城棟を持つ内城壁が丘上を囲っている。そこに開いた第二主城門を抜けるとようやく、上城庭にたたず主館や防御城塔、主塔などが出迎えてくれるのだった。


 中でも最も目立つ主塔は、北大陸最強の名に恥じぬ極端な壮重さである。長方形平面の外壁で、四隅には小塔が設けられている。高さは百五十メートルに及び、壁体の厚みは部位によって一メートルから八メートル強まで様々。一辺は三十二メートル以上にもなる、紛れもなく四大陸随一の大主塔だ。


 過剰とも思える防御機構の数々や、各部の規格外な大きさなどは挙げれば枚挙にいとまがない。それでもなお空間は広々と余裕があり、今日も騎士団は訓練に励み、馬場では騎馬が駆けまわる。放牧場では家畜が草を食んでいるし、騎士館裏の菜園では使用人が根菜に水をやっている。


 実に長閑な風景を、吹きさらしの主塔テラスから眺める二つの影があった。


 胸壁に頬杖をつき、馬場での訓練を観察しているのは色の浅黒い長身の男。見た目は二十代後半だろうか。金の蓬髪をばさばさと靡かせ、野性的な顔には骨まで達していそうな古傷が縦横無尽に走っていた。古傷は頸部を通って黒の板金鎧の中へ続いており、全身に走っていることが容易に想像つく。


 赤い外套に描かれる猛き黒豹は彼の紋であり、騎士団長の証でもある。


 体格や覇気に似合わず、武器は腰に差した短剣のみだ。


「あいつらは随分と元気だな」


 隣で胸壁に腰かけ、宙に足をぶらつかせる少年に問いかけた。こちらは中背痩躯で、肩幅などは気の毒になるほど狭い。女性的な顔は青白く、痛んだ黒髪が肩に届いている。


 ベリアの君主であることを示す広袖のチェニック(ダマルティカ)は艶やかな濃紺で、背には名もなき女を象った国章を金色に輝かせている。ただ、身体のほとんどは切り裂かれたように消失していて、胸から下しか描かれていない。見切れた翼の一部によって、辛うじて人ならざる者だと分かる。


 少年は今にも昼寝に入りそうな気怠さで欠伸をした。


「彼らの動力はまだ残してあるんだ。〝世界そのもの〟との戦いに連れて行く者を選別するために。勿論、トュールの神官に関する処遇は任せるけど」


 テュールと呼ばれた男が傷をなで、鼻を鳴らす。 


「いくら足手まといでも、停まった世界に置いていくのは気が引けるがな」


「弱い魂には犠牲になってもらうしかない。人間も同じだ。きっと、ほとんどは停止に耐えきれず命を落とすだろうね。だけど巨悪が滅びれば動力は再び循環させられる。生き残った者達で再建した世界こそが、僕たちの勝利の地になるんだ」


「……そうかもな」


 憮然とした返事に、エイリーは不満そうだった。


「僕を信用してくれないの?」


「いや」テュールが嘆息し、肩を回した。「俺達なら上手くやれるはずだ。だが、その前には排すべき壁がある」


「分かってるよ。判定神ノルン……奴は本当に危険だから、真っ先に動力供給を滞らせた。しぶといけど、かなり参ってる筈だよ」


 動力とは、世界を遍く吹き渡る風のようなものである。人々の心を動かし、背中を押すそよ風。夜を吹き飛ばし、日を運び、季節を移ろわせる強風。神々を動かす突風。エイリー自身にとっては血液であり力そのものでもある動力を調整し、万象に行き渡らせるのが動力神の役目だ。つまりは動力を生み出すわけではなく、絶対量の決まったものを循環させる装置とも言える。


「どうやら鼠を向かわせているようだ。『天界の目』で見ずとも、敵意の接近を確かに感じる。正確な居場所が分からないのはノルンの仕業だろうね」


 天界の目とは、天界に数多もうけられた、いわば地上を監視するための窓だ。今となっては懐かしいだけの代物だが。

「僕相手にそれだけで事足りると思ったのか、ノルンの考えがまるで分からない。やはり奴も鈍ったのかな。人間という劇薬によって」


「侮ってはいけないが、ノルンさえ抑えているなら話は容易だ」


「うん。今は停止を待つだけだよ」


 ここで長い沈黙が流れる。


「……なぁ、エイリー」


「……」


 動力神エイリー・ケイオスは答えない。軍神テュール・ローグも二の句を継がない。


 一通りの話を終えた後は、いつだって似たやりとりの繰り返しなのだ。


 互いが何を言えばどう返すのかを分かっている。故に口をつぐむ。


 このまま黙っていれば会話が再開することはない。先にこの話題を切りだすのは常にテュールの方だった。景色にも飽きて、座り込んで胸壁にもたれかかる。


「良かったな、天界は」


「そうだね。苦しみもなく、役割を果たすだけでいられた」


「もう降ろされて何年経つか」


「よく覚えてないけど、こんな国は影も形もなかった」


 エイリーもテラス側に向きなおり、テュールと同じように座り込んだ。胸壁に背を預けるのに、浮きでた骨があたるのを邪魔そうにしながら続ける。


「僕はこの世界が嫌いだ。天界に比べて全てが汚らしく、とても醜い。だからといって、このまま潰されるのは許せないよ。今までずっと動かし続け、見守ってきたんだから」


「無論だ。〝世界そのもの〟による滅亡の意思は、必ずここで断ち切る必要がある」


「勝てるさ。奴は僕を見くびり過ぎている。今だって僕を操って動力停滞を起こさせているつもりなんだ。それでもまだ、しきりに脳を叩かれる……意識までも完全に支配下に置こうと働きかけてくるよ。だけど絶対に負けない」


 エイリーは膝に顔をうずめ、そのまま糸が切れたようになった。体力の限界を迎えて眠りに落ちるなか、友へ呟く。


「有り難う。君とだったら何でも出来る気がする。それだけは、いつだって変わらない」


 寝息を立てるエイリーを抱え、主塔内部の階段を降りていく。子供のように軽い。


 よく整理された武具庫を過ぎ、その下の居住階に降りた。採光用狭窓から差しこむ淡い光が、四人は楽に寝れそうな天蓋付きベッドを照らしている。


 暖炉が消えて冷え込んでいた。それはエイリーの指示だった。


 眠る姿は、知らぬ者が見れば死人と変わらない。残酷な青白さ。血を全く失ったような生ける屍は、自傷に等しい行為によってこれからも加速度的に弱っていく。


 本来のエイリーを知る者なら、目を覆いたくなる姿だ。テュールでさえ見上げるほどに背が高い、絵に描いたような偉丈夫。誰よりも思慮深く、冷静さに包まれた男。まさに動力神、存在そのものが世界の動力源なのだと誰もが納得する雄々しき神。


「俺は俺のやりかたで、お前を助けてやる」


 少しのあいだ逡巡し、暖炉に火をくべた。あとで酷い癇癪を起こされる侍従達に同情しながら、そうせずにいられなかった。


 横たわる友を置き去りに、階段を降りていく。下階の大ホールを過ぎ、室内井戸の水の匂いが鼻につく最下層の管理階を出て、屋外の出入り口階段へ続く鉄扉を乱暴に開けた。


真っ直ぐな幅広の石階段で、女と鉢合わせた。特徴という特徴を敢えて削ぎ取った、白い肌と黒髪が美しいだけの見てくれ。天界時代からテュールの神官を務め、今はエイリーの奥方役である。何代にも渡って姿形を変え、人間に気取られずベリアを治める都合上、国の要人や城の住人には天界の者を置いているのだ。


 こんな下らない劇団は、もはや不要になっているが。


「テュール様、お出かけでしょうか」


「西へ。エイリーを頼むぞ」


 すれ違いざま、


「なぜ私なのですか」


「なんだと?」


 思わぬ口答えに足を止めた。神官が神に意見することが、死をも意味するのは重々承知の筈だ。この数千年で初めてのことだった。


「私がお傍にいたところで、何も変わりはしません。私は、本当は……」


 短剣に手が伸びかけたが、彼女の脚がくじけそうなほど震えているのを見てやめにした。


「マリー」


 何が言いたいのかは分かっている。必死に真顔を保つマリーの頭に手をのせ、言い聞かせた。


「俺は負けたことがない。そうだろ」


「……はい」


「今回もすぐに戻ってくる。いつも通りに待っていれば良い。何も心配せずにな」


 泣き崩れる気配を背に、上城庭へ出た。鳩小屋の横で休息していたタラジャスク騎士団副団長もとい、トュール配下の副神官長を見つけ、城を空ける旨、いつも通り従卒は不要の旨、そして有事の際に自分の戻りが遅れた場合は、全指揮を任せると命令した。


「突然すまないな、ダヴィッド」


「いえ。行ってらっしゃいませ」


 突飛な命令をさらりと受け入れた男は、人の良さそうな髭面。よく焼けた肌に、白い歯が目立つ。


 共に数々の戦場を駆け抜けた若き戦友は、短身だが闘牛を思わせる筋骨の要塞だ。天界では敵軍を素手で退けたことすらある肉体は、テュールと同じ黒の板金鎧を纏っている。


「ご武運を」


 余計なことを喋らない男は、訓練へ戻っていく。ただ黙々と愚直に、己が使命のために邁進する態度はいつまでも変わらない。情に厚すぎるきらいを差し引いても、実に信頼に足る男だ。


 旅支度は以上。闘争に魂を切り替える。


 現在にいたるまでの、悪神と見なされた神々とノルンの戦いの趨勢はいくつか聞き及んでる。


 座を奪われた者、単に殺された者、改心した者。いつ頃からか、実際に戦うのは少数の神官のみになっていった。


 どうした訳かノルン自らが動かなくなってから、悪神達に油断が広がったのは事実だ。配下の小娘などに負ける筈がないと。


 神と神官では力のスケール感が違う。それは大海と水滴、砂原と砂粒の如しだ。


 実際のところ、進行してくる神官達は確かに強かったが、脅威を感じるほどではなかったと言われている。立ち塞がる異族や、悪神が向かわせた神官の前にさえ倒れることがあったのだ。


 そこで警戒を緩めたのが運の尽き。選び抜かれた神官は、ノルンが手ずから鍛え上げた神殺しの剣。いくら挫けても更なる力をつけて復活し、最後には必ず本懐を遂げてしまうのである。


 それは何故か。闘志や底力などという、曖昧な詭弁では断じてない。


 助力しているのだ。遠隔の地より、自らの打ちし剣が道中で折れぬよう、曲がらぬよう、力を与え続けている。ならばノルンさえ打ち破れば後は問題にならない。


 しかし時を逸すれば、他の神の二の舞は必定。


 下城庭にて、踵の拍車で地面を打ち鳴らす。頭上彼方より蹄の音。空耳のような音はやがて地まで震わせ、目の前に駿馬が降りたった。灰色の毛並みと八本の脚を持ち、海も業火も超えていく素晴らしき愛馬、スレイ。


 トュールが飛び乗ると意志を汲んで走りだした。四度いななく間に大海の上である。


 西に向け、遮るものは全て薙ぎ払うまで。


「待っていろ、ノルン」





 エイリーはベッドから身を移し、誰の干渉も受けない空間に寝転んでいた。荒野ばかりが続き、夜のように暗い。


 神と、神に招かれた者だけが見る光景。天界と地上の半ばに位置する場所。もっぱら安息地として使われるが、無限遠に広がるので膨大な力を発散する修練場にするも、第三者を巻き込まない決戦場とするも自在だ。


 誰が言い出したか、通称は〝庭〟。


 しかし地上に降ろされてから、ここへ自他を転移させる権限は奪われてしまった。神々をも支配する頂点であり、名を呼ぶことさえ許されない半ば概念のみの存在。〝世界そのもの〟によって。


 現在は〝世界そのもの〟の認識を高度に欺瞞しうる極一部の神々のみが、いつ察知されるとも知れぬ状態で使用している。エイリーにもまた、そこまでする理由があった。


 大の字で見上げた先にうごめく、白煙のような球体。夜空を背景とする今は、風変わりな恒星とも見える。同質の白煙がどこからともなく筋雲じみて漂ってきては吸い込まれていく。これは可視化された動力であり、循環を停めた流れの行きつく先だ。


 眼を閉じ、世界の外側へ意識を向かわせた。浮かんできたのは〝世界そのもの〟の朧な外観。薄ぼんやりとした不定形なものの姿。あらゆる他世界、星々の集合体である光が、ひどく緩慢に動作するのが辛うじて視認できた。


 手足なのか何なのか、先細りの部位でもって己を害さんとする意志が見て取れる。


 要らない部位を捨てようとしているのだ。全体からすれば腫瘍にも満たぬ小さな異物に過ぎないが、こちらにとっては今いる星そのものだ。


 もう一つ着目されて然るべきが、他を圧倒する規模をほこる紅の巨星である。エイリーの知覚をもってすれば、そこに住まうのが神格のみであることが分かる。彼らは〝世界そのもの〟の意志を代行する傀儡であり、つまりは大いなる流れそのものと言える神々なのだ。


 言い換えれば、〝世界そのもの〟の心臓部。


「この僕までを傀儡にできると思うなよ。お前の意志に沿っているように見えても、動力停滞は世界滅亡のためなんかじゃない。あの方にもらった命を、そんなことに使ってたまるか」


 広袖のチェニック(ダマルティカ)の袖をまくり、腕に焼き入れた紋章を見た。引き裂かれ絶命してもなお立ち続ける、名も知れぬ女。


 天界時代、エイリーは地上に降ろされることを拒み、永い戦いの道を選んだ。〝世界そのもの〟の決定への反抗は、その助力を得た勢力との衝突を意味する。最高位の神にとっても敵は強く、無尽蔵だった。


 理由も分からず居場所を追われてたまるかと、勝ち目のない根くらべをして幾星霜。精根尽きる日は訪れた。


 もう一歩で地上へ堕ちるという、天界最果ての断崖。追い詰められ、いっそのこと散ろうと最期の抵抗を試みるエイリーだったが、意識外から訪れた衝撃により宙に投げ出されていた。


 堕ち行く最中、自分を庇ったのであろう女の背を遠きに見た。どこぞの神官か低級神であることを認めたときには既にその者は引き裂かれ、上半身のほとんどを失っていた。


 悠久を経ても褪せぬ、凄惨にして美しい記憶。

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