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動力神と斬りすぎる者  作者: 白石 流
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第二十八話

「私は弱く愚かな女です」ほのかに発光した文字列は輝度を高め、衣服を通して書体の細部が見えるほどだ。そして剣が伸長し、左腕が銀に膨張する。肩から手先までをすっぽりと包む、桁外れに大きな〝手〟だ。「きっと、これは分不相応な命への罰なのでしょう。誰かに頼ればこそ生きながらえ、最後には捨て去られ、力だけを持って彷徨せよと。誰のものにもなれない、何者でもいられない証である翼で最果てまで飛べと」


 フーリンは推察する。まず間違いなく、この女は二体の神の助力をうけた存在。そんなことをすれば強大な力が体内で反発し合うため、神官の肉体では奇跡のような特異性がなければ無理な芸当だ。それを可能にしたのが、全身に発露した術式なのだろう。


 マリーは、デタラメな強化処置に耐えうる希有な受容体を有する材料として目をかけられたと思われる。


 上限を超えた翼の数はその副次的事象であり、個には過ぎたる力ゆえの奇形と言える。


神官という枠を超え、しかし神には届かなかった、恐らくは唯一無二の者。


 フーリンは長い溜息をつく。


「独り言はもう沢山です。ですが……」先のことは計算から外し、ここで全力を出すと決めた。「深い同情をもって終わらせてあげます。未練さえ残らぬよう、完膚なきまでにね」


「無理よ……そんなの……」


 マリーの〝手〟が動き、フーリンも体内の力を操る。戦いで痛みはしたが鏡面らしさを保っている髪が身長の倍にまで伸び、背景に溶けこむ反射の玉となった。


 しかし、夜空への擬態はすぐに断たれる。高速で飛びまわり機を窺おうとしたフーリンの気配は即座に感知され、髪を斬り飛ばされた。


 そして惑星の大接近のごとく、予想だにしない規模で天に浮上した動力神紋。その眩さが去ったとき、マリーが本領を表した。


 どこを見ても、剣を構えるマリーがいた。前後左右、遠近、ひしめいていると言って過言でない。闘気の質からしてまやかしに非ず。


「流石ですね。ここまでの分体を出しますか」


 近くにいたマリーが気の毒そうに目を伏せる。


「いいえ、分体ではありません。これら全てが私本体なのです」


 微かな空間の歪みのようなものに、皮膚が引っ張られるような感触を覚えた。


「下らない虚仮おどしでしょう」


「いいえ、事実なのです。私の〝手〟は元々、今とは時空の異なる未来への移動を可能とするもの。ごく稀にしか成功しない、その場しのぎの逃走手段でした。それがエイリー様の助力によって、時間を司るという動力の役割の一端への干渉権を得て、トュール様の助力によって理不尽なまでに法力を強化され、混ぜ合わされては再構築を繰りかえし……今や、枝分かれした未来の私との同時存在および、その中央集権的制御が可能になった次第です」


「…………」


「ただでさえ私より弱い貴女が、いかにして私を打倒するのですか。絶望と言わず何としましょう。お分かりになったならば、最後の機会です。早く引き返しなさい」


「…………」


「……先程から何をなさっているのです」


 フーリンは、とんでもない内容の説明を引き出しておいてロクに聞いていなかった。まるで挑発か悪ふざけのように、しかし顔だけは真剣なまま、ゆらゆらと動作している。旅に出たばかりの今朝もダインに見せた動き。一日と欠かすことのなかった、とある教えの反復。


 望遠鏡を持ったまま四肢のあらゆる関節を蛇のようにしならせ、連動させる。不規則な緩急は、手足先の指す方向性の組み合わせのみが何某かの一貫性を仄めかす。


「準備運動ですよ。哀れで辛気くさい悲劇を終わらせるためのね」 


 出し惜しみなし。マリーに負けじと背後の紋を最大にし、全神経に力を行きわたらせた。「左様ですか。では、お手並みを拝見」 


 マリーの一斉攻撃は、いかなる防護をも裁断するだろう光刃の森。フーリンは回避に徹しつつも、肉を浅く裂かれながら飛ぶ。


 昨日までの自分であれば見切れるべくもない。ダインの凶刃に幾度も襲われ、死線をくぐってきたが故に鍛えられた眼力と機動力だった。まるで、このための訓練であったかのように。


防戦のなか、舌打ちと共に考えを整える。


 この相手に風だけでは威力不足。風力で膂力を増強したうえでの打撃も意味が薄い。だが殴った際に手ごたえは掴んでいた。あれは決して、神器での直接打撃そのものを全く受けつけない類の感触とはちがう。技術で威力を殺されただけであり、限界強度を超える物理作用を与えれば破壊しうる実体だ。


 であるならば根本的に方法は変わらない。相応の風力を余すところなく得物に伝え、膂力と合わせて能う限りの打撃を食わせる。 


 問題となるのは、切り結びのなかでも痛感した反射神経の差。当たり前の攻撃では霞を相手どるに等しいと分かっていても、何らの奇策もなかった。ただ自己としての上限を、正気では超えられぬ本質的な壁を破らんと重ねてきた、煉獄の修行の結実にものを言わせてみせる。


口答えしながらも絶対に怠らなかった。病んでいても、傷ついていても、夢の中にいても。


 ――全体を捉え、正しきを探り、違わず形を据えれば、あとは居眠るが如し


 己から意識を外す。呼吸を停め、再開したときには既に、全体の制御を握っている最後の――制御を失わないための対処として次々に制御権を移されていった末に残った――マリーを殴りつけていた。


全身余すところなく強打され、美しい顔を波打たせたマリーの瞳には、頭部を凹ませ堕ちゆく自分達が映っていた。


「まるで追えなかったわ……!」


「でしょうねぇ。私もですが」


 マリーの反応速度を超える動きは、防御等を捨て去り、風力の噴出のほぼ全てを両手足と肘からの推力としてのみ利用したがゆえに実現された。しかし、これは本来なら空中戦に用いるには向かない。


 複雑な空中機動はそれぞれの推力方向を適切に偏向し、組み合わせることで可能になる。ここで問題なのは、二点からの推力を上下方向にのみ微偏向するだけでも非常に多彩かつ入りくんだ飛行を行えることだ。人間が両足底からの推力で飛ぶ場合、バタ足で泳ぐような形で事足りる。


 にも関わらず、両手足と肘の六点が複雑に動くのである。飛行時の各関節の角度、身体の傾き・姿勢、推力の強弱、噴出のタイミング、それぞれの位置の相関関係。これらの組み合わせが織りなす機動パターンはまさに無限だ。


 敵状を把握し、無限の中から瞬時に最適な推力偏向パターンを判断し、あまつさえ極超音速飛行中に絶え間なく変化させながら武器まで扱うとなれば、脳の処理が追いつこう筈もない。


 かの神は考えた。ならば脳を使わなければ良いと。あらゆる状況への解を事前に想定し、どう動くべきかを身体に叩きこむ。考える必要がなくなるまで無意識へ落としこめば体得しうると。


 一粒一粒、砂漠の砂の形を覚えていく作業。仮想の敵と相対し、正しい形の一連を定め、ひたすらに反復。掌、足底の向き。仰け反り、屈み具合。首の傾き。僅かな体軸のブレも命取りになる。


『何もかも寸分の誤差なく、常に特定の挙動をとる煙となれ』。死刑判決のような無茶、狂気の繰りかえしの生活が、今日の好機をもたらした。


「勝ったつもり?」フーリンの攻撃は数多の同時存在体を倒した後だったために威力が減衰し、最後のマリーには血反吐を吐かせるにとどまっていた。いたいけな仮面は剥がれおち、憤怒の相で歯を剥いていた。「勘違いはやめなさい。布陣はいくらでも蘇るわ。今度は全ての私がそれぞれの分体を出す。もう終わりよ」


 規格外の〝手〟、再びかがやく。フーリンは動かず、機動中の凄まじい重力によって上下に偏った血液を風力でもって戻している。


 そうこうする内に動力神の紋が爆光をぶちまけ、あわや元の木阿弥かと思われたのだが。


「……どうしてなの」


 状況は変わらず。他のマリーは出現しなかった。


「答えは一つでしょう」十分に想定内だという顔をし、望遠鏡で肩をたたく。「なくなったんですよ。枝分かれした未来ってものがね」


「嘘よ。だって……私がこうして生きている以上は、無数の未来がある筈なのに……!」 


 マリーが狼狽し、フーリンが構える。次の機動での血液の移動を緩和するため、両下肢と腹部の血管を圧迫しなおした。


「つまりは、どう足掻いても死。受け入れなさい」


「ふざけないで」頭髪を掻き乱し、唇を噛む。「私が死ぬ? 男達にいいように使われて、こんな姿にまでなって、それでも燃やした最後の思いさえ遂げられずに……ここで貴女に殺されるって言うの?」


 高貴な雰囲気をまとう麗人は、もうどこにもいなかった。心身ともに本当の形を見失い、捨てられ、へし折れた枯れ花があえぐ。


 いくら問いかけてもフーリンは無言の哀れみ。幾度と〝手〟を振るっても静音。自分にすら見放されたマリーが、ついには発狂する。


「ふざけないで……そんなの嫌。あんまりじゃない。ふざけないでよ……! 私はいったい、私は……何のために生まれてきたっていうの。こんなの許せる訳ない。やめてよ……そんな酷い目で私を見ないで。まるで本当にこのまま死んでいくみたいじゃない……。やめてよ……ねぇ、だから、やめろって言ってんだろおおおぉ!」


 号泣と激昂の剣。命をかけた最期の突撃も、いまのフーリンにとれば羊の歩みだった。 


 真っ向からの殺意に対して形を決めてから、叩きのめされたマリーが頭から墜ちていくまでの早さは神の目にもとまらなかっただろう。時が消えたかのようだ。


 先程をこえる手数が単独の標的を滅多うちにしていた。翼が一対を残して脱落している他、ほとんどの身体部位は数少ない筋だけでぶら下がっていた。


 網状の風がマリーをすくい取り、宙にとどめたときに始めて、一度にしか聞こえない打撃音が耳にとどいた。


 まだ命はある。逆さづりのままフーリンに泣きすがった。


「どうせなら……せめて、この顔をもっと壊して。こんな身体も全部、跡形もなく壊して。お願いよ……」


「いいでしょう」


 世の負感情のすべてが集約された顔に、この上ない一撃をみまった。頬骨と額が割れ、頸椎が捻じきれる音。マリーは錐もみ回転で降下しながら肉体をまき散らし、地面に接触するとガラス人形のように破砕した。


 殺伐とした死に様を、乾ききった風が撫でる。


「私は考えを曲げません。貴女を殺した正義を、これからも貫いてみせます。……ゆっくりとお休みなさい」

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